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首を絞める話

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 真夜中とも早朝ともつかない中途半端な時間に目が覚めることがある。そんなとき、隣りに臨也さんがいる場合になんとなく、僕がやっていること。そうっと体を起こし、寝ていてもやっぱりきれいな顔を見下ろして……彼の首に手をかける。

 指先に触れる肌はさらりと乾いているのに滑らかで、でもぼこりと出てる喉仏やうっすらと浮き出た血管なんかはちゃんと大人の男の人って感じで、自分でも理由が分からないけれど心臓の鼓動が早くなっていく。気づかれないよう起こさないよう細く細く息を吐いて、眠る臨也さんの顔を見る。本当に、きれいな顔だなと思う。いつだって思う。青白い瞼が下りて赤褐色の目が隠されてる様に意味もなくどきどき。ほんのすこし開いた唇の隙間から見える白い歯になんだかぞくぞく。背中から腰にかけて弱い電気みたいな感覚が走ってふるっと体が震えた。小さく吐き出した息は熱い。
「臨也さん」
 自分の耳でようやっと聞き取れる程度の声で呟く。それから、声には出さずにまた呼びかける。いざやさん、いざやさん、いざやさん。きれいな寝顔はただきれいなままで答えることはない。ああ、答えられても困る、かも。

 臨也さんの首に置いた僕の手が臨也さんの体温に馴染んだ辺りからゆっくりと、指に掌に力を込めていく。自分でも、どれくらいの力を込めているのか把握できないくらいに少しずつ、何かを確かめるみたいにゆっくりと、自分がやっていることの意味も理由も解らないのに、彼の首を絞める手の力だけはちょっとずつ増えていく。何をやってるんだろう何がしたいんだろう何が目的なんだろう何が何が何が────────何一つとして理解できないまま、痺れるくらいに真っ直ぐ伸ばした腕の先、白い色をした大人の首と吐き気がするような本性なんて感じさせないきれいな顔をただ見ている。

 込める力を少しずつ増しながら思い出すのは、金魚の話。水槽の温度を本当にちょっとずつ上げていくと中にいる金魚は水温の上昇に気づかず、そのまま茹で上がって死んでしまうのだとか。

(なんでそんな話を思い出すんだろう。いつも)

 解りそうな気はしてるけど、解りたくない。



 ……臨也さんの眉が僅かに寄って、薄い唇から少し苦しそうな息が漏れる。それが僕の中の終わりの合図。痺れて(他の理由で?)震える腕を無理矢理動かして彼と同じ温度になった手をどこかで惜しみながら離してそのまま、歪んでもきれいな顔が元のきれいな寝顔に戻るのを待つ。そうして臨也さんを見ながら思い出すのだ。ついさっきまで自分の手の内で感じていたものを、この人の熱を皮膚の感触を血管の脈動を。触れた肌は温かく、肌の下ではどくどくと血の流れてる感覚がした。
 首を絞めれば当たり前みたいに苦しがって、呼吸をせず生きることなんて出来ないこの人は、ただの人間だ。僕と同じように。決して彼自身が非日常の存在なのではない。それなのにそれなのにそんなことは解っているのに!

(僕は、あなたから離れたくない)

 臨也さんの周りには非日常が溢れてる。それだって、非日常に触れられることが普通のことになってしまったら日常に組み込まれて色褪せてくだけなのに……離れたくないと他の誰でもない自分自身が強く願ってる。
「いざやさん」
 見下ろす寝顔は、僕の葛藤など知ったことではないとばかりに(実際そうだけど)穏やかでそして、きれいだ。このきれいな顔の裏側を僕はとっくに知っている。彼が僕に、僕たちに、色んな人たちにしたことを、全部ではないけれど知っている。知っている。許したつもりなんてない、吐き気がする、酷い酷い酷い。そう、思っているのも本当なのに、彼がしたことを思うと自然と浮かんでくる笑みを抑えられない。
 とても、ひどい人。なんであんなことができるんだろう。おかしい。普通じゃない。普通じゃない。ありふれたことじゃない。どこにでもあることじゃない。こんなにもこんなにもひどい人なのに僕は────────

 思考を打ち切る。これ以上はまだ考えなくてもいいのだと自分が一番よく解ってる。ああそろそろ寝ないと朝ちゃんと起きられないや。

 そっと潜り込んだ布団の中は臨也さんの体温が移ってて温かい。体を寄り添わせてすぐ隣りのきれいな寝顔を見る。本当についさっきまで、彼の命がこの手の中にあったのだと思うと……腹の底が疼く。そんな自分をごまかすようにふるりと頭を振って、臨也さんの肩口に顔を押し付けて目を閉じた。





「おはよう帝人君」
「………………んー」
「朝だよ」
 シャッと何か聞き覚えのある音がしたと思ったら、急に視界が痛いくらいに明るくなって目が覚める。あ、朝だ。
「お目覚めかな?」
 窓際で目を細めながら臨也さんが笑ってる。さっきの音はブラインドを上げた音か。
「………はい。おはよう、ございまふ」
「おはよう」
 ベッドに近寄ってきながら臨也さんはくつくつと笑ってる。小声で、まふだってまふ、なんておかしそうに呟いて。この距離だから声の大きさなんて関係なく聞こえるんだけど、そんなことこの人は解ってやってんだろうなあ。
「今日は寝起きが悪いね。夜更かしでもした?」
「なんでそうなるんですか。僕、臨也さんより早く寝ましたよ」
「うん。それもそうだね」
 寝起きでぼさぼさな僕の頭を撫でる臨也さんはとてもいつも通り。強い視線は見下しているようなひどく優しいようなそんな色を湛えている。
「ご飯もうすぐできるから、二度寝もイタズラも駄目だよ?」

 自分の言いたいことだけ言ってやりたいことだけやって、臨也さんはあっさり寝室を出て行く。これも、いつものこと。何も変わらないただの日常。日常日常。何も変わりはしないのだ。変わってほしいものは変化など何一つ起こさない、変わってほしくないものほど簡単に変わってしまう。
 変化を促すのも止めるのもどちらも力が必要なこと。あの人には十分すぎる程あって僕にはまだまだ足りないもの。だから僕は、いつかくるそのときまで、何もなかったフリをして日々を過ごす。今はまだ動く時じゃないから。

 その「時」がきたとして自分が何をしたいのかも解らないまま、僕は日常を消費して生きていく。あの人のとなりで。

作品名:首を絞める話 作家名:ゆずき