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煙草とキスとソーダ水

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 彼とのキスは、いつも苦い。
 彼が、俺の上唇に噛み付いた。そしてそのままはむはむと食べられる。俺はそのまま彼の下唇を唇でなぞって、そ、と食んだ。ちゅ、と離して、唇を合わせる。彼のぬるぬるした熱い舌が、つつつと歯の形を丁寧になぞる。伏せられた彼の瞼。男の癖に長い睫毛が、肌にゆるく影を落とす。じい、と見つめていると彼に怒られる(以前彼の顔を食い入るように見つめていたらそのままがぶりと噛まれた)ので、名残惜しいけれど視線を逸らす。互いの唾液を交換するように、深く、深く、深く、貪り合う。重力に従って、唇の端っこから唾液が漏れ出たけれど、そんなことは大した問題ではないのだ。
 あぐあぐと、噛みあうようなキス、まるで肉食獣、捕食者同士のキス。気を抜けば食べられる。そんな、キス。彼とのキスは危ない。段々脳味噌がぼうっとしてきて、力が抜けてって、仕舞いには目なんかもとろんとしてくる。そしてそれをしたり顔で彼は眺め、その怪力で俺なんかを、まるで女の子のように扱い(これは本当に腹の立つことだ)、ぼすんとベッドへ横たえ、そして美味しく頂いてしまうのだ。このとき更に悔しいことに、動作が、まるで壊れ物でも扱うかのように丁寧なことも問題である。そのとき俺が、じぶんがまるで精巧で繊細な、硝子細工のようなものになってしまったような錯覚を覚えることも、また問題である。
 合間に素早く呼吸をするのだけれど、中々追いつかない。息が上がる。恋愛感情だけではない心拍数の上昇。苦しくなって来て、彼の首周りに回していた腕を離し、彼の衣服を引っ張る。と、最後に舌の先っぽをちょこっと噛まれて、ちゅ。とかろく音を立てて唇と唇とが離された。細く伝う唾液の糸が、妙にやらしく映る。舌の先が、じん。と、痺れた。
 痛いんだけど。俺が口周りの唾液を拭いながら、不機嫌さをすこしも隠さずぶっきらぼうにそうゆえば、彼は飄々として、噛んだんだから当たり前だろ。なんて応える。ムカつく。シズちゃんに噛まれるとか、冗談にならないからね。血とか出たらどうすんのさ。そんなことをぎゃんぎゃん喚いてみても、彼は実に余裕のある表情(まあこれは故意にしているのではなく無意識だと思うが)をして、俺の唇の端っこに付いていたらしい唾液を指の腹で拭った。そしてそれをさり気無くぺろりと舐めて、ポケットの煙草へ手を伸ばす。天然だ。天然タラシだ。俺は密かにそう思った。
 カチカチカチ。ライターの音がやたらに響く。ねえ、それ、ちゅうすると苦いからやめよーよ。彼は一瞬面食らって、そしてその直ぐ後に、ああ。とゆう風なカオをした。止められるモンならとっくに止めてるっつーの。彼はそうゆったきり、煙草を唇の隙間に捻じ込んだ。ふう、と、吐き出される煙。それがまた彼の余裕の象徴のように思えて、僅かばかりの苛つきを覚えた。ちょっと、貸して。は、え?ばっ、と彼の唇から、火の付いたそれをもぎ取って、じぶんのそれに挟む。そして、すう。と、深く息を吸い込んで、肺を煙で満たす。ぐるぐると駆け巡ったら、ゆっくり、ゆっくり、深く、吐き出す。
 お前、吸わねーんじゃなかったの。彼がほんのりと可笑しみをこえに混ぜてゆう。うん、吸わない、つもりだった。吸ってんじゃねーか。うん、にがい。苦々しく率直な感想を述べたら、彼はぶはっと盛大に噴き出した。何がそんなに面白いのかが判らない。不愉快だ。俺はとてもつまらないのに。むっすーと膨れて拗ねてみせる。こんなんでは彼は慌てやしないだろうけれど、良い。別に、良い。俺のきぶんの問題だ。彼はひいひいと笑いながら、俺の指から煙草を奪った。オコチャマには未だ早いんじゃねーの?唇の端っこを歪めて彼はゆう。実に、実に不愉快だ。なんなんだ。いつもはもっと、もっとこう、俺の方が優勢ではなかったか。ムカつく。ムカつくムカつくムカつく!
 俺は近くに置いてあったソーダ水をがぶりと口に含め、そしてそのまますこし背伸びをして、乱雑にキスをした。しゅわしゅわ、と弾ける感覚。甘さがころころと舌先を転がり、柔らかくくすぐってゆく。先程の舌先の噛み跡が、ちりちりと痛んだけれど、そんなことも気にしていられなかった。彼はその相貌をまんまるうく開いて、驚きのためか、僅かにソーダ水は唇の端っこから漏れ出ている。ごくん、と咽が鳴ったのを見て、俺は満足気に唇を離した。
「どーだ。こーすれば甘いでしょう?」

(だけれどそれでも彼は爆笑した。何故だ!)
作品名:煙草とキスとソーダ水 作家名:うるち米