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莫迦は独りで夜に啼く

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暗く人気のない路地裏で、かすかに空気を裂く音がした。

小走りに走る人の足音が不意に止まり、代わってなにかがどさりと倒れる音が小さく響く。
綺麗に唇の端を吊り上げた男は、緩やかな足取りで路地へと踏み込んだ。


「流石…暗殺でもお手の物、ってわけか」
「…いたのかよ」
「ジルちゃんがどれほど使えるのかこの目で確かめる必要があったからね?ここまで非の打ち所がないとは思わなかったよ」
お兄さんいい犬捕まえちゃったなあ、と呟きながらくすりと笑う男に、それまで物陰に隠れていたもう一人の男がゆっくりと歩み寄る。

暗い色のフードを首を振っておろすと、月の光の下できらりと輝く銀色の髪が顕わになる。
先の男の胸倉を掴み目線を合わせ、低い声色で吐き捨てるように言った。

「どう使おうが文句は言わねえ…ただしお前が約束を守る限りは、だ」
「当たり前じゃない、わかってるよ。かわいいかわいい弟君にも何も言ってないし」
「……ならいい。これが終わったら、しばらくは用ねえんだよな?」
「んー、今のところはね」
「…そういって前も面倒な案件入れたくせに」
「だってジルちゃんに任せておけば安心だってことがよっくわかったからさあ」

にっこりと笑った男を睨み付けて溜息を付き、銀髪の男は手を離す。
離れた手を目で追った男は、白い指先から血が滲んでいることに気づき逆にその手を引いた。

「…なんだよ」
「爪、割れてる。ちゃんと切んなきゃ駄目だよ」
「あ?ああ」
「こんな綺麗な手を傷物にするわけにはいかないから、ね?」

薄い唇から赤い舌を覗かせ、指へと這わす。
まるで慈しみながら食べてしまうかのように、どことなく恍惚とした表情で自分の指に舌を這わす男を見下ろす銀髪の男。

その目は男の緩く後ろで結ばれた金色の髪に留まり、苦々しく細められる。





「…『綺麗な』その手を汚させてる奴が言う台詞かよ」
「はは、それを言われると弱いなあ」

指から口を離して妖艶に微笑んだ男から顔を背けるように、銀髪の男は月を見上げて顔を顰めた。





***





背を向けて去っていく銀髪の男を見送ってから、男はその反対方向へと足を進める。
懐中時計が示す時間は午前1時を回っていた。


路地を出て通りに控えさせていた車で向かった先はホテルだった。
一般人には手の出せないような法外な値段とそれに見合う一流のサービス。完全予約制であったが、男がそこを利用するのに予約を入れたことは一度もない。

車を降りてフロントを素通りする。
男に気づいた受付係は咎めの言葉を投げかけることもなく、ただ頭を下げた。




最上階のスイートへと辿り着いて、扉を軽くノックした。
反応がないのをいいことに何のためらいもなく扉を開けて中に入る。

「ルーイ、気分はどう?」
「……最悪だ」

奥に寝室があるにもかかわらず部屋の真ん中、ラグの上に力なく横たわっていた青年の頬を男はぺしぺしと軽く叩いた。
うっすらと開いて男の姿を捉えた青年の青い目は、溜息とともに再び閉じられる。
身に纏ったスーツはあちこち引き裂かれて白い肌が顕わになり、ところどころが白く汚れてべたついていた。

「たまには何も考えずに楽しめばいいのに」
「…冗談じゃない」
「俺が来る前にシャワー浴びようとか思わなかった?」
「面倒だ」
「やれやれ」
肩を竦めて青年の傍らへ座り込んだ男は、その白い頬を優しく撫でる。

青年はわずかに顔を顰めた。
「…お前もする気か?」
「してほしい?」
「どうせ拒否権はないんだろう」
「そうだね、理解のいい子は好きよ」
頬を撫でていた手を滑らせて、血色の悪い唇に指を這わせた。
青年は抵抗しない。

しかし男がそのままゆっくり顔を近づけると、わずかに押し返された。

「……」
「何?身体が汚れるのはかまわなくて、キスは駄目ってわけ?」
「…そ、ういうわけじゃ」
「もういまさらだよねえ。これ以上失う物なんてないでしょ」


それともここだけはいつまでもお兄ちゃんのものなの?


馬鹿にしたように笑う男の態度が癇に障ったらしい青年は眉間の皺をさらに深くする。
男があ、と思った次の瞬間には胸倉を掴んで引き寄せられ、噛み付くように口付けられていた。

青年の舌の動きは稚拙だが、まるで飢えた獣のような爆発的な勢いがある。
男は目を細めた。



――あーあ、可愛い。そしてなんて可哀想。



舌を絡めとって先端を吸い上げる。
唇を柔らかく食むと、焦点の合わない距離にある青年の金色の睫がふるりと震えた。







馬鹿な奴ら。
相手のために自分は汚れても構わないだなんて、そんな甘ったるい関係には反吐が出る。

一人の人間を想うなんて馬鹿なこと、どうしてする気になるんだろう。
一時の気の迷いから始まる気持ちの昂ぶりなんてものは、結局は痛みしか生まないって言うのに。

嗚呼、可笑しい。やっぱり人間なんて馬鹿ばっかりだ。







窓から日の差し込むスイートルームの真ん中に座り込み、男はくつくつと一人で笑う。


――その頬に伝う透明な雫の存在には未だ気づけていないらしい。















莫迦は独りで夜に啼く

(さあ、本当の莫迦は誰でしょう)














作品名:莫迦は独りで夜に啼く 作家名:あさひ