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Dinner

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そのフレンチの店は―フレンチ、という言い方からして逸人には少し面映ゆいのだけれど―もうずっと長いことシャッターが降りて、張り紙が貼られたままになっていたのだった。店主急病により暫くの間休業いたします。雨に濡れないようビニールで包まれていた張り紙は、もうすっかり色褪せ、黄ばんで、ビニールにはところどころ穴が空いていた。
その店は逸人の自宅近くにあった。商店街の外れの、こぢんまりとした店だった。朝夕の通りがけに目に入るシャッターを逸人はなんとなしに眺めながら、ふと、この店はいつからここにあって、いつから閉まっていたのだっけ、と思うことがあった。どちらも、どうにも思い出すことができない。ぼんやり考えているうちに、いつのまにか彼の思考はあすの職員会議とか、きょうの夕食とか、あるいはもう少し面倒ないろいろへと移っているのだった。
「あそこの、あのフレンチのお店、開店したんだね」
「ああ、そうね」
逸人の言葉を鈍はさほど驚いた様子もなく聞いた。地元で店を経営している身で、逸人よりも商店街の事情に通じているのは当然のことだろう。長いこと肝臓を患っていた店主がようやく回復したらしいと、鈍は教えてくれた。
その日、学校から帰る途中で、逸人は、あの店のシャッターが上がっているのを目にしたのだった。店内には淡い灯りがともっていて、何組かの客たちがテーブルについていた。逸人は足を止めて、少し離れたところから、窓の中の穏やかな灯りを見つめていた。
店の前を通り過ぎた後でも、なぜだかそわそわした気分が抜けなくて、その足で逸人はユグドラシルを訪れたのだった。
「ずっとお休みのままだったから、びっくりしたよ」
「そうねえ、もう四年近く休んでらしたかしらね」
「ご主人、元気になられてよかったね」
「そうね」
いつも使う鋏やブラシの手入れをしながら鈍はのんびりと答えて、それ以上話を広げてくることはしなかった。逸人は少しの間黙って、出された紅茶をすすってから、言った。
「よかったら今度行かないか。皆で」
「あら」
鈍はやはりのんびりとした声で言った。逸人の申し出を、さして意外に思ってもいないような様子だった。
「いいわね」
鈍は少し顔を上げて微笑み、それからまた手元に顔を戻して、細い鋏を布で磨きながら、いつにしましょうか、と続けた。
三人分の予約を逸人が入れる手筈になり、彼はその予定を手帳に書き込む。奥に電話帳があるから、場所分かるわよね、番号調べて。そう言われて逸人は椅子を立ち、店のカウンターの中へ入った。
電話帳のページを捲りながら、逸人は、少しだけ緊張していた自分のことを思った。いまもまだ、少し緊張していた。慣れないことをして、それが、拍子抜けするほどにふつうにできた。ふつうにできたのは、鈍がちっとも驚かなかったせいもあるだろう、と思った。
鈍はもう、かつてのようには、逸人の一挙一動を気にかけていない。わずかな変化を拾っては、叱りつけたり、眉をしかめて非難したりすることはない。彼のちょっとした緊張に気を取られて、いつもの仕事の手を止めることもない。
昔のようにやさしくはない。
それは、自分たちにとっていいことで、それでいいのだ、と逸人は思った。

俺はね、身なりに気を使わなきゃならない店って、実際あんまり好きじゃないね。
そう言いながら、経一は誰よりもはしゃいだ様子で、一張羅のジャケットの襟をぴんと伸ばした。
新規オープンしたばかりの店には、平日の夜といってもそこそこ客が入っていて、予約を入れたのは正解だったと逸人は思った。コースの料理もワインも、どれもとても美味しかった。味にはさっぱり疎い逸人でも感嘆してしまうほどに、細やかでやさしい味だった。
食後のコーヒーを飲んでいると、小柄で柔和そうな顔をした店主がテーブルの側へやってきた。店主はていねいに身を屈めて礼を述べた後、少し気恥ずかしそうな面持ちで切り出した。
実は、この度の新規開店記念で、町の広報誌に記事を載せて頂けることになったんです。お差し支えなければ、これから店内の写真を撮らせて頂いても、構わないでしょうか。
三人は、よろこんで、と快諾した。
それから一週間ほど後、店の記事を載せた広報誌が発行される。記事には二枚の写真が添えられている。厨房に立つ店主と、食事を楽しむ客たちの様子。二枚目の写真の片隅に、三人の姿が写っている。
小さな写真のほんの片隅だけれど、とても穏やかでくつろいだ微笑みを浮かべながら、三人は確かにそこにいる。
作品名:Dinner 作家名:中町