春の終わりに
もう枯れてしまったと思われるところ、むしろ少し古い枝は迷いなく切り落としていく様に、当時リディルは肝を冷やしたものだった。シュレは寒さが苦手だから低気温に耐えかねて薔薇に八つ当たりでも始めたのかと思ったほどだ。壁面全体を覆う程に伸び、そして痛んでいた枝は見事に取り払われ、出てきた新芽も不要と思われる部分は躊躇なく切り落としていく。根を傷つけない程度の範囲で土を掘り返し追肥も置いて、選ばれた枝のみがまた壁面に伸び始めたころ、春を迎えた。
つるや葉の形からそれが薔薇だという事は解っていたけれど、どんな花が咲くのかはその時点でわからない。赤か黄色か、白なのか。壁面が白っぽい色だから赤じゃないかなあとシュレは言っていたけれど、緑の枝葉に付く白薔薇だって白い壁面には似合うとリディルは考えていたから、無事に花が付けば良いとは願っていた。
そうして、シュレの手入れが的確だったのか、或いはもともと生命力の強い品種なのか。日向にあたる部分から新芽が伸び、春の終わりに蕾をつけた。見つけたのはやはりずっと世話を焼いていたシュレで、壁面の前で立ち尽くす彼にリディルは首を傾げる。
「……蕾が」
咲きそうで良かったねと笑うと、シュレはゆるく頷いて、それからまた蕾へ目線を戻した。そんなシュレの様子に横から覗き込んだリディルも、少し首を傾げる。
「ピンク色?」
何色だろう、と二人で予測を立てていたものと、薔薇がつけた蕾から覗いた花弁は随分と違うものだった。がくから覗いた花弁の先だけは強い赤色を宿しているものの、すぐに色が薄くなり、少々くすんだピンク色へと変化している。オールドローズにしては変わった花色であるし、バイカラーにしては色の混濁が見られない。そして、まだつぼみだというのに香りも強かった。
「言う間に咲くだろうし、花を見ればわかるかな」
ゆるく笑って言うシュレにリディルも頷きを返す。グレッグミンスターの屋敷にも薔薇は植えてあったけれど、あまり顧みたことはなかったし、観察したところでさっぱりだ。シュレも花は好きだが、南方では育ちにくいため薔薇にはあまり詳しくない。二人ともにわかにこの薔薇の正体が気にかかり、待つこと数日。
開いた蕾は、白っぽい、うすく青の混じったピンク色の花を開かせた。
「珍しい品種だったようだね。青い薔薇だって」
それも以前の住人が残したものだろう、世話をする際に見ていた植物の本を手にしたシュレが花とを見比べて溜息を吐く。言われてみればうす紫にも見えなくはない花色に、リディルも頷いた。
「青い薔薇かあ」
青、というには少々語弊はある。しかし、そもそも青い色の薔薇など存在しない。こんな色味でさえ薔薇ではあまり見たことがなく、リディルはまじまじと花を見て、それからシュレを振り返り、笑った。
「シュレが世話しただけのことはあるね、青い薔薇だなんて」
まして、この強香である。偶然とはいえますます君らしいと言うリディルにシュレは少し笑ってから、でも、と首を振った。
「この薔薇が似合うのはリディルだとおもうよ」
「どうして?」
「紫色の薔薇は気品あるひとの象徴だからね」
僕では役不足だと笑いながらシュレは携えていた剪定鋏を取り出すと、花を咲かせた薔薇に歩み寄り、茎からそれをぱちんと切る。あ、と思ったのも一瞬、花はあっけなくシュレの手のひらへと転がった。
何事かと見上げたリディルに微笑み手のひらの花を転がすシュレは、軽く花の香りを楽しんでから肩を竦める。
「まだ蕾はあるから、すぐにもう幾つか咲くよ。それに、春の薔薇はどうせ花が落ちる前に切らなきゃいけない」
「……そういうものなの?」
「これからが一番手のかかる季節だからね。病気をしなければ、冬までに何度か咲くとおもうよ」
いつまで世話ができるかはわからないけれど。
何時までここにいて、次にどうするかはまだ決めていない。しばらく二人でここに留まるか、場所を移すのか。──それとも別の目的地を目指すのか。
最後の選択肢を思いながら、これまで何だかんだで二人旅を続けている。けれど必要であればそれも忘れてはいけない、そうぼんやりと思考に沈んだリディルへ、何を察したのかシュレはうすく笑む。
「また花が咲いたら、ローズティーかジャムにしてあげるね」
だから大丈夫だよと言うシュレに何が大丈夫なのかを問いかねて、リディルはつられたように曖昧に笑った。
---------------------------------------
坊ちゃんに似合う薔薇のお花を砂糖と一緒にくつくつ煮詰めて食べたいシュレでお送りしました(あれ?)
多分この薔薇はつたブルームーンだとおもう
サントリーのブルーローズあるけど新種すぎるから幻水的には青薔薇ってこのくらいが限度でいいかなって思いました