【真田主従】嫌いから好きのどんでん返し
「……」
今日から俺が仕えることになった武田の弁丸様。ソイツの行動に、俺は初めから驚くことになる。
なんとこの男は、一介の忍である俺に頭を下げたのだ。
「そういうのはいいですよ、弁丸様。アンタは俺より上の人だ、俺なんかに頭を下げちゃいけない」
そんなことも知らないで生かせられてきたのなら、随分と嫌われ者なのであろう。
そう考えたが、どうやら俺の検討は外れた。
「何故自分を守ってくれる忍を某が蔑ろにしなければいけないのだ。…今の日ノ本は些かおかしい」
疑問と、付け加えられたソイツの論は、なぜか俺を苛立たせた。
「おかしくないさ。今はそんなご時世なんだ」
もう敬語を抜いて、そっぽを向きながら話す。普通これでは首が飛ぶ程失礼な行いだが、そう思われたのならまた人里離れた地に逃げ帰るまでだ。
「貴殿の名はなんという?」
それなのに男は、気にした素振りもみせずに真っ直ぐと俺をみながら、そう問うのであった。
「ハア?アンタ本当に気がおかしいんじゃない、俺の名を聞いてどうすんのって」
この男は危ない、と瞬間俺は悟る。だってここまで、俺を動揺させる術をもってるのだから。
「名がなければ、呼べないだろう」
「忍と呼べばでてくる、わざわざ聞かなくてもいいだろ!」
「某は貴殿の名が知りたいのでござる、では云おう、これは命令だ」
なんてヤツだ、こんなとこで命令を使うなど、甚だおかしい。気が狂ってんじゃねえのとさえ思う。
だが、そう告げる時のコイツの顔は、苦々しい表情で、つまり権力を使うのを躊躇っているようにみえた。
「チッ………佐助」
「む?」
「佐助っていうんだよ…くそ、調子狂う」
あからさまな態度の俺に、そこで初めてソイツは笑った。とても子供らしい、無邪気な笑顔だった。
「そうか!佐助というのか!」
ガキの思考は分かんないモンだね、と悪態をついてみたくなったが、やめた。
これ以上は度がすぎる。
弁丸様が人を殺した。そう聞いたのは、ソイツがそれを行った次の日だった。
「まっさかー、あのお方が人殺しなんて……」
なんか騙されているような気になってそう言うと、忍衆の者達は、揃いも揃って苦い顔をした。
本当なのかよ、嘘だろ、なあ。声も出ず、だが次の瞬間、身体はアイツの部屋へと目的を定め、走り出した。
「弁丸様!」
「……何用だ佐助、後もう、俺は弁丸ではない、幸村だ」
落ち着いたトーンのその声と、口調を崩した「某」から「俺」の一人称。
「失礼、幸村様、アンタ昨日、何があったんだい?」
焦るような俺の言葉に、ソイツの顔にはサッと影が差す。
「不届きものを成敗しただけのこと。佐助は気にせずとも良い」
よくないだろ、と俺は考える。アンタ今でも死にそうな顔してんじゃねえか、辛かったんだろ。
「おいで」
これが許されることかはわからないが。何歩か近づいてきた幸村様を、俺は抱きしめる。
「アンタは若旦那だ、立派な、ね」
旦那の父も兄も、戦場でなくなった。それでもお館様のに最後までつかい逝ったのだから、少しでも浮かばれるだろうとそう言っていた旦那。だがそれはただのやせ我慢でしかなく、そして昨日は自分が命を奪う側の人間だと、気づいたのだろう。否、怪物だと。
……だが。
「アンタは紛れもない人だよ、例え血に塗れようと、その時は俺様が拭ってやるさ、心配すんな」
おどけた調子でいってみせたが、旦那からは笑いではなく、嗚咽が漏れた。
「すまない、不甲斐ない主で……ありがとう、佐助………」
そこにある顔は、猿(バケモノ)ではなく、まだ幼さの残る人の、旦那の顔だった。
「お館様ァーーーッ!!!」
「幸村ァーーーーーッ!!!!」
そこで始まった寸劇に始めてそれをみた俺は面くらい、そして。
「ヤレヤレ……」
本心からの笑みが、こぼれた。
アンタが海底まで沈んだとしよう、そしたら俺は、その腕を引っ張ってあげる。
何、とても簡単な話さ。
これは、バケモノから人になった男と、一人の真っ直ぐな人間の、ちょっとした昔話だ。
作品名:【真田主従】嫌いから好きのどんでん返し 作家名:涙*