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花火は鮮やかに香る

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「あーもーうまくいかない!」
鏡に写った赤髪は、トレードマークのポニーテールではなく左耳の下にゆるくまとめられている。後れ毛を押さえながら手を伸ばすと、アメリカピンの山が崩れてしまった。
「江、早く行かないと始まっちゃうよ」
「わかってる!うまくまとまらないの」
お母さんやって、とピンを手渡すとさっと整えてくれる。目指していた髪型とは少し違うが、さっきより随分とよくなった。
「そんなにおめかししなくても、今日は凛と一緒に行くんでしょう?」
「いいでしょ!いってきます」
母の言葉に慌てて向かった玄関には、帯の色にあわせて選んだ下駄が行儀よく並んでいた。




* * *




いつもより狭い歩幅に、気持ちばかりが急ぐ。
停まっている車の窓ガラスに映る自分を確認した。やっぱり簪は変えない方がよかったかもしれない。
きっとお兄ちゃんはもう待ってる。
待ち合わせをするようになったのは最近のことだが、いつも凛が先に着いて待っていた。
信号待ちで左手を確認したが、浴衣にはあわないためいつもの腕時計はない。慣れない手つきで巾着を開けて携帯を取り出し時間を確認した。待ち合わせには間に合いそうだ。

温い風が江のうなじをくすぐる。
家を出たときはまだ明るかった空には、夜の闇が近づいていた。



*



待ち合わせの目印から少し離れたところに凛がいる。
江は、どんなに人がいても兄のことはすぐに見つけられる自信があった。均整のとれた体型、整った顔立ちもあるが、自然と見つけてしまう。そして江が兄を見つけているときには、凛はすでにこちらに気づいているのだった。


小さく片手をあげた凛に、江は大きく手を振る。紺瑠璃の袖が捲れてしまい恥ずかしそうに手をおろすと、凛がふっと笑ったのがわかる。裾を気にしながら駆け寄ろうとするが、凛の方が早かった。


「遅くなってごめんね」
「いや」
短く、しかし優しさを含んだ声で返事をすると凛は目的地の方向へ歩き出した。
「お前」
「なぁに?」
「そんな浴衣持ってたっけ」

兄の視線を感じて、襟をさわる。
「この前買ってもらったの!かわいいでしょ」
「…ピンクのいちごよりは似合ってるな」
「もう!」

小学生のときの話を持ち出されて、そういえば兄と浴衣を着て出かけるのは5年ぶりだと気づく。
仕事でお祭りに連れていけないという母にどうしても行きたいと駄々をこねると、凛が連れて行ってくれたのだ。
あのときは500円玉を握りしめ、もう片方の手を繋いで歩いたっけ。

隣の兄の手を見ると、もうあの時の子供の手ではなくなっていた。
自分の手も同じだ。
浴衣の柄にあわせたネイルをした手を眺めていると、頭に凛の手が置かれた。


「勝手に大人になりやがって」


えっ、と聞き返すと、なんでもねぇよと返された。すっかり男の人の手になったそれがぽんぽんと江を撫でる。


その大きな手に、触れたいと思った。



「おにいちゃ、」
「あら松岡さんのとこの」

買い物帰りらしいおばさんは、小さい頃から知っている近所の人だ。
凛が兄の顔に戻った、と思った。今までどんな顔をしていたかと聞かれると答えられないのだけれど。

兄に触られた髪を梳く。
お兄ちゃんが、さわったところ。


気がつくと一方的に話していたおばさんはいなくなっていて、凛は既に早足で歩き始めていた。
「早く行かねぇと花火はじまる」
「あ、待って」

追いかけても凛はさっきまでのように並んで歩いてくれず、どんどん先を行ってしまう。
さっきの言葉はなんだったんだろう。兄の背中を見ながら江は泣きそうになった。
会場が近づくに連れて人が多くなり、凛の姿が見えなくなってしまう。

「お兄ちゃん、待っ…」
走ると、履き慣れない下駄が脱げてしまった。履き直している間に凛を見失う。


「お兄ちゃん!」
兄に触れたいと思ったのが伝わってしまったのだろうか。触れられたいと思ったのがわかってしまったのだろうか。


「おにいちゃん!」
もっと近づきたいと思ってしまった。兄妹としてではなく手を繋ぎたいと思ってしまった。





「……おにいちゃん!」


「そんな泣きそうな声で呼ぶな」


振り返ると凛が立っていた。
最初の花火があがり、歓声がわく。
空を彩る花が凛の顔を照らす。その表情は怒っているときのように硬い。


触れたいと思った手が、江の手を強く握った。


どうして。どうして触れた手がこんなに熱いのか。どうして触れられた手が震えるのか。
凛にまっすぐ見つめられた瞳から涙がこぼれる。


「おにいちゃん…」


どうしてこんな気持ちになるの。
教えてよ、おにいちゃん。
作品名:花火は鮮やかに香る 作家名:紅玉