髪
「姫…姫、いい加減起きたまえ」
「ん…?まだ…」
「君はいつまで寝てるつもりだい?今日は出掛けようと言ったのは君ではないか」
「そうだけど~…まだ平気だよ…」
はぁ、と小さくため息を吐く。
先程からこの会話、とも呼べないことを繰り返し五度目だ。
起床の予定から十五分は経過し、そろそろ起きてもらわなくては予定が大幅にずれてしまう。
魔神である彼女は本来睡眠等の欲求がないらしい、が、何故か彼女はよく眠る。
(姫の髪は、とても綺麗だな…)
ふとそんなことを思うと無意識に手が動く。
彼女とこの部屋で暮らすようになり、そう短くない時間が経っているが、彼女の髪をまじまじと見るのは初めてのような気がした。
(何をしているんだ私は…!)
我に返り手を引こうとするも、その柔らかで滑らかな感触につい指を絡めてしまう。
(美しいものだな。クセがなく、艶やかで…私の髪とは全く違うな)
「へ・ん・た・い」
「っ…!」
髪から手を離し彼女を見ると横たわったまま、いかにも、イタズラが成功した子どものような顔で笑いかける。
「わ、私は変態でも痴漢でも、もちろんスケベでもない!」
「あはは、それ聞いたことある」
「大体、恋人の髪を撫でていることが変態に繋がるとは思わないのだよそもそも私は君を起こそうとして少しばかり君に触れただけで下心で触れていたわけではないし仮に、そう、仮にだ、多少の下心があったとしても先刻告げたとおり恋仲である男女が髪に触れーー」
「はいはい、わかったから。起こしてくれてありがと、イシュマール」
そういって彼女は身を起こす。
艶やかな髪が揺れ、光に反射しキラキラと輝く。
「時に、イシュマール君よ」
「何の真似だね、それは」
「まぁまぁ、いいじゃない。時に、イシュマール君よ」
「…、なんだね」
「本日出掛ける気がなくなってしまったのだよ、私は」
「なんだって?何を言っているんだね君は?」
何を言い出すかと思えばこの姫君、自ら立てた予定をあろう事か自身の気分だけで中止にしようとしている。
「いやーだからね、何か今日はイシュマールとまったり過ごしたいなーと思ったのよ。あんたさっき私の髪を撫でてたでしょ?あれが妙に心地良くてね、まだベッドの中にいたいなと」
「姫、つまりはまだ寝ていたいと?」
「ま、まぁそういうことになるのかな?」
はぁ、と本日二度目のため息を吐く。
ダメかなと申し訳なさそうにしながらもこちらが、仕方ない、と言うと安堵と喜びで顔をほころばせる。
そのくるくると変わる表情を見ていられるのであれば、わざわざ外を出歩く必要もあるまい。
「…私は幸せ者だな」
聞こえるとも聞こえないともいえる声で呟く。
「ん?なに?」
「なんでもないさ。それより、君は寝ていてもいいが私は一度起きてしまってはなかなか寝れないのでね、隣で読書でもさせてもらうよ。
いや、なに、心配はしなくていい。君の要望にはちゃんと応えよう」
サラサラと揺れ、そしてキラキラと輝く髪が指に触れる。
ー完ー