約束の代わりに
九十九と二人きりになった舞子は自分の思いを初めてぶつけた。
「私ね、決めたの。修羅の花嫁になるって。」
「バカ・・・」
頭をかいてそう呟く九十九に舞子ははっきりと言い切る。
「陸奥圓明流千年の歴史に敗北の二字はない・・・そう言った大馬鹿を・・・私は信じてる。」
そう目を瞑って言った舞子の横顔を眺めながら、九十九は大きくため息をついた。
「・・・ったく」
諦めたような様子の九十九を見て舞子はクスっと笑った。
「そうだ!お祝いあげる。」
「・・・なんだ、食いもんか?」
と、九十九からは相変わらずのボケた返答。
「いいから、目を閉じて!」
「目?」
「そう。」
不思議そうにしながら九十九は目を閉じた。
心臓が破裂しそうになり、体が震えてくる。
でも言葉ではとりあえず踏み込んだのだ。
彼からは決してしてくれる事のないだろう約束の為に、あともう一つどうしてもしておきたい事が舞子にはあった。
目を閉じた九十九をじっとみつめると、先ほど戦っていた時とはくらべものにならない程穏やかで幼いといってもいいような顔をしている。
震える体を押さえつけ、決死の覚悟で九十九の唇にそっと舞子は軽く自分の唇を重ね、すぐに離した。
俯いてから九十九の様子をそっと窺う。
唇をつけた瞬間、ビクっとして目を開けた九十九の表情を見て舞子は愕然とした。
俯いて眉根を寄せたその顔は迷惑、困った、そういった言葉がピッタリと合う表情をしていたのだ。
挿し絵_とまどい
分かってはいたつもりだった。
約束できないと言われた時に。
自分の感情が迷惑な事。
九十九を困らせてしまう事。
分かってはいても、ほんの少し期待してしまっていた。
ちょっとでも嬉しいと思って欲しかった。
でも、完全なる一人相撲だと改めて感じさせられてしまうと、あまりにもいたたまれなかった。
「あの、ごめんなさい。じゃあ、私やっぱり、外に行って・・・る・・・」
最後の言葉がまともに声として出て行かなかった。
体を翻して出て行こうとすると、九十九に腕を掴まれた。
「はな・・・して・・・」
もう隠そうにも涙声になってしまう。
≪泣き虫は嫌いだ。≫
昔にそういわれた事が思い出されて、なんとか泣くまいと耐えようとするが、もう既に涙は頬を伝ってしまっている。
「舞子、こっち向け。」
「・・・嫌。」
「・・舞子!」
強くそう言われると振り返らざるを得ない。
目線だけは背けたまま、九十九の方に振り返る。
「・・・・全く、お前は。」
ため息まじりにそう言われると、抑えようとしていた感情が溢れだす。
「め、迷惑だったんでしょ?だから大人しく帰ろうとしてるんだから、離して!」
泣くまい、泣くまいと思えば思う程涙が溢れてならない。
なんて無様なの。
勝手にキスして、勝手に期待して、勝手に泣いて。
なんて迷惑な女なの。私って。
九十九に呆れられても仕方ないじゃない。
「泣き虫は嫌いだって言ったろ。」
追い打ちをかけるような言葉にカッとしてまた叫んでしまう。
「だから、はな・・・・・・」
その声ごと九十九の唇に奪われた。
最初、ぐっと押しつけられていた唇が一度少し離れたかと思うと、もう一度今度は優しく、舞子の唇を捉えてくる。
あまりの事に強張っていた体から力が抜けていきそうになるのを、九十九がぐっと舞子を引き寄せ、腕の中にしっかりと抱きとめられてしまった。
挿し絵_抱きしめて
息ができなくなって思わず唇を離すと、今まで出した事のないような吐息が出てしまう。
「・・・ん・・・はっ」
舞子の頭の後ろに手を回して自分に向けると、その唇を九十九がもう一度奪いに来る。
今度はその上、舞子の唇の間を舌でなめられ、思わず唇を開くと、そこから九十九の舌がぐっと入り込んできた。
あまりの事に驚いて体をつき離そうとしても、しっかりと抱きとめたその腕はびくともしない。
「・・・んっ、・・・・んんっ・・・・」
九十九の舌はどんどんと深く舞子の口の中へと侵入し、彼女の舌を捉えると、激しく絡ませてくる。
「ボーイ、そろそろ・・・・」
と言ってテディ・ビンセントが隣の部屋から顔を覗かせた。
と、次の瞬間、
「あっと・・・・ごめんなさいね。」
そう言ってドアが閉まる。
そこでようやく舞子は自分がどういう体勢にあるのか理解した。
舞子の体は完全に九十九の腕の中。
足は地面につま先がわずかにつくかつかないかの状態。
九十九の片方の腕は舞子の腰に、片方は後頭部に、そして舞子の目の前には九十九の顔が・・・。
ドアの方に向いていた目線が舞子の方へと向き、舞子と目が合うと、さすがに照れたのか、顔に少し赤みがさした。
気まずそうに、けれどいきなり離して舞子がこける事のないように、そっと九十九が手を離す。
あまりの事で舞子が思わず背を向けると、
「・・・悪かった・・・」
そうポツリと九十九がつぶやいたのが聞こえた。
「悪くなんてないよ。すっごく嬉しかった。」
舞子が振り返ってにっこりとそう笑うと、
「・・・バカ・・・」
といつものように言われる。
でも、その九十九の顔がいつもよりも穏やかで、そしてちょっと赤いのを見て舞子は思わず微笑んでしまった。
修羅の花嫁に・・・。
なれるかどうかはわからない。
いつ帰ってくるか、帰ってこない事だってあり得る。
そんな状況で待っていろなんて九十九の立場じゃ言えないのかもしれない。
やっぱり今でも迷惑なのかもしれない。
でも、さっきの口づけは少なくとも好意が自分だけではない事を伝えてくれたから。
待っていられる。
いつまでも。
あなた一人を―――――。