猛獣の飼い方
2.流動的誘惑
ゆらゆら、ゆらゆらと揺られる身体。流れる景色と、自分の足がよく見える。
相変わらず、猫のまま。それだけだって十分不幸だ。けれど、現実は…この世で唯一嫌いな人間に、コンビニで買った弁当よりも適当に運ばれるという展開を見せてくれた。全く持って予想外。全く持って――
(最悪なんだけど…)
にゃあ、にゃあ
臨也は文句を口に出すが、捕獲者はこちらを見ようとすらしない。
それがまた、面白くない。鋭い爪で引っ掻いてやろうかと思ったが、きっと爪の方が折れるだろうと懸命な判断の下、ぶらぶらと運ばれる屈辱に甘んじる。
(これ、首の皮伸びちゃうんじゃないの?俺が不細工な猫になったらどうしてくれるわけ?)
にゃあ、にゃあにゃあ。
(君みたいに出鱈目な身体じゃないんだから、もっと丁寧に扱ってよね。で、どこいくのさシズちゃん?)
にゃあ、にゃあにゃあにゃあ。
(俺としては新羅のマンションに行きたいんだけど、これ逆方向だよね。気が利かないのは知ってるけど、ここまで壊滅的だといっそ見事だよ。尊敬する。シズちゃんすっごーい)
にゃあ、にゃあにゃあにゃあにゃあ。
「うるせぇ」
止まらぬ臨也の文句をそんな一言で一蹴し、男がようやく足を止める。
何があるのかと臨也は視線を上げるが、そこには古びたアパートがあるだけだ。
(…シズちゃんの家じゃん)
勿論、正式に招待された事など一度もないが、情報として頭には入っている(そして忍び込んで悪事を働いた事も幾度かある)ボロアパートの階段を昇る静雄の指先で摘ままれたままの臨也は、彼の行動の意図が分からず、痛んだ金髪をじっと見上げた。
視線に気付いたのか、静雄は何か言いかけて、しかしまた口を閉ざす。
(シズちゃん…?)
にゃあ?
「……っ、!」
掴まれた首にかかる力が強くなり、臨也は本格的に身の変形を恐れ身体を捩った。大した抵抗もなく解放が訪れたが、降り立った場所は既に静雄の部屋だった。
逃げる、というよりも好奇心が勝り臨也は部屋の中を一瞥して、一番上等だと思えるベッドの上を己の場所と勝手に決めた。飛び乗った際、目前の男が一瞬嫌そうな顔をしたものだから、尚の事この場所が気に入った。
パタリ、と真っ黒な尻尾でシーツの感触を確かめる。うん、悪くないともう一回。
パタパタと繰り返されるその仕草を見つめる男の目に宿る色に臨也はもう、気付いていた。内心で笑いながら、特等席から飛び降りてすぐ傍の足へ擦りよる。
町中ですれ違ったお節介達が望んだ、甘い声で鳴きながら。
(シズちゃん、猫好きなんだ)
にゃ〜ん
(殴ろうと思ったけど俺が猫だから殴れなくて、触ってみたら気持ち良かったから連れてきちゃった…とか?)
にゃ〜、にゃ〜
飛びきりの甘え声で鳴きながら、臨也は呟く。
(バカなシズちゃん)
にゃぁん。
それは、甘い甘い、罵倒の言葉。
「うるせぇんだよ!大体手前がっ…、猫なんかに……っっ、!」
声から蔑みを拾った男は派手に怒鳴る。…が、足に尻尾を絡めて鳴けばその勢いはみるみる弱くなっていく。
「にゃ〜」
「っ…、くそっ…無駄に可愛いんだよ!!」
自暴自棄に叫んだ声を聞きながら、臨也はゆっくり目を細めた。
(あはっ、シズちゃん。ほんっとバカだね)
鈴のような鳴き声が、部屋に響く。
鋭いナイフよりもこちらの方が余程攻撃的なのだろうと思えば、臨也は楽しくて仕方がなかった。
流動的誘惑
(抱きしめたくなる位、甘えてあげようか?)