春よ、来い
からから、目まぐるしく、音を立てる。
うさぎの形をした雲の近くで、ぱちんと、消えた。
――
長く続いた春の嵐が過ぎると、ようやく厚い雲の隙間からちらりと青空が覗けるようになった。幾分か衰えは見せたものの、まだ勢いを持つ風は、蕾の枝を揺らし、花を脅かす。だが、桜というのは印象よりもはるかに強かなもので、花開いた後も堂々と枝にしがみついていた。次いで気温も、心地よい高さに安定を見せて、流れる空気はどこか柔らかく――つまり、土手に寝転んで昼寝をするには丁度良い季節に近付いたということだ。
小川のほとりに一本だけ立つ桜の木をその視界に入れながらも、土方十四郎は瞳に映して認識することなく、時折挟む現実と浅い夢の間をうつらいでいた。
ひらり。鼻の上にくすぐったい感触。ひらり、ひらり。指を動かして、払う。ひらり。また感触。十四郎は、薄く、瞼を持上げた。
「あら」
「あ」
紅い色の傘がくるりと一回転。十四郎の目と合わさった瞳と同じ色。
おはようございます、と微笑むと、彼女の手の平からまた桜が舞って十四郎の顔に着地した。
「・・・・何してんだよ」
「ふふ」
「ふふ、じゃねぇ」
早くなった動悸と、紅潮した頬を隠すように眉根を寄せて、顔をしかめた。
沖田ミツバは、傘をぱたんと閉じて、十四郎の隣に腰を下ろす。
「だって、あんまり気持ち良さそうにしていたものだから」
ちょっと、悪戯したくなっちゃって
「口」
「あ?」
「涎、ついてるわ」
伸ばされてくる指に、十四郎は思わず後退りして乱暴に口を拭う。
くすくす、くすくす。ミツバの笑い声と、風が枝をざわめかせる音が交響する。
「――・・・・随分機嫌が良いんだな」
「ええ、ちょっと」
「ちょっと?」
「ふふ」
「――・・・だから、ふふ、じゃねぇ」
ひゅうと一度強く吹いた風が、ミツバの栗色の髪の毛を攫ってゆく。
少し乱れた髪の毛を、指で掬って耳に掛けて、ミツバは顔を上げた。
「もうすぐ、満開ね」
「そうだな」
ふふ、
ミツバは体重を背中に預けて、ごろりと、寝転がる。
手と手が触れ合いそうで、また大きく心臓が跳ねたのに気付いたのは、十四郎だけだ。
「花曇り」
「・・・何だ、それ」
「桜の花が咲く頃は、あまりお天気が良くないっていう意味の言葉」
「へぇ」
白く、細い腕が雲の切れ目の空に伸びると、ほんのりと明るんだ太陽に、それが透けて見える。
それを一瞥して、十四郎も空の青に視線を向けた。
「桜が若葉になったら、すぐに5月ですね」
「ああ、そうだな」
「ふふ」
「―・・・何だよ」
いいえ、何でも
――
「何してんだ、てめぇは」
「嫌がらせです」
ふう、と総悟がストローに息を吹きかけると、虹色に光るしゃぼん玉がまちまちに土方の顔にかぶさった。
眉根を顰めて睨み付けてやっても、総悟は何も意に介さない。
ちっと大きく舌打ちして草叢から上体を起こせば、ぐっと伸びをして、ひとつ、欠伸を零した。
「こんなトコで昼寝なんざァ、あんた殺されたいんですかィ」
「あ?てめぇを待ってたんだろうが」
「それはそれは」
ご面倒お掛けしましたねェ。
きらきら、といつの間にか頭上近くにあった太陽に反射して、ぐんぐん空へ昇ってゆく。
「いー天気ですねェ」
「どうしたんだよ、それ」
「あげませんぜィ」
「いらねぇよ」
「そうですかィ」
近くでふわふわと遊んでいたしゃぼん玉に、総悟が指を伸ばすと、触れるか触れないかのうちにぱちんと消えた。
一度だけ瞬きをして、またストローを口に咥えてきらきら、と。
彼の頬の痣が、春の日差しに明らむ。ストローを持つ右手には、擦り傷が未だ血を滲ませる。
「・・・・・随分機嫌が良いじゃねぇか」
「ええ、まあ」
土手の上、端に既に小さく見える紫色の番傘に、桜の花弁が柄を作るのが見えた。
それをしばらく見送ってから、土方は妙に納得して懐からライターと煙草を取り出して口に咥える。
「土方のアホ面寝顔連写出来たんで」
「んなっ!?総悟てめっ!!」
「取り合えずしゃべり場に投稿しときました。あと、チェンメも回しときやしたぜ。『このメールを見た人間は3日以内に同じ文面で5人に送らないとマヨラーになります』って」
「どんな呪いだよ!!大体マヨラー良いじゃねぇか!!罰でも何でもねぇ!!」
一際大きなしゃぼん玉が、からからと風車を回す音に一緒になり、またぱちん、と消えた。
春よ 来い