私は窓辺に不向きです
ああ無理してるなあ、とくのいちは思った。
「こら、政宗!」
「ふんっ、ぼんやりしておる貴様が悪いのじゃ、馬鹿め!」
くのいちが足をかけた木の枝の下では、棍を持った幸村がべえっと舌を出す政宗を追いかけている。頭が冷える夜になればまたご無礼をだの大人げない振る舞いをだなどと悩むに決まっているが、どうもこの子供を前にするとその毎夜の反省もすっかり忘れ去ってしまうらしい。
普通なら例え(どれだけ鼻持ちならないちんくしゃな)年下だろうと、目上の人間に対する礼節を忘れるはずのないくのいちの主だが、どうにもこの子供にだけは勝手が違うようである。初対面の印象の悪さ(何と言っても天下分け目の合戦に乱入しやがったのだ)もあるのだろうが――肌が合わない、と言うやつかも知れない。いや、逆に合いすぎるから、か?
だがくのいちは、主には良い兆候である、と思っている。あるいは、思うようにしている。忍耐強いと言えば聞こえはいいが、我慢のしすぎのきらいのあって、人当たりはいいが内面がよく解らないなどと言う評価を食らうことの多い幸村にはこのように羽目を外す機会も必要だろう。
「でやぁっ!」
「ふんっ」
ぶんっと振った棍をひらりと避ける。黒髪の美丈夫と片眼の童がきゃんきゃんやっているのは可笑しな眺めと言えないでもなかったが、甲斐、もしくは奥羽ではそこそこ定着した光景になってしまった。
――が、しかし。
「ゆっきむっらさぁ〜まぁ〜」
がさっと顔を出すと、幸村と政宗は鬼事を止めて葉の茂った木の中から顔を出したくのいちを振り向いた。
「お館様がお呼びですよん」
「何?解った」
そう言って幸村はまた子供に向き直った。厳しい顔でびしっと言う。
「――政宗、大人しくしていろよ、いいな!」
「貴様に命じられる謂われはないわ、馬鹿め!」
「あーはいはい、このがきんちょはあたしが見てますから、幸村様は行ってください」
ふんっとそっぽを向く子供にまた何か口を開こうとした主を遮って、くのいちはその背を押した。この子供に口下手な主が叶うはずはない。
幸村が庭の向こうに消えて、くのいちは子供を見下ろした。年の割にもいささか小柄な少年は、ふいとくのいちから顔を逸らした。――その頬が、赤い。
「ちょっと」
「……」
「判ってんでしょ。幸村様が戻ってくる前に、その真っ赤な顔何とかしてよ」
くのいちは忍びゆえ、少年は王ゆえ、己の不調を人には悟らせない。鮮やかに密やかに――隠していることすら気付かせないよう。隠し事など、端から何もないかのように。そうでなければいけない。
くのいちだって幸村といる政宗を見なければ気付かなかっただろう。くのいちがこの世で一番気を張って見ているのは誰であろう、幸村だ。彼に瑕瑾も及ばぬよう、彼の必要とするものであれるよう。――だからこそ、彼が「特別」に突っかかるこの子供のこともいつも見ている。嫌だけど。嫌いだけど。嫌いだからこそよく見ているのだ。
いかにも渋々くのいちを振り向いた子供は、幸村が居なくなったことで気が抜けたのだろう、隻眼が僅かに潤んでいた。ありゃりゃ、とくのいちは眉を顰めてみせる。これはほんとに熱でもあるんでないの。
「口開けて」
言えば、政宗はむうと唇を尖らせたが、大人しく開けた。その八重歯の目立つ口腔に、ぽいと丸薬を放り込んでやる。子供は疑う素振りを見せなかった。敵ではないにせよ、同盟国でもない国の忍びに放られた薬を口に入れるその神経はひょっとしたら阿呆と呼ばれるものなのかも知れないけれど、こんなところで毒を放り込むほどくのいちが愚かでないことを子供は知っているのだ。
「しばらく舐めて、柔らかくしてから舌で潰して飲み込んで。苦いけど」
「――っつ」
ぐしゃっと顔を歪めて、けれど吐き出さずきちんと飲み込んだ子供に、おお、とくのいちは感心した。もっと苦い薬放り込んでやれば良かった。
「一時押さえただけだから、今日は早く寝なよ」
「うむ」
頷いた政宗に、じゃあね、とくのいちは手を振って、木の上に戻った。後はくっついてきてるあの過保護なのか尻に敷かれてるのかよく判らない片眼がなんとでもするだろう。
「くのいち」
「 、」
呼ばれて、くのいちは飛ぶために低くした体勢のままで止まった。葉に隠れて子供は見えない。見えなくていい。
「礼を言う」
「……」
それから、子供の気配が遠ざかっていくのが感じられた。――ああもう、本当に。
(あたしはこのがきんちょが、大っ嫌いだ)
私は窓辺に不向きです
作品名:私は窓辺に不向きです 作家名:上 沙