My fair lady
コルセットの紐の結び目を解くと、坊ちゃんは大きく溜め息を吐いた。
「たかが仮装で、どうしてここまで本格的にするんだ。
19世紀の女性達はこんなものを一日中着けていたとは狂気の沙汰だな。」
今夜出席したのは、新作映画の公開を記念して行われた仮装パーティーだった。
ドレスコードは“19世紀”。
会場はそれらしい服装に身を包んだ参加者たちでいっぱいだ。
英国帝国軍の士官や、法廷弁護士の扮装をした者、
フロックコートなどの貴族然とした身なりの者達や、
貴婦人らしい華やかなドレスで着飾った者達のなかで、
一際目を引いたのは坊っちゃんの仮装だ。
何時もパーティーなどに着る衣装を依頼しているデザイナー、
ニナ・ホプキンスが手掛けたのは、
ヴィクトリア期後半の時代考証をした、
年若いレディの為の舞踏会用ドレスだったのである。
薄いピンクと白の厚手の絹の生地をふんだんに使い、
フリルをたっぷりと作って、黒のサテンリボンをあしらったドレスに、
同じ色の薔薇を載せた帽子を合わせてあった。
そのドレスの下に、これも彼女がデザインしたコルセットを着けさせられ、
坊っちゃんはご機嫌斜めだったのである。
「1㎝でも腰を細く見せる為なら息を殺す方を選ぶのが女性というものです。」
私は笑いながらコルセットの紐を緩めていく。
「大体、仮装なんだから女装である必要は無かっただろう。」
「ですが、よい話題作りになったと思いますよ。
その証拠に、新しい映画やドラマの出演への打診がいくつか参りましたし。」
今日のパーティーに参加していたプロデューサー、監督などからのものだ。
正式な依頼は、後日改めて所属プロダクション当てに届くと思うが、
この業界にはありがちなリップサービスなどではなく、
本当に坊っちゃんに出演してもらいたがっていた。
子役から徐々に青年になろうとしていく今、
新しいイメージを打ち出していくのは大事な事なのだ。
“子役は大成しない”というジンクスは、あながち嘘ではないのである、
子供の頃に沁みついてしまったイメージが定着しきってしまうと、
大人の俳優として使い難いのだ。
だから、ニナに“清楚でありながら妖しさのある服を”と依頼したのだった。
婦人用のドレスのデザインを持って来た時には驚いたが、
今までの雰囲気から一転させるのには大胆な手を打つのも良いだろうと了承したのだ。
出来上がって来たドレスは、全体的には清楚だが、肩を大きく開けたデザインで、
まだ中性的な体型の坊っちゃんが着る事で、
得も言われぬ背徳的な雰囲気を醸し出すものだった。
お蔭で、子役然とした役ばかりだったこれまでの依頼と趣の違う話が回って来たのである。
しかも連続ドラマの主役格なのだ。
両親を何者かに殺された良家の子息が、その仇を打つ為に家督を継ぎ、
それと共に、その家に課された裏の仕事も引き継ぐというもので、
実際の年齢よりも大人びた少年である設定の役だ。
演技の幅を広げるのには、とても適した役柄といえる。
私には、その少年と契約し、執事として仕える悪魔の役をどうかと打診されたのであった。
この話は、既に事務所の社長であるアンジェリーナ女史に通してあり、
坊っちゃんも大変興味を示していたので、正式にオファーが来れば受ける事になるだろう。
「あの“少年伯爵”の役の話が来たのもドレスのお蔭ですよ。」
そう言うと、坊っちゃんは少し複雑な顔をした。
「別にドレスを着なくても、ああいう役は来たんじゃないのか?」
確かに、何れは来たかも知れないが、
今のタイミングでこのオファーが来るのが大事なのである。
坊っちゃんの演技の幅を広げて子役からスムーズに大人の俳優になる為には、
新しいイメージが付くのは重要な事だ。
表と裏の顔を持つ、気難しくも憂いを帯びた少年伯爵。
これは、次のステップに上がるのには恰好のイメージであった。
コルセットの金具を全て外して脱がせると、坊っちゃんはホッと息を吐いた。
「やっと解放された感じだ。」
腰の括れを作る為に16本ものボーンの入ったコルセットを数時間に渡って着けていたのだ、
坊っちゃんにしてみれば、拘束具で締め上げられ続けていたのに等しかっただろう。
「お疲れ様でした。」
私は、ソファーにくずおれる様に座り込んだ彼の姿が可笑しくてクスクスと笑った。
「笑うな!僕がどれだけ苦しかったと思う。お前も着けて見ればいい!」
頬を膨らませて益々ご機嫌斜めだ。
だが、私は機嫌が良かった。
今、坊っちゃんが身に付けているのは、これもニナのデザインによる、
ドレスの下着用の、ぎりぎりヒップが隠れる丈のキャミソールと、
ガーターベルトの付いたストッキングである。
パンタレットは既に脱いでいた。
「これも鬱陶しい。」
そう言って、自分でストッキングをずらしてしまう坊っちゃん。
細い足の滑らかな肌が、腿から露わにされていく。
これで煽られないわけがない。
私は、坊っちゃんが座っているソファーへと誘われる様に近づく。
「坊っちゃん、そのお姿、そそられますね。」
そんなつもりは毛頭無かっただろう坊っちゃんは、
大きな瞳を更に大きく見開いて私を見上げた。
「は?お、お前、何を言っているんだ?!」
事態に気が付いて慌ててストッキングを上げ直そうとするが、もう遅い。
私はにっこりと笑って坊っちゃんを横抱きに抱き上げてしまう。
「お疲れでしょうから、このままバスルームにお連れいたしますね。
マイ・フェア・レディー。」
ここから先に何があったかは、私と坊っちゃんだけの秘密だ。
ベッドにくったりと体を沈める坊っちゃんは、
まだ熱の引ききらない目をして私を睨んで言った。
「もう二度と女装なんかしないからな!」
しかし、新しく受けた仕事によって、彼の決心とは裏腹に、
もう一度コルセットで締め上げられた体を、
監督が一目見て気に入ったのだと、この日のドレスに包む日が来るのであった。
それも撮影の為にコルセットを着けるシーンから。
坊っちゃんのその姿は、多くの視聴者の目をくぎ付けにし、
ドラマの中でも一二を争う高視聴率を叩き出す事になったのである。
END
作品名:My fair lady 作家名:たままはなま