愁いの花 第二章 傷痕
自分のせいで、スタズはいつも瀕死の状態に追い込まれる。
彼が傷つく度に、冬実の胸は激しく痛んだ。
彼女の心の中で、彼の存在が日に日に大きくなっていく。
もうこれ以上戦ってほしくない。
何故彼はそこまでして自分を生き返らせようとしてくれるのか。
ずっと疑問に思っていた事だ。
彼が目を離している隙に、自分が死んでしまった事に責任を感じているのか。
それとも。
彼は吸血鬼だ。本来ならば血に飢えた魔族。
生き返った後、血を求めて自分を喰らうつもりなのか。
冬実は首を振った。
いや、そんな人ではないと思いたい。
今まで命を懸けて自分を守ってくれた人だ。あの人を信じたい。
だから今日こそは・・・。
歩きながら物思いに耽っているうちに、ドアの前に着いた。
ゲームの音すら聞こえない静かなドアを前に、冬実は一呼吸置いてからノックした。
「誰さーん?」
いつもと変わらない吞気な声がした。
「冬実です。入ってもいいですか?」
「どうぞ―。」
ドアを開けた瞬間、目に映ったのは。
水に濡れて輝く黒髪、上半身は裸で身に着けているのはズボンのみのスタズの姿だった。
お風呂上りなのか、頭髪をタオルで拭いている。
「きゃあ!!」
思わずバタン!と勢いよくドアを閉めてしまった。胸の鼓動が激しく鳴っている。
「何だよ、用があったんじゃなかったのかよ。気になるじゃねーか。入れよ。」
「はい・・。」
相変わらず乙女心が分からないような物言いだが、冬実は遠慮がちにそっとドアを開けた。
「あの、サティさんと豆さんからお花を貰ったんです。スタズさんのお部屋にもどうかと思って・・・。」
「ふぅん、豆次郎も洒落た事をするんだな。そこのテーブルに置いといて。」
冬実は部屋の隅にある小さなテーブルに花瓶を置いた。
視界の端にどうしてもスタズの身体が入り込む。
玉のような光る水滴が、彼の黒髪を伝って流れ落ちる。
微かに濡れた逞しい胸板、引き締まった筋肉が纏う腕。男らしい均整のとれた体。
まるで絵に描いたようなその姿は、普段とは違う男の色香を匂わせていた。
「お前、何そっぽ向いてんだよ。」
「え、別にそんな・・。」
「変な奴だな。急に黙りこくったり、慌てて視線を逸らしたり、その癖直らねえのかよ。」
ちょっと不貞腐れたようにスタズは背を向けて、再び頭を拭きはじめた。
「・・・・・。」
最近、何故かスタズの事を意識してしまう。どんな時も、つい彼の姿を捜してしまうのだ。
大柄ではないが、鋭利な矢をも撥ねつけるようなその屈強な背に、冬実はどこか危うさを感じた。
どんなに強大な力を持つ吸血鬼でも、油断すれば命を落とす。
たとえ傷が癒えたとしても、数々の戦いを潜り抜けてきたその背は、見えない血を流しているように見えた。
少女の右手の細い指先が、スタズの背に触れた。
「・・・!」
滑らかな指先の感触とゾクリとした感覚が少年を襲う。
「傷・・治ったんですね。あんなに酷かったのに。痛かったでしょう?ごめんなさい、私の為に・・・。」
少女の目に涙が滲んだ。
「気にするなよ、大した事じゃない。」
「どうしてスタズさんは・・ここまでして私を生き返らせようとしてくれるんですか?」
それはスタズにとって、あまり聞いてほしくない質問だった。
「まあ、俺が油断したせいで、お前が命を落としちまったからな。ほっとけないというか、何もしなかったら後味が悪いんだよ。」
咄嗟に適当な事を言ってしまった。彼自身、理由はまだ分からない。
ただ、確かな事は・・・。
「もうこんな無茶な事はしないで下さい!スタズさんが傷つくのはもう見たくないんです!!」
この少女にしては思いもかけない強い口調だった。
「私、自分の事しか考えていなかった。あなたが私の知らない所で戦って、倒れる姿が目に浮かんで、どうしようもないんです。」
スタズは形の良い眉を顰めた。
「あなたがこんな目に合うのなら私・・・!」
「冬実。」
少女の切実な思いを静かな声が遮った。
「今頃そんな事を言うな。お前は決めたはずだ、自分は生きると。自らの選択が間違っていたっていうのかよ。」
少年の背に縋るような、冬実の白い指先が震える。
「一度決断した事は最後まで貫け。何があっても目を反らすな。生きるって事は甘えもんじゃねえんだよ。」
強い者だけが生き残る、弱肉強食の魔界で生きてきたスタズだからこそ言える事だろう。
だが冬実は人間だ。周りの者が傷つき、苦しむのを見るのは心優しい彼女には耐え難い。
「スタズさんが犠牲になるかもしれないの・・に・・・・?」
「犠牲じゃねえよ、俺は・・・。」
不意に冬実の華奢な体がぐらついた。
「お、おい!」
妙な気配を感じ、すぐ振り向いた瞬間、後ろに倒れそうな冬実の姿が目に飛び込んだ。
抱きかかえようとした時、バランスを崩して側のベッドに二人とも倒れこんだ。
作品名:愁いの花 第二章 傷痕 作家名:rena