輪郭が途切れ世界が滲む
ベンチに戻った瞬間足が崩れた。どれほどに虚勢を張っていてももう身体は限界で、気が抜けた瞬間それが出てきたのだ。
「降谷君!」
クラスメイトでもある友人の心配そうな呼びかけに、片手を上げるだけで大丈夫だと答える。よろよろと奥のベンチに座ろうと歩く。すれちがったときに、監督が頷き、指導者の先輩が優しい、労わるような眼でこちらを見てきた。
(よくやった、)
そう言われているのだと、すんなりと解った。微かに会釈したのは気付いてもらえただろうか。
その他にも、ベンチで迎えてくれた人の誰もが、ドリンクやタオルを差し出してくれる。認められていると、受け入れてくれていると、感じる。
――だから、こそ。
(くそ)
だからこそ、この結果が情けなかった。自分の失点などどうでもいい。評価がどうなろうと知ったことか。それよりも、チームが。このチームが。
(ちくしょう)
タオルを頭から被り、ベンチに腰を下ろす。アイシングに頭が回らない。一つ一つが普段の倍くらいに強い鼓動を刻む心臓。耳元でざわざわ血流が鳴る。腹と胸でぐるぐる回る熱が気持ち悪い。畜生、畜生。この夏は、最後の夏なんだ。自分がじゃない、数ヶ月自分を導いて、引っ張ってきてくれた三年生たちとの、最後の、
なのに。
(ちくしょう、――ぼくは、)
自分は一体――何を。
布の上からぎゅう、と握った拳で目元を押さえる。見っともなくて叫び出しそうになった。
(ぼくは、――)
「ふるや!」
「っ、」
がん、と耳元で音が鳴った。急速に世界に音が戻ってくる。観客の声援、グラウンドでのかけ声。その中で、一番高く響いた、
「ぁ、」
自分が口を開く前に、がつっと両手で頭を引っ掴まれる。強い強い力。ぐいっと上を向かせられて――至近距離のその黒と眼が合った。
「だいじょうぶだ、降谷」
「さ、わむ、」
自分より小さな、けれどタオル越しでも硬い皮膚が判る両手でこめかみ辺りを掴むように挟んで、彼はこちらを見つめていた。彼の、皮膚から立ち上る闘気が感じられそうなくらい近く、その真夏の太陽の黒点のような黒々とした眼が、自分を映す。
「大丈夫だ降谷。お前すごかったぜ。もう何も心配すんな、後は俺がやる」
「さわむ、ら」
切れ切れに名前を呼ぶ。仲間とだけは呼べなくて、ライバルと認めるにはあまりに眩しい、君の。
根拠なんて何もなく、証拠なんて何処もなく、彼は笑う。自信と、決意が溢れる顔で。
「任せろ降谷。お前を負け投手になんか、絶対しねえ」
ぐっと一度だけ、頭を掴んだ手に力を込めてから、彼は離れた。背を向けて戦場に歩き出す。もう振り返ることはない。
(ああ、)
息を吐き出す。眩しい、その背に。
(まかせた、よ)
するりと力を抜いて、ゆっくりと眼を閉じた。
輪郭が途切れ世界が滲む
(その先の、希望)
作品名:輪郭が途切れ世界が滲む 作家名:上 沙