晴れ、のち紅葉
朝一番にリヒテンシュタインと顔を合わせ、
おはようの後にスイスが自衛についての一句を添えるのが二人の常であるはずなのに
今日に限ってはスイスは何も語らない。
おはようの一言すらも。
「…あの。おはようございます」
沈黙に耐えかねたリヒテンシュタインの方から先に仕掛けた挨拶にもなかなか反応を示す事はなく。
兄にまだ睡魔がとりついている事を疑ったリヒテンシュタインがスイスの顔を覗き込むも
その表情は睡魔どころか真剣一筋であり、深い思考に陥ってるように見えた。
「…兄さま……?」
再度声をかけてみると、やっと目の前のリヒテンシュタインの存在を思い出したようで
「あ、……あぁ、おはよう…」
口ごもりながら、力ない挨拶を返してきた。
心ここにあらず、という表現がまさに当てはまる様相。
挨拶に始まったスイスのおかしな挙動はその後しばらく続き。
朝食もその後の片付けも、日々の仕事も自衛の自宅講習も何事にも手がつかないようで
たまにはっと動きを止めては、何かを考え込んで、そして首を振っては俯いての繰り返しだった。
どこか体調が悪いのかと尋ねたリヒテンシュタインの問いかけに
きっぱりと否定はしていたが、やはり返答までにはそれなりの間が合った。
そんな感じで昼を迎えてから数刻。
家事も一段落を終え、リヒテンシュタインは雲ひとつ無い青空の下で庭の椅子に腰掛けてほっと一息をついていた。
風はすっかり春めいて暖かい。
暖かな風が肌をくすぐるその心地良さにうっとりと目を瞑ると
そのまま睡魔に引っ張られてしまいそうになる。
柔らかな眠気を相手にリヒテンシュタインが交戦しているさなかに
遠くから足音がこちらに向かって近づいたきた。
靴を鳴らす音や音の感覚、漂わせている雰囲気。目を開けるまでもなく、相手が誰かすぐわかる。
すぐ近くまでやってきたその時にゆっくりと瞼を開いた。
「兄さまも日向ぼっこにいらしたのですか?」
「うむ…。まぁ、そのようなものである」
どこかぎこちなくしながら、リヒテンシュタインの隣に腰を降ろした。
並んで座る二人の間に会話などは無かったが
無言に対しての気まずさというものは元より存在していなかった。
風に揺れる洗濯物をのんびりと眺めるリヒテンシュタインとは対照的に
やはりスイスは落ち着かない様子だった。
あちこちに這わせた視線はなかなか一箇所には定まらず留まらない。
巡り巡る目線がふと上を、突き抜けるような青空を捉えた時にやっとその動きは停止した。
何か閃いたのか、青緑の瞳に光が宿る。
「あー…」
前置きに言葉を伸ばす。
言いにくい話を始める時のスイスの癖だった。
内容は主に照れくささを感じるものやスイス自身が恥ずかしいと思う事。
相手は決まってリヒテンシュタインだった。
「はい」
それを知っているリヒテンシュタインは顔を兄の方に向けて言葉の続きを待った。
「…今日は、午後から天気が下る……と聞いた」
「あら」
リヒテンシュタインは僅かな驚きに開いてしまった口元を隠すように手を当てた。
確か記憶の中では今日明日と快晴が続くはずであったのだが、
いつの間にか情報が変わってしまったのだろうか。
「でしたら今のうちに仕舞っておかなくては」
洗濯物を取り込むべく、立ち上がろうとしたリヒテンシュタインを待った、とスイスは手で制した。
「………エイプリルフール、である」
そう言ったスイスは耳まで真っ赤にして顔を俯かせてしまっていた。
そこでリヒテンシュタインは理解した。
今日一日スイスがずっと思いつめていたのは嘘を考えていた為で、
悩み悩んで口から出たのはこんなに些細で可愛い嘘。
男性相手に、しかも兄を相手にこう思うのは間違っているのかもしれないが、それでも思考は止められない。
なんて。なんて愛らしいのだろう、と。
「まんまと引っ掛かってしまいました」
リヒテンシュタインは穏やかな笑みを持ってして応えた。
そこには嘘への悔しさなど一片も見受けられず
むしろ騙された事に喜びを感じているようにすら見える。
「……すまぬ。…忘れてくれ」
まるで子供のような嘘を付いてしまった気恥ずかしさからか、
はたまた見事に妹を引っ掛けてしまった事への罪悪感でも感じているのか、
あるいはその両方からか。
居た堪れなさにスイスはがしがしとやや乱暴な手つきで頭を掻いた。
そんなスイスをリヒテンシュタインはじっと慈愛の篭った双眸で見つめていた。
見つめていたのだが、はた、と。
急に何かに気付いたように目を瞬かせた。
「兄さま、お顔に髪の毛が落ちました」
言うが早いが背をくいと伸ばして自身の目線をスイスの顔に近づけた。
「払いますので、じっとしてくださいまし」
「…ぁ、うむ」
言われてスイスも大人しくしていた。
自分の目線がリヒテンシュタインの気を散らせないように目も瞑った。
視界を閉じたスイスは自分の顔にリヒテンシュタインの手が触れるのを待っていた。
ふ、と吐いた呼吸が跳ね返り自分に降りかかる。リヒテンシュタインの顔はすぐ近い。
ほどなくして、スイスの顔に触れたのは。
暖かく、柔らかな
「………!!!!」
目を見開いて、反射的に頭を仰け反らせ。
先ほどより顔を更に、首の付け根まで真っ赤にさせて
スイスは口元を手で覆い隠していた。
同じく、リヒテンシュタインも口元に手を当てていた。
スイスほどではないにしろ頬を中心に顔を紅潮させて、
しかし慌てふためいているスイスとは対照的に
いつもの穏やかな笑みの上に
してやったり、と普段は目にかかることの無い表情をかぶせていた。
「な!リ、リヒテ…、な、何を…!」
動揺でうまく言葉を紡ぐ事ができずに上擦る兄を前に
リヒテンは小悪魔じみたどこか艶かしい笑みを浮かべて。
「………エイプリルフール、です」