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運転手が外からまわりこみ、ドアを開ける。さっきまで江戸のアイドルPV上映会をやっていた車中のスクリーンをつけっぱなしのまま、栗子も、同じように思い思いにおめかしした友達たちも、次々車から降りた。夜の、湿った川のにおいが一瞬、かすかにする。なんだかはずかしくて、ちょっと離れてとめさせた、そこは火力発電所跡地の一部が改装してあって、すでに人々がつめかけている。殺風景な外装だけでは、何がそこまで彼らをひきつけるのか想像するのは困難だが。じゃれあいながら近づいていく栗子たちはハイテンションに見えるが、エントランスで黒山のごとくむらがる、それぞれ微妙に排他的なグループたちをそれとなく気にもしている。運転手をしていたのは栗子の父親の若い部下で、山崎退だ。江戸市民が秘密警察と恐れるある公安団体の、見るだに暑苦しい制服を着用している。彼はあわてて駐車してきたかと思うと彼女たちの脇を抜け、整理ロープを躊躇もなくまたいで中に消えていく。彼は群集をかきわけてドリンクチケットを手に走って戻ってきて、何枚かずつ渡す。栗子が言う。
「ありがとう、ここまででよくてよ」
帰りはタクシー拾うからどうぞお帰りになって。口調こそおっとりしているが、ついてきてほしくなくて、うむを言わせない必視線だ。引率つきの夜遊びなんて、楽しいわけがない。はとバスじゃあるまいし。だいたいこの手の遊び場所のお開きが予告どおりだったためしなどない。父親にかすめ取られてしまったフライヤーの営業時間に合わせていたら、一番盛り上がっているときに帰らなくちゃならない。
山崎がためらう間に、三人の娘たちはさっさと用心棒というかドアマンというか、それらしい係のいるほうへ、ヒールの音も高らかに、歩いていってしまう。この集まりには厳格で、完全に主観的な、ドレスコードがあるので有名だ。どういう基準でかは定かでないが、美しい人間以外の入場を制限している。もちろん、彼女たちはらくらくパスするつもりでいるし、実際そうなった。去年の夏に来ていた時は、ここの用心棒に魂の姿を見ることができるとか自称するオカルティックな男がいて、客の魂の美しさを審査していた。イワン王国の門番のつもりだったのかしら?しかし彼は、フレグランスを江戸砂漠に咲く花の香りと思い込んだため、女の子は全員、魂面においてほぼノーチェックで入れた。今年はいない。かわりに今度は魂の音色が聞こえるとかいう全身黒ずくめのサングラス男がおり、横切りぎわに三人まとめて”POP”と評した。わざわざ教えてもらうまでもない。
「良い夜を」
「あなたも」
入り口を通過すると、狭い廊下にはホールからヒップなビートのうねりが漏れ出している。「今夜こそ男の子の友達を作る!」並んで進む三人の中の一人、新人ホステスをやっている花子が、腕をぐるぐる回しながら意気込む。栗子はもうひとりの連れ、愛の窃盗犯エロメスと顔を見合わせて含み笑いする。そう思うなら花子、ちゃんと周りを見なさいよね。あんたはすぐはぐれて踊りに行っちゃって、男の子が声をかけてきたって気づきもしないじゃないの。「うそや、それいつのこと?」花子が恨めしげにする。いつもですわ。ダイアローグみたい、私たちのやり取り、と栗子は思う。幕が開いてすぐの。ざわめいていた劇場が、だんだん静かになっていくの。だけどこの先にあるあの大きな扉を開けたら、音楽のボリュームと高波のように打ち寄せる人いきれのせいでせりふは聞こえづらくなってしまうだろう。ヒロインの役じゃなくていいから、私が今夜の江戸の夢のなかにいられたらな。黒髪のショートの後ろ頭を膨らませながら隣を歩くエロメスは、あえてキャッツばりのやりすぎカエラ・ぎりぎりコーデで今夜、最近耽溺しがちなネオロマンスゲームをさらに超えた、妄想の追体験を探求する構えだ。見かけだけなら素朴系はもうとっくに卒業しているのに、花子は今さっきの思いつきをやっぱりついつい忘れて、きっと踊り明かす。体のどこかに宿る神性がそうさせる。
All The Girls Wanna Be Me