ヴィデオドローム
心を満たす温かいもの、それが無い代わりに、藤にはテレビがあった。地上波デジタル、ケーブルテレビ。垂れ流される電波は、緩やかに過ぎる蛇行を続ける脳波とリンクする。そして、黄色と緑色の波は、やがて繭となって少年を包むのだ。
世界の鍵、リモコンは、手を伸ばせばすぐのところにあった。いつだってそれは藤の枕元にある。いつだって、手の届くところに。
『hang it up, daddy,or you'll be alone in a quick…… hang it up, daddy,or you'll never get another fix……』
『ファミリーアニメ映画に、下半身のサブリミナル映像を挿入』
『その饅頭の中身、なんだと思う?』
『ねえ健二さん、私あなたを愛してる。愛してるけど一緒になれないわ……』
『これからは、記憶する人生だ』
『Where we're going, we don't need roads.』
ザッピングとともに、落ちていく精神。
*
「俺? ハデス先生」
ハンバーガーの包み紙の向こう側には、ぽかんと口を開けたクラスメートの顔が見えた。シャリ、シャリ、シャリ。ごちゃっと固まっていたレタスが青臭い。
――これは、そういえば、現実だった。
「お前……その冗談は、微妙だぞ」
「ま、まあ、先生に言ったら喜びそうだけど」
「おい、やめろ。想像しちまっただろ」
ズゥ、と、薄くなったコーラを啜った。美作がじっとりとした目でこちらを見ている。
「いいよな、イケメンはそういうことを何気なく言ってのけんだ」
「まあな」
アハハ、と、アシタバが呆れたような安心したような笑い声を上げた。
『俺はホラ、隣のクラスにいるだろ。吉田だっけ? ああいう奴がいい』
『美作君は女子ならみんないいんじゃ……』
ポテトを咥えながら考える。「冗談じゃ、ねえんだぜ」。そう言ったらどうなる?
『All is vanity.』
美作が首を傾げ、目の前で、フライドポテトの油でてかる太った芋虫のような手をブンブン振っていた。
「お前、大丈夫か?」
「まあな」
*
「なんだか、最近元気がないみたいだけど。寝不足かな?」
「まあな」
「……夢うつつ、だなあ」
白色のカーテンをバックに、先生は苦笑した。笑っても然程変わらない金色の目だが、けれど藤にはその違いが感覚でわかった。彼が笑うとき、常に冷たく光っている金色が僅かに屈折する気がする。理科の実験でやった、プリズムを通る光が曲がるような、そんなイメージだ。
先生は藤を見下ろしていた。白色をバックに、金色の目で。顔に掛かった銀色の髪の1本1本が、藤にはやけにくっきりと見えた。今日はなんだか妙に世界のコントラストがはっきりしていた。
『寝不足はよくないよ。特に藤くんたちはまだ成長期なんだ、身長っていうのは寝ている間に伸びるものだからね。もちろん保健室のベッドで寝てもらうことはその……僕は嬉しいけど、でもやっぱり睡眠は夜にとるのが一番なんだ。あの、差し出がましいようだけど、悩みとか、あるのかな? そそそそその、ぼ、ぼ、僕でよかったら悩みを聞いて……』
まるでテレビだった。
カッチリと嵌った色彩が、予定調和のように流れていく映像。どこか曇りがかって耳を通り抜け脳みそにたどり着く音声。藤はそれをぼんやりと見つめている。プラスチックの箱の中に、彼は入り込むことができない。
そう、奥の奥では、孤独を感じている。手を伸ばしても届かないのだろうと諦めている。それは、白色が、金色が、銀色が、液晶画面の向こう側にあるのもだと知っているからだ。震える手を伸ばしたって、コツンと音を立てて、指先がじぃんと痛んで、それでお終い。中身の登場人物たちは誰も同情なんてしちゃくれない。
「……聞いてるかい、藤くん? どうやら本当に寝不足みたいだ」
ぴとりと、冷たい感触が額に触れた。青白い肌。白衣から覗いたひび割れたそれに藤は目を見開いた。それは、液晶をすり抜けてこちらへと飛び出してきていた。
まさか。そんなことが。
「熱はないみたいだけど……」
冷たい肌から脈を感じる。藤自身もまた、心臓が自分は動いているぞと、生きているぞと、派手に躍動するのを感じていた。
『先生、好きだ』
『……え?』
『俺、先生のことが好きなんだ』
枕元にリモコンはない。チャンネルはいつまでも変わらない。
『人間の作った、最高で最低の発明がなんだか分かるか?』
『……』
『……テレビさ。テレビは情報によって人をあやつり、人から現実感を喪失させていく……そう、今やテレビこそが宗教なのさ』――
-------------------------------------
テレビがテーマなので、いろんなところから引用。すいません。