疲れた時には甘いものを
こんなにも女王陛下からの憂いの手紙が立て続けに届くのは、もはや異例といえた。
大小様々な事件の為に、僕とセバスチャンは日ごと夜毎に捜査に明け暮れている。
それはもう、僕の表の仕事にまで支障を来たしそうなくらいに。
上級貴族の屋敷ばかりを襲って貴重な絵画や陶器、彫刻などを奪う盗難事件。
捕まえてみれば、成り上がりを狙う商人に雇われた泥棒で、
換金した金を大きな取引の資金にしていたものだった。
売り捌かれた先を洗い出し、海外のコレクターの手に渡ったものもあった為、
盗難品を取り戻すのに少々手間取ったが解決。
次は侯爵家に輿入れの決まった子爵の令嬢が出かける度に何者かに付け回される事件。
犯人は、当の侯爵家の母親で、息子が一目惚れをした令嬢が気に入らず、
嫌がらせをして、縁談をぶち壊しにしようと息の掛かったものに命じ、
令嬢を息子から引き離そうと画策したもの。
この母親は息子を溺愛するあまり、同じ手を使ってこれまでの縁談を悉く破談させ、
いまや息子は独身のまま40代に入ろうとしていた。
家柄が違い過ぎるだの、容姿が美しくないだの、自分と趣味が違うだの、
僕からみれば、全くもって下らない理由ばかりを上げての事だ。
息子への過剰な執着から、盲目的に、自分の気に入る相手でなければと思い込んだのだ。
母性というのは一歩間違うと恐ろしいものである。
その後、女王陛下からの家督の存続を優先するようにとの説得で、母親が折れて解決した。
他にも数件の事件に追われ、傍らでは、
会社の製菓部門の夏の新作の試作会議、玩具部門の新規商品の企画開発にと、
とにかく忙しく動き回らされて、僕はすっかり疲労の色を濃くしていた。
それらが片付いて一息つけるまでには、実に一ヶ月以上を要したのである。
その日の夕方、鬱陶しいほどに立て込んでいた用事からやっと解放された。
僕は執務机に突っ伏してボンヤリしていたが、
無償に甘いものが欲しくなり、ベルを鳴らしてセバスチャンを呼ぶ。
「坊っちゃん、お呼びでしょうか?」
ヤツは直ぐにやって来た。
「甘いものが食べたい。クリームをたっぷり使ったトライフルがいい。」
スポンジとたっぷりのクリーム、とりどりのフルーツに彩られたスイーツを思い浮かべる。
「いけません。もう夕食の支度を始めておりますのに。」
セバスチャンはきっぱりと断った。
しかし、疲れている僕にはスイーツが必要なのだ。
「ようやく書類の決裁も終わって、僕は疲れているんだ。
いいから直ぐに持って来い。」
「ここ暫く、そういう我が儘をおっしゃいませんでしたのに。
ダメです。今スイーツを食べると夕食をお食べになれなくなります。」
こんな遣り取りも随分と久しぶりの事だった。
昼も夜も仕事に追われて、セバスチャンとの何時もの言い合いもしていなかったのだ。
「僕は今スイーツが食べたいんだ!」
身体が甘味を欲しがっているから、こんなにスイーツが食べたいと思うのだ。
人間のそういうところを、悪魔である執事は理解できていない。
「紅茶かホットミルクでしたらお持ちします。
お菓子ばかり召し上がっていては大きくなれませんよ。」
痛い所を突いて来た。
あまり食が進む方でない僕は、
この時間に何か食べると、夕食が疎かになるのは確かだが、
だからといって、毎日そうという事でもないのだから構いはしないだろうに、
セバスチャンは口煩いのだった。
「甘いものがいいと言っているだろう!」
イライラするのも甘さを欲しているからだ。
分からず屋の執事に納得させたいと思い、もっと近くに寄るように手招きする。
「如何なさいました?」
執務椅子の直ぐ隣に来たセバスチャンは不得要領な顔をした。
僕は、ヤツの左手を掴んで口元に持って行くと、
白い手袋に包まれたままの人差し指を口に含んだ。
セバスチャンのこの手袋は、僕以外の人間の目の前で外される事は稀である。
何故なら、左手の甲には、僕がヤツの飼い主である契約の印が刻まれているから。
本来人目に晒さないものを隠すという意味において、
肌を隠す為に着る下着の様なものと言ってもいいのかも知れない。
それごと僕がヤツの指を咥えるというのがどういう事か、
果たしてヤツに伝わるだろうか・・・。
「坊っちゃん・・・。」
先程までの声と質の違う声でセバスチャンが僕を呼ぶ。
腰を屈めてきたヤツは、そっと指を引いた。
ヤツと僕の間にとろりとした銀の筋が伸びる。
「素直に仰って下さればよろしいのに。」
そんなもの、出来る事ならとっくにしていると分かれ。
心の中だけで反論する。
「こんなスイーツでよろしかったら、何時でも差し上げますよ。」
両手で頬を挟み込まれ、少しひんやりとした唇の感触を感じた。
始めは触れるだけで離れ、次第に角度を深くして、貪り合う様な激しさになっていく。
息も切れ切れで、鼓動は早くて、そしてこんなにも甘い。
「坊っちゃん、もっと召し上がられますか?」
問いかけと見せた確認の言葉。
「まだ全然足りない。」
セバスチャンの首に両腕を回せば、僕の体はふわりと持ち上げられて、
奥の寝室への扉が開けられる。
「お好きなだけ召し上がって下さいね。」
美味しく食べられるのはヤツなのか、僕の方なのか。
いや、どちらもが享受するのだろう。
やはり、疲れ切ってしまっている時には甘いものに限ると僕は思うのだった。
END
作品名:疲れた時には甘いものを 作家名:たままはなま