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ぜんぶ、ひとりじめ

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沈黙の時間というのが、エーリッヒは嫌いではない。
言葉に頼らずに伝え合うことのできる関係、というのはなかなかに悪くないからだ。
伝える努力をすることが嫌いなわけではない。
怠るつもりもない。
ただ、深いところで繋がる相手とは、沈黙によって会話するのもいいと思うのだ。

の、だが。





「………」

「…………」

「……………」

「………あの、」

「…………なんだ」

「……何か、怒っていますか?」

むっつりと押し黙る幼馴染みは、心奥での理解なんていうものはまるで感じられない顔つきをしている。
何がいけなかったのか、尋ねた途端にまた一筋、眉間にしわが刻まれた。
うわ、と思ったときには既に遅い。

「俺が何に腹を立てているのか、分かっていないわけではないだろうな」

「………ええと、」

言わなくても分かれ、と言いたいらしい。
じっとりとした視線に見つめられて、大層居心地が悪い。
そう、確かにエーリッヒは仲間内でも一番シュミットの心の機微には聡い。
なにしろ誰より付き合いは古いのだし、単なる仲間という括りでは分類できないような繋がりがあると思っている。
シュミットの不機嫌も上機嫌も、大抵は察して宥めるなり同調するなりは、いつでもエーリッヒの役目だ。
が。

「すみません、降参してもいいですか」

「ダメだ」

エーリッヒの言葉にかぶせる勢いで、即答。
ちゃんと考えろ、と、ぎろりと睨まれて降参の道を封じられて、エーリッヒは頬を掻いた。
困った。
今回に関しては、まったく本当に心当たりがない。
朝の食後のコーヒーがまずかったわけでもないし(それはおいしそうに飲んでいた)、午前の練習で誰かが決定的なミスをしたわけでもないし(むしろ今日のフォーメーション練習はすこぶる調子が良かった)、昼食に嫌いなものが出たわけではない(出たとしてもどうせ食べるのはいつもエーリッヒだ)。
はたまた夢見が悪かったとも聞いていない(起きた途端に「お前の夢を見たぞ」なんて機嫌よく告げられたのだから)。
そうだ、今日はとにかく朝からシュミットはご機嫌で、だから自分とて一日にこやかに過ごせると思っていた、先程までは。

「あの、」

「答えが分かったのか」

「いえ、その」

「ではお前の話は聞かない」

ぷいと顔を背けて、耳を貸すものかと全身で表している幼馴染みに、ほとほと困り果てる。

「あの、僕はこの後練習が」

「今日のチーム練習は午前だけのはずだ」

「いえ、チームではなくて、」

どうにも口にしづらい。
これから一緒に練習をする相手たちのことを、どうにもシュミットはよく思っていないから。

「まさか、二軍の連中ごときのために俺を放り出していくんじゃあないだろうな」

なぜこういうときだけこの人は限りなく察しがいいのだろう。
俺と奴らとどちらが大切か、睨む瞳が力を込めて聞いてくるからもう、エーリッヒは席を立つことを諦めた。

(すまない……)

内心で、エーリッヒさんに練習を見てもらえるなんて、と喜んでいた面々に謝りながら。

そうしてまた、沈黙が降りる。
それはそうだ。
シュミットはむっつりと押し黙ったまま、エーリッヒの話は答えが分かるまで聞くつもりはないというのに、エーリッヒには欠けらも心当たりがないのだから。
いったいどうしたものか、答えることも逃げ出すこともできずに、結局エーリッヒはその場に半日缶詰にされたのだった。







「で?」

アドルフが首を傾げた。

「結局、シュミットは何に拗ねてたんだ?」

「それがよく分からないんですが」

「どうやって解放されたんだ、それじゃ」

はあ、とエーリッヒが視線を逸らした。
頬が心なしか赤くなったような気がするのは、気のせいではないようにアドルフは思う。

「その……、シュミットが待っている時間が無駄だから、昼寝をすると言い出して、」

「それで?」

大事だと公言して止まない幼馴染みをこれほど困らせておいて、自分はのんきに昼寝とは。
さすがはシュミットだと内心でアドルフは独りごちる。

「それで、その、枕が」

「まくら?」

「ないと寝られないから、……僕、に、なれと、」

アドルフはなんとなく嫌な予感がして、ちょっと顔を顰めた。
それから、

「………………膝枕?」

尋ねると、ええまあ、と、また困ったようにあさっての方に視線を向けたエーリッヒに、アドルフはため息をついた。

「そうしたら機嫌が直ってた?」

「ええまあ、」

上機嫌でした。
エーリッヒが困り顔のまま、けれど少しはにかむように言うので、なんだよ結局ただののろけかと内心でつっこみかけたとき、

「シュミットって」

頬杖をついて空を眺めていたミハエルが、のんびりと呟いた。
ふふ、と笑うミハエルは、どうやらたいそう機嫌がよさそうだ。

「かわいいよね、」

シュミットに対するあまり聞かれない形容に、アドルフもエーリッヒも目を瞬いた。

かわいい、あれが?

「かわいいじゃない」

二人の疑問を読みとってか、ミハエルがふふと笑って繰り返した。

「だって、怒ったふりしてエーリッヒを独り占めしたかっただけ、なんて」

かわいいよね、微笑んで、また空を見上げる。
エーリッヒが目を丸くして、ミハエルに向き直った。

「どういうことですか、ふりって」

「分からない?ほんとお人好しだなあ、エーリッヒは」

怒っている理由を考えろ、なんて、そうするとエーリッヒはありもしない原因を探してシュミットと過ごした時間を反復するわけて、身柄は拘束されているから当然目の前にはシュミットしかいないわけで、

つまりはただ、エーリッヒの思考も視界も行動も、全部を独占したかったというだけの話。

「普段からあれだけ世話焼かれてるのに、まだ物足りないだなんて、ね」

ほら、かわいいでしょ。
赤くなったエーリッヒににこりと笑うミハエルは、とてもではないがシュミットより年下とは、アドルフには思えなかった。







つまり、目の中も頭の中も全部全部ぜんぶ、ひとりじめしたいってこと。

2010.4.8
作品名:ぜんぶ、ひとりじめ 作家名:ことかた