御狐様生活-肆
「あ、はい。了解です」
「ごめんね。その間にパフェ作ってるよ!」
銀のトレイに乗せられたジャンクフードを、左腕に乗せて厨房担当に手を振り退室する。今日はいつも以上に注文が多いらしく、調理室からは怒号がたえず響いていた。
客に聞かれるわけにはいかないと思い、急いで扉を閉めて息を吐く。
(……さすがに少し眠いな)
今、俺はバイトをしている。例にもれず、駅で手に取った求人一覧から選択し、面接を受けて合格した。正直学校に通っていない時点でアウトかと思ったが、店長さんが意外にも優しかった。
バイト先はとあるカラオケチェーン店。駅前のビル通りの中にあり、カラオケの建物もビルなので、一見すると埋もれきっている店だ。看板も雰囲気重視で目立たないことこのうえない。だが、清潔感のある内装に好印象の従業員、クオリティの高い料理を目当てに、常連客も掴んでいるという不思議な店だ。これでもう少し外装を目立たせればもっと増えるのでは、と思いもしたが今は逆。これ以上増えたら店員が過労と心労で倒れること間違いない。
昼は勉強とか家事とかやることがあるので、バイトは週3日、夕方から深夜にかけて入れることにしている。元々夜型生活もしていたためそこまで苦ではないにしても、やはり体力使いつつの夜中起床は眠気を刺激するのだ。
(さすがに1日空けた方がよかったか……? まだ夕方なんだけどな……)
広いとは言えない通路を歩きつつ、すれ違うお客様には営業スマイル全開。ここまで表情筋を使ったのは始めてだ。そろそろ筋肉が引きつるころかもしれない。顔を見た子供が逃げ出さないうちに、これにも慣れなければならないだろう。
208号室は、受付カウンターのあるフロアの上の階の奥の部屋だ。注文したのはスナック菓子の盛り合わせと、から揚げとポテトの入った皿。部屋も広かったはずなので、複数人でパーティでもしているのだろう。中はさぞや騒がしいに違いない。
「失礼します。お食事をお持ちいたしました」
ノックをして扉を開ける。直前まで歌っていたであろう人の声が止まった。店員が来たら歌うのをやめる、というのはよくあることなので気にしないことにする。
皿をテーブルに置き、匙の入ったバケットも隣に並べる。最後に一礼しようと顔をあげた。
「あ、やっぱり凌壽!」
「ここで働いてたのか!」
「あら、この方が?」
三者三様に声をあげるのはこの部屋のお客様であり、俺の知人ではないはずだ。バイト先を教えたことはないし、あとをつけてきているなんてこともなかったわけで……。いやでもしかし、この3人の反応から偶然たまたまこうなった……そんな偶然あるのか?
そういえば、家にいるはずの爺さんがこんなことを……
“人の縁とは奇妙なものです。もしかしたら、現場で誰かと会うやもしれませんな”
……図ったのか、安倍晴明。特に裏工作していなくても、お前がそれを言った時点でアウトだろう。前世屈指の陰陽師の言霊は伊達ではない。
引きつった笑みを浮かべながら、俺はとりあえず一礼した。定型文である「ごゆっくりお楽しみ下さい」を言うのを忘れて、だ。
◇◆◇◆
あまりにも俺が引きつった顔をしていたからだろう。先輩や店長が体調でも悪いのかと心配をし、ついには程なくして帰宅を命じられた。俺としては特に問題はなかったのだが、接客業としてこのまま妙な表情のまま表に出せない、というのもあったのかもしれないと思い、大人しく指示に従うことにした。
時期は春。大分暖かくなってきたとは言え、日も暮れかけている時間帯はやはりまだ肌寒い。スプリングコートを持参していてよかったな、と思いながら裾を直して従業員用出入り口から外へ出る。帰宅には、正面出入り口の前を横切らなければならない。
角を曲がり、店の前を通過しようと足を速める。
「あれ、凌壽、もう帰り?」
「…………」
人生、そううまくはいかない。
「孫よ、お前なんでこんなとこいんだよ。勉強しろよ学生」
「孫言うな! お前だって勉強しろよ! 受験生なんでしょ!」
「誰から聞いたんだその情報、正しいけど。つーか俺遊んでないからな。大学は金がいるんだよ」
「じいさまと紅蓮だよ!」
「……昌浩、もう少しボリューム下げようか」
前回もそうだったわけだが、この少年はどうしても声を大きくしなければ会話ができないらしい。通りを進む人々からの痛い視線が突き刺さる。
このままここにいては店にも迷惑だ。そう思い、俺は帰路につこうと歩き出す。そして3人もそれに倣う。
「……ついてくんなよ」
「そう言われても。今日はじいさまのとこに行くんだし」
「うわ、行先一緒とか」
「俺に関しては元々一緒だがな、凌壽よ」
昌浩と俺の後ろを歩く、十二神将最強の騰蛇。瞳の色も茶色がかかり、髪も黒。耳も尖っていないところを見るに、人型をとっているのだろう。そうしなければ周りに認知されないからなのだろうが、別に物の怪姿や神将姿でいて料金一人分減らすこともできたと思うのだが。気付くのは俺くらいだろうし。
昌浩の斜め後ろ……騰蛇の隣辺りには、小柄な少女がいた。長い黒髪に黒い眼。どこかで見たことがあるようなないような……
(誰だったかな……)
恐らく、前世の知り合いか何かで間違いないはずなのだが。如何せん靄がかかったようにぼんやりしていて思い出せない。ということは、そこまで強烈ではなかったのかもしれない。今思い出せている奴らはそろいもそろって曲者揃い。彼女は一見してまともそうだし、それゆえに記憶の中で埋もれているかもしれない。
「じいさまに聞いたんだけどさ、最近凌壽が料理作るんだって? 俺、今日そっちで夕飯とるんだけど、凌壽帰るんなら凌壽が作ったの食べてみたいな」
「ふざけんな、体調不良で帰宅っつーことになってんだ、素直に寝かせろ」
「えー、ケチー。彰子も食べたいよね?」
「え、ええと……興味は、ある、かな」
「ほら!」
「彰子をダシに使うんじゃない」
「いやだから作んねーかんな!」
帰宅完了まであと数分。「ただいま」と「お邪魔します」が入り混じる玄関まであと数分。……孫の押しの強さを目の当たりにするまで、あと数分。