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紫羅欄花

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紫羅欄花


 酷い眩暈だ。無様に倒れてなるものかと、シグルドは揺らぐ床板を渾身の思いで踏みしめた。力んだ所為で、脇腹の刀傷が黒い服を殊更どす黒く染める。腹の底から声を張り上げて、叫び出しそうな激痛を堪える。一歩一歩、足を動かした。
 ここは戦場で、俺は指揮官。そしてミドルポート艦隊の――いや、今は海賊船の船長か。故郷で正義を掲げる艦隊が、海賊に成り済まし悪行を重ね、果ては海賊に殺される。ああ、なんという醜状だろう。それだけは、あってはならないというのに。
 戦況は紛れもない敗戦。帆船の柱にしがみついて命乞いをする男が、背後から剣で一突きにされる。炎に巻かれた同僚が、肉の焼ける強烈な異臭を放ちながら、甲板を疾走し海に飛び込む。
 ――あの傷で海に飛び込めば、助かる見込みはないだろうに。
 シグルドは冷酷なほど沈静した思考で死に行くさまを眺めた。
 戦闘が終われば、平生を取り戻す。いつもそうだ。脳に直接冷や水を浴びせられたようだ。憎くて憎くてたまらない、あの男に。
「顔色わりい面も様になってんぜ、色男さん」
「気の利いた嫌み痛み入るよ」
 帆船にしがみついた男の背に突き刺した剣を引き抜いて、さも可笑しそうに嘲笑を浮かべた男は幾度となく剣を交えた艦隊の天敵だ。何処で情報を得たのかは知らないが、ミドルポートを我が物顔で徘徊し、白昼堂々と探りを入れてくる。
 ハーヴェイと名乗ったその男は、好戦的な目で戦場を一瞥し、鮮血が滴る幅広の剣を一振りした。飛び散った血が死骸に降り注ぐ。進路を塞ぐ死骸を踏み付けながら悠々と歩き、抵抗する力すら最早持たないシグルドの首を掴んで甲板に打ち倒した。
「絶体絶命だな、お前。どうする? このまま俺に殺されるとは、ちょっと思えねえんだよなあ」
「おかしなことを言うんだな。短刀を持つ手を封じられ、紋章を使う力も残っていない。お前の喉元に噛み付くぐらいの気力ならあるが」
 するとハーヴェイはシグルドの首にかけた手を解放し、まだ少年の面影を残した小綺麗な顔を近づけて、挑発的に笑ってみせた。
「俺な、お前が死にそうになったとき、どういう行動取るか楽しみにしてたんだよ。『気の乗らない仕事だ』っつってるくせに、何一つ現状を壊そうとしねえ。戦闘を楽しんでる節があるのに、いざ結果が見えたと思えば勝っても負けても、つまんねえって顔しやがって」
「それで、お前は俺に、泣きながら死に抗って、喉元に噛み付いてみせろと言いたいのか」
「いや、そこまでは考えてねえよ。ただ俺は、実のところお前が嫌いじゃなかったりするんだな」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声を出したシグルドに、ハーヴェイがくつくつと笑う。シグルドが眉間に皺を寄せて、不機嫌を顔中で表すと、ハーヴェイは漸く笑うのを止め、頭上に剣を翳した。
「何が楽しくて生きてんだかな。いつもいつも、自分の居場所を守るのに必死でよ。あわよくば格好良く死のうとしてるてめえが、可笑しくて仕方なかった」
「ちがう」
「生まれ育った祖国を守り続けていたいがために、主人の命に好き好んで従うことも、艦隊を裏切ることもできねえなんてな」
「黙れ貴様! くだらない憶測で俺を侮辱するな!」
 激昂したシグルドを見下ろして、ハーヴェイは剣を振り下ろした。切っ先はシグルドの頬を掠めもせず、床板に突き刺さる。怒りを孕む顔を冷ややかに見下ろして、ハーヴェイはシグルドの髪を鷲掴みにして持ち上げた。
「なあ、シグルド。てめえは俺が嫌いだろ? 俺を殺すまで、ぜってえ死ぬんじゃねえぞ」


「――シグルドさん、どうなさったの?」
 柔らかな女性の声と共に腕を引かれ、シグルドは捕らわれた思考から唐突に覚醒した。
「えっ、あ! すみません、海を眺めていたら、ちょっと考え込んでしまって」
「あら、こーんな美人が傍にいるのに?」
 優雅に着飾った貴族の令嬢は、穢れを知らない白皙の肌を紅潮させて、「来て」とシグルドを庭園へと手招く。
 全く、自分はどういうつもりだろう。血生臭い戦場を忘れられる休日に、あんな忌々しい記憶をわざわざ掘り起こすこともないだろうに。女性の前では失礼に当たるので溜息を吐いたりはしなかったが、意気阻喪するシグルドの前に、ふわりと異国の花が差し出された。
「綺麗でしょう? 西方からいらした貿易商の方から頂いたの。シグルドさんは、この白い花がとっても似合うわ」
 鮮明な色。優しく清らかで、繊細で、それでいて生命力に溢れた姿。ああ、本当に俺は白が似合わない。シグルドは柔らかな笑みを見せて、儚く脆いその花を受け取った。シグルドの本心を知らぬ令嬢は、その笑みにほっと胸を撫で下ろすのだ。

 我が身を守るのは短刀と水の紋章。どくどくと流れる血が理想の未来も泥塗れの過去も呑み込んで、生死の瞬間信頼できるのは己の力のみという状況下で、高揚した身が振りかざした正義はなんと軽いのだろう。ああ、違うな。振りかざしているのは正義ではなく悪だったか。
 まあ、そんなもの気に留めたことすらないが。

 シグルドは愛している。偽善によって秩序を維持する、愚かでとても美しい祖国を。
 憎くて憎くて、そして誰よりも羨ましく嫉ましいあの男を殺して、自らも命を絶つその日まで。