桜と幼馴染
声変わり真っ盛りの高校生らしい高い声。正臣は今日も騒ぎまくっている。そういわれて目の前に差し出されたチケットの色が、桜色をしていたのを見て、帝人は溜息を付いた。
「・・・紀田君、高校生のうちからそういうのに手を出すのはどうかと・・・」
女好き+ピンク=何か危ないもの 帝人の脳内には分かりやすい図式が出来上がった。
「は!? 何言ってんのお前!?」
正臣は本当に驚いた!! というような表情で帝人を見る。そしてその後、すぐに何かに気付いたように、にやにやとわら出した。
「はっはーん、お前さてはこれが何かいやらしいものだと勘違いしているな!! キャー帝人のエッチ!! 見たものをすぐにいやらしいものだと思うなんて!!」
「だってそうなんだろ?」
「ほら、よく見てみろよ」
帝人はぐいっと押し付けられたピンク色のチケットに目を落とした。冷静になってみてみると、それはけっしてその手の店のけばけばしいピンク色ではなく、落ち着いた、桜色と呼ばれるようなものだった。
「新宿・池袋発桜遊覧船チケット・・・?」
「そうだ!!」
正臣の説明によると、それは彼の知り合いからもらったものらしい。東京都の桜を遊覧船に乗りながら見るという、なかなかロマンチックな企画だった。正臣によると、特に一緒に行く相手もいなかったので、帝人を誘ったということだった。
「それって要するにナンパにしっぱい・・・」
「うるさい!!」
結局、正臣に押し切られる形で帝人は今、遊覧船の上にいる。男二人でこういう場所に来ることに文句を言ったりもしたが、視界に広がる桜は美しかった。
「すごく綺麗だね、紀田君・・・」
「ああ・・・」
桜というもの自体は故郷の田舎にもあった。しかし、そこで見た桜と、今ここにある桜はまったく違うもののように見えた。
その桜は正臣とも見たことがある。その時には何の話をしたのだろうか。あの頃はたわいの無いことばかり話していたような気がする。
「ねがはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらぎの もち月の比」
「は?」
「短歌だよ。どうせ死ぬなら桜の下が良いって。覚えてるか? 帝人」
正臣はそこで言葉を切ると、子どものような、大人のような、不思議な笑みを浮かべた。帝人の目の前にいる少年は、全体的に白っぽい。それはいつも着ている白いパーカーのせいか、それとも脱色した髪の色のせいだろうか。いま、ここで、儚い桜を背景に立つ彼の姿は、どこかに消え入りそうに見えたのだった。
「子どもの頃に言っただろ?」
その言葉と共に、帝人の意識は子どもの頃に帰っていった。
まだ正臣が帝人の故郷に居た頃の話だ。小学生の頃。正臣の髪が黒かった頃。
帝人が、そこではないどこかに非日常を求めなくても済んだ頃の話。
「なあ帝人、知ってるか?」
当時の自分は、正臣に憧がれていたのかもしれない。自分の知らないことを話し、自分とは違うものの見方をする彼に。
「桜の下には死体が眠ってるんだって!!」
他愛も無い怪談話。それでもその頃の帝人には酷く耳新しいものに聞こえた。
細かい情景は覚えていない。どうしてそんな方向に話が流れていったのかも覚えていない。その時からしばらくの間は鮮明に残っていたはずの記憶は、積み重ねられる記憶の中で、曖昧なものになっていた。記憶とは常に手のひらから零れ落ちていくものなのだと。握り締めようも無いものなのだと。時は過ぎ去りながらも少年たちに教えている。
「・・・ほんとに綺麗だな。桜」
「・・・そうだね」
正臣の儚さに、帝人は泣きそうになっていた。いくら自分が純朴だと、鈍いとはいっても、さすがに正臣に何かがあったことには気づいた。その何かが何かは分からない。それを悟らせるほど正臣は厳しくない。
それはもしかしたら自分が頂点に座っている組織に関係しているものなのかもしれなかった。誰も彼も、自分から離れていってしまったあの時。それでも正臣は帝人から離れずに居てくれた。
「っておい、帝人? 帝人君? えっ? マジ泣き? まじで泣いてんの? 帝人?」
帝人の声はどうしようもなく震えていて、言葉など発っせそうも無い。ただ、それでも、帝人は必死で言葉を紡ごうとする。この言葉はおそらく、今紡がなければ意味が無いものなのだ。
「ありがとう、正臣」
「は?」
「おねがい、正臣」
君は変わらないでね。
正臣がその言葉に凍りついたような表情をしたことにも帝人は気付かない。ただ、桜が花びらを散らすのと同じように泣きじゃくっている。正臣はどこか凍りついたような表情のままで、暖かい体温で持って帝人を包み込むのだった。