赤の焔
そう言って平古場は木手の額に唇を押し付けた。突然の行動に、驚いて目を見開く木手の表情を、切なそうな瞳が見つめる。
「わっさん……」
そう小さく呟かれた声を最後に、目の前に翳された手によって平古場の顔は暗闇にとってかわった。
平古場の名を呼ぶために開かれた唇に、柔らかな温かい感触が触れた。それが何か分かった瞬間に木手は、翳されている手を掴み目の前からどける。睨みつける瞳が見た先、一瞬躊躇うほど近くにいた平古場の顔は、驚きに染まっていた。吐息が触れるほどの近さで二人は見つめ合う。
けれど、それはほんの一瞬で、木手が仕掛けてきたのが分かった時には、平古場は床に転がされていた。頭を打たなかったのは木手の温情なのか、たまたまなのかは不明だったが。
掴まれた手はそのままに、襟首を引っ張り上げられ息苦しさに眉を寄せた。
「……えい、しろう」
苦しそうに名前を呼べば、先ほどよりも怒りの増した双眸に見下ろされる。「殴られるな」と頭の片隅でぼんやりと考えていれば、突然に引き寄せられ唇に鋭痛が走った。その後、じわりと広がる鉄の味を感じて、平古場は口を開けたままの間抜けな顔で、木手を見返した。
木手との距離はわずか数センチ。
瞳を通して心を覗けるのではないかと思えるほどの至近距離だった。平古場はそのことにも驚いて、何から考えればいいのか混乱した。木手の唇についている赤い血の色だけが、やけに鮮明に平古場の視界に映る。
「俺に嫌われたかったんですか」
そう静かに問われた言葉が、平古場の胸に突き刺さる。
その言葉の通りだった。
もう、自分自身ではどうにもならないほど、木手のことを好きになってしまった。
平古場の意思では諦めることはもう出来ない。気が付いた時には、手遅れだった。だから、木手に平古場のことを嫌いになって貰いたかった。罵られて、嫌われて、殴られて、そうすれば諦めがつくと思っていた。 そんな平古場の心情は、全てお見通しだったのだろう。木手は、平古場の様子から自身の言葉が正しいことを読み取ったのか、より眉間に皺を寄せた後、平古場を床へと叩きつけた。息がつまり苦しさに呻く。そんな平古場を冷たい目で見降ろして、掴んでいた手を無造作に離すとその手を切れた唇へと移動させた。
血が滲む部分に親指を強く押し付ければ、血がより滲みでてくる。平古場はその痛みに眉を顰めて、木手の手を振りほどこうとしたが、それよりも早く木手は手を離した。
親指の血を一瞥すると、平古場に見せつけるように舐めた。平古場はその木手の行動に驚いて、「やーはふらーか!」と怒鳴りつけた。
「馬鹿なのは君のほうでしょう」
冷たく硬い氷の様な声が響く。
「俺に嫌われたい?……残念だけど、君が望む答えはあげませんよ」
薄く微笑む表情は、まさに独裁者の顔だった。
「視界を奪えば、俺が君意外の誰かを思い浮かべるとでも思いましたか……?君は本当に、浅はかですね、平古場クン」
平古場の頬に掌を触れさせて、優しく撫でる。間違いを許すかの様な、浅はかな平古場さえ愛しいとでもいうかの様な仕草に、平古場は戸惑いを隠せなかった。不審げな顔で木手を見つめるが、木手の表情は変わらない。だからこそ、逆に底知れぬ不気味さが漂っていた。
「君は手遅れと言ったけれど、手遅れなどではありませんよ。手遅れだったとしても、何の問題があるのですか? だって、君は俺のものなんだから」
艶然と微笑む顔は、その言葉を何ら疑っている様子はなかった。
「だぁや、わんぬくとぅ、しちゅんってくとぅか……?」
「君は俺のものだと言ったでしょう。だから、好きとか嫌いとか、そんな言葉に意味はありませんよ」
そう言った木手は、平古場の唇にもう一度触れた。そして、「君の血の味は、悪くないね」とうっとりと微笑んだ。
その言葉と笑みを見た平古場は、衝動のまま起き上がり、木手を押し倒した。そして、血の滲む唇を木手の唇へと押し付ける。抵抗しない木手をいいことに、平古場は何度も角度を変えて口付けた。満足するまで口付けを交わした平古場が唇を離すと、今度は木手が平古場の唇、傷のある部分を舐めた。驚いて木手の顔を見れば、変わらず薄く笑っている。
その余裕の表情に苛立ち、噛みつくように口づけて、木手の口内に舌をねじ込んだ。舌を絡めれば、木手もそれに答えて、お互いの領域に踏み込み合う。徐々に身体の奥底に溜まる熱が、血の匂いが香る口づけの所為で余計に高まっている気がした。気が済むまで、唇を貪った後に平古場は木手の頬に手を滑らせた。
「なぁ、わんが永四郎ぬものなら、永四郎はわんぬものなんばぁ?」
「言ったでしょう。俺は、君の望む答えはあげないと」
「……なら、勝手に貰う」
そう言ってまた木手の唇にふれた。口づけを深くしながら、頬に触れていた手を首筋にそって下ろしていく。鎖骨を撫で、シャツのボタンをはずしながらゆっくりと掌を腹部へと下ろす。筋肉と骨の溝を指で撫でながら、首筋に軽く噛みついた。
体をなぞる指に意識を向けていた木手だったが、唇が離れた時に、平古場の乱れた浅い呼吸を感じて、思わず小さく笑ってしまった。
「血の匂いに興奮したんですか」
見下ろした木手の濡れたような瞳が、艶めいた輝きを放った。
「……唇を噛んだのは、永四郎やっさー」
面白そうに聞いてくる木手に、平古場は素っ気なく答えて、仕返しとばかりに木手の唇に軽く噛み付いた。木手と視線を合わせた後、腹部で止まっていた手を肩へと滑らせて、シャツを肌蹴させる。
口に残る血と木手の味が、平古場に劣情を呼び込む。鼻腔に香る血の鉄くさい匂いが、平古場の興奮を煽っているのは否定できなかった。
けれど、それは木手も同じだった。
平古場の言葉と余裕のない動きに、くつくつと笑った木手は平古場の髪へと手を伸ばした。
「それなら、俺が責任をとらなければいけませんね」
「……やー、意味分かってあびてぃるのか?」
その言葉を聞いた木手は、両手で平古場の頬を包み込んで、視線を合わせながら艶然と笑った。
「だって、君は俺のものだから、ね」