周極星
答えを聞くのは怖い。
けれど、一度この胸の内に湧き出た感情の名に、
どんなに知らない振り、そして気づかない振りをしても、
どこかの段階で、何らかの答えを出さなければならない時はやって来る。
何時までもこのままでいる努力をする方がお互いの為なのかもしれなかったが、
僕の心は、もう溢れて止まらず、沈黙しているのは無理だと分かった。
だから、告げる事を選んだ。
窓から見えるのは本物の星ではなく、街の明かりの瞬きだけれど、
星を集めた様なこの光を10年以上も護り続けている彼には、この景色が似合うと思う。
部屋の間接照明をなるべく落として、僕達は窓辺に座ってワインを飲み交わしている。
今日の出動の事、視聴率と結婚しそうな敏腕女性プロデューサーと彼の親友の話、
彼の事務処理の遅さの原因、他愛ない事を取りとめも無く話す。
そして、ふと会話が途切れた時に、僕は言ったのだ。
「虎徹さん、僕は貴方が好きです。」
“おしゃべりは銀、沈黙は金“というけれど、それでは何も動かない事もある。
今がその時だった。
ドキドキしてしまうかと思っていたのに、言葉はするりと唇の間から漏れた。
見開かれる虎徹さんの目が、揺れている。
「お、そうか!おれも好きだぜ、バニー!」
分かっていない振りをしようとしても、僕には瞳の色で分かる。
この少し深くなった琥珀は、大人の顔をする時の色だ。
嘘は壊滅的に下手なこの人は、隠し事はやたらに上手い。
そして、こんな風に狡い。
年上だからとか、子持ちだからとか、いくらでも逃げ口上はあっても、
それでは僕が納得しないと知っていて、気づかない振りで逃げようとする。
けれど、僕は彼を逃がす事は出来ないのだ。
「虎徹さん、僕がそういう意味で言っているのでない事は分かっていますよね。」
ワインの残ったグラスを置くと、彼の頬を手のひらで包んだ。
虎徹さんは一瞬体を強張らせ、僕から目を逸らす。
「・・・。」
適度にアルコールの回った彼の頬の熱に、僕の掌は溶けだしてしまいそうだ。
ゆっくりと顔を近づけていく。
囁く声音でもう一度彼に告げる。
「好きです、虎徹さん。愛しています。」
耳が痛いほどの沈黙の時間が流れる。
やがて細く長い息を吐いて、虎徹さんの眼差しが僕へと帰って来た。
じっと僕の目を覗き込む。
僕も彼の瞳の奥を窺う。
拒絶される可能性も充分に考えていた。
ただ、彼は誤魔化さないだろうという理由のない確信が、僕の胸にはある。
それは、バディとして過ごしてきた年月の中から導かれた答えで、
彼風に言えば、“勘”だ。
でも、それはきっと正しい。
虎徹さんの目がそれを物語っているから。
深い琥珀色から、今や金に近い色に変化している瞳。
本気を出す時の色だった。
「バニー。」
絞り出すような低い声で僕の名を呼んだ。
彼は、今、僕に答えを聞かせる。
心臓がどくどくと早い鼓動を刻む。
どんな答えであっても、僕は取り乱さずに受け止めようと思った。
僕が自分を見つめ直す為にこの街を離れていた一年、
ずっと心に温めていた想いに、彼はいい加減な気持ちで答えを出したりしないから。
「はい。」
声が少し上擦ったかもしれない。
虎徹さんは、手に持っていたグラスを緩慢な動作で窓際に置いた。
「俺も、お前が好きだよ。」
覚悟していたのとは違う答えに僕は驚いてしまったが、
その言葉の意味が脳に伝わった瞬間、脊椎反射の様に体が動いていた。
虎徹さんをこの腕に強く抱きしめていたのだ。
「虎徹さん!」
僕としたことが、言葉が続かない。
色々と語彙を探ってみたけれど、
この感激を他のどんな言葉でも表せそうになかった。
「嬉しいです!」
虎徹さんは、そっと僕の背中に腕を回してきた。
言葉は無くても、その行動だけで理解できる。
彼の本心なのだと。
「とうとう俺にこんな事言わせやがって。もう後戻りは出来ないぜ。」
困ったような小さな声が、耳の真横で聞こえる。
僕だって悩んだけれど、彼には背負うものが多いのだ。
性別、年齢差、家族の事など、沢山の障壁を超える為に、
この人は、どれ程に迷って僕への想いを肯定してくれたのだろう。
虎徹さんは僕の事を生真面目だというけれど、
彼自身の方が本来、もっと生真面目に生きている人だ。
迷路は深く、暗かっただろうに。
それを思うと、愛しさは一層強くなる。
「僕は後戻りなんてしませんよ。貴方が一番よく知っているでしょう?
20年も掛けて両親の仇を追った執念は伊達ではないんです。」
そう言うと、虎徹さんは小さな笑みを零した。
「そうだったな、バニー。
お前は、いつだって前を向いて歩いていく奴だ。
一人でよく頑張ったよ。」
それを言うなら虎徹さんの方こそだと思った。
この人は、何時でも未来だけを見て歩む。
どんな逆境に置かれても、明日をあきらめたりはしないのだ。
必ず道は開かれると信じて突き進む。
だからこそ、ロートルと言われていた時期にも熱心なファンがいたのだろうから。
決してぶれない生き方は、時に不器用だけれど、それでいい。
そこがいいのだ。
沈むことなく、定位置に坐して人を導く星、周極星のような人なのだ。
僕もまた、彼に導かれた者の一人といえる。
「虎徹さん、愛しています。」
彼の耳に、思いの深さを知らせるように囁いた。
「うん。俺も・・・愛してるよ。」
虎徹さんが僕の背中に回した腕に力が籠もる。
高めの体温が、僕に染みてくる嬉しさ。
首元に顔を埋めるようにすれば、愛用のコロンのラストノートが鼻をくすぐる。
「虎徹さん、キスしても?」
彼の体が一瞬強張った。
「だっ!そういうのは一々聞くものじゃないだろ。
雰囲気でっていうか、流れでっていうか、空気読んで・・・。」
その先の言葉は、僕の唇が塞いでしまった。
朝、目が覚めると隣に愛しい人が居る幸せ。
それは魂に刻み込まれる記憶だ。
僕はこの日の朝をどんな時にも忘れる事はないと思った。
END