決意はゆれて 7
「ああ、お前のおかげだ。本当にありがとうな」
『いいえ。タイミングが悪いといえ、半分くらいは僕のせいですし』
笠松が黄瀬に妊娠したことを告げてからすぐにお互いの両親に改めて挨拶をし、せわしない日常の中で時間を見繕って入籍や結婚式のタイミングや居住について話し合いをした。黄瀬もファンに報告する方法やタイミングを事務所と相談していたようで、あらゆることがようやく落ち着いたタイミングだった。
巻き込んでしまったというか、世話を焼いてくれた黒子にお礼を伝えるべく電話をしたのだった。
黄瀬が主演を務める映画は原作があり、その作者が黒子だったらしい。タイミングが悪くてすみませんと謝られたが、別に黒子のせいというわけでなく、むしろきちんと向き合わせてくれたことを感謝した。
『じゃあ、そろそろ僕も準備する時間ですので』
「ああ、頑張ってこいよ」
『ふふ、それは黄瀬君に伝えてあげてください』
「良いんだよ、あいつは」
向こう側から聞こえた小さな笑い声に、笠松もつられて笑った。
電話を切ると、笠松はテレビをつける。映画の制作発表件完成発表の会見が開かれるらしい。普段、平日にするのが普通なのだが、黄瀬が日曜日が良いと駄々をこねた挙句、発表の場に出る予定のなかった原作者が日曜日なら会見の場に出ても良いですよと言い出したので、三ヶ月前に押さえられていた会場を二週間前に変更することになったらしい。
キセキの世代の図々しさは恐るべしというべきか。
「生中継か……」
日曜日の昼なんて一度放送した番組に少しの編集を入れて延々と流し続けるだけなので、簡単に放送予定を切り替えられたらしい。黄瀬もこれを狙っていたのだろうとため息を漏らした。
映画の会見の後、黄瀬の事務所から黄瀬にまつわる報告があるため続けて会見を行うという話が触れ回ったのか、普通の映画の完成発表会見よりも記者が集まるそうだ。
その、黄瀬からの報告を笠松にリアルタイムで見てほしいからと、わざわざ日曜日が良いと言った男は本当に馬鹿だと思う。
定刻になり、壇上に司会者が登場すると、原作者の黒子の登壇と紹介が入ってから役者が登壇する。会見の内容は原作者がこの作品に抱いた思いと、それぞれの役者の感想と撮影現場でのエピソードと盛り上がっていた様子だった。最後の質問を受け付ける時間、時折、映画に関係のない黄瀬に関する質問が飛ぶが、この後で、とやわらかく受け流していた印象的だった。
一度、全員が舞台の袖へとはけてから、黄瀬が改めて出てきた。長い机のど真ん中に、たった一人で座っていた。
一方で、笠松は広い黄瀬の部屋のリビングでクッションを抱いてそのときを待っていた。終わった後、すぐに会いたいんで。なんて可愛らしいわがままを言われてしまえば、笠松は叶えてやるほかなかった。
テレビの向こう側、同じ都内に居るはずなのに、別の世界に居るのではないかと感じられてしまった。
『今日は、私のために残ってくださってありがとうございます』
黄瀬が口を開いた瞬間、フラッシュがあふれた。慣れない話し方に、思わず笠松が緊張してしまう。
まずは、いつもお世話になっている人や応援してくださるファンの方への感謝とお礼。丁寧な言葉遣いなのに、緊張からかどこかたどたどしく感じられる。
あらゆる人の支えが合って、今の自分があるのだと再三強調をして。そして。
『先日、一番近くで私を支えてくださった方と入籍いたしました』
また、眩いばかりのフラッシュが沸き起こる。
よく聞こえないが、会場内では記者たちからあらゆる質問が飛び交っているように思えた。その中で、黄瀬はただ優しく微笑んだ。普段、テレビや雑誌では見ることのない表情で。
『彼女とは高校時代からずっとお付き合いをさせていただいていて、弱っているときに叱咤や激励をしてくれていました。それから、いつしか私も彼女を支えていけるようになりたいと思うようになりました』
真摯に言葉を紡ぐ黄瀬を静かに見ていた。
『最初、自己紹介したときに生意気だとシバかれて印象最悪だったんです。けど、バスケの試合に負けたときに慰めずに次は勝ての一言だけをくれたんです。それから、バスケが好きという彼女のひたむきさに惹かれていって、俺の方から付き合って欲しいと伝えました』
表向きの言葉か本心かはわからないが、どこまでも素敵な人間に仕立て上げられているようで、笠松は落ち着かない。
週刊誌の報道については仕事仲間として大切にしていきたいとだけ述べられており、これからの黄瀬の活動についてより精力的に取り組みたいなど説明していた。
それから、何度か飛び交っている質問について回答を始める。どうして、このタイミングで、という質問だったらしい。
『そういや、ホントは、この映画の試写会で公開プロポーズしようと思ってたんス。けど、子供を授かっていることがわかって、慌しくなっちゃったんスけど、縁起の良い日を選んで入籍しました』
さらっと、何事もなかったかのように爽やかに言ったが、どう考えてもテレビの向こう側に居る記者の方たちがざわつき始めた。余計なことを。
『あ、公開プロポーズの話をしたらやめろってシバかれたんですよ。せっかく、一世一代のプロポーズを考えてたのに』
不満げに続ける黄瀬だが、周りはそれどころでないことに気づいてもらいたかった。
フラッシュや騒がしいまでに飛び交う質問に対して、黄瀬はにこりと微笑む。
『子供が生まれたときは、改めて報告させてもらいますね』
もう終わりの時間に近いのか、スタッフの人が黄瀬に声をかけている様子が見えた。しかし、収拾がつくのかわからないくらい、騒がしいことになっている。
スタッフの誘導とともに、退場しようとする。去り際、記者に挨拶を兼ねて手を振った黄瀬だが、何を思ったか映画の発表会見で司会の人が使っていたマイクを手に取った。
『まだまだ若輩者ですが、何事にも一生懸命に取り組み、家庭も仕事も大切にしていきたいと思っています。ファンの皆様、関係者の皆様、暖かく見守っていただければありがたく思います』
最後に爽やかに去って行く様を見て、イケメン爆発しろと心から思った。
笠松は誰も座っていない壇上が映されたテレビを消して、スマートフォンへと目を向けると、着信を知らせるランプが点滅している。まさか、まだ黄瀬はスマートフォンに触れていないだろう。
見るとメールの着信が十件以上を超えていて、思わず眉を顰めた。開いてみれば、結婚おめでとう、と笠松を祝う内容が記述されていた。おそらく、この会見をたまたま見ていたのだろう知人たちが、こぞってメールを送ってくれていたようだ。ちゃっかり、会社の同僚の名前も見つけて、この間の一件でしっかりと悟られてしまっていることにむずがゆい気持ちになる。
部屋の墨にはダンボールが詰まれており、引越しの準備が少しずつ整いつつある。籍は入れたものの、まだ引越しは済んでいない。だからこそ、入籍した自覚もなく、笠松から黄瀬に変わったと実感することも少ない。