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完璧じゃない!

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『十神白夜という人間は常に完璧でなくてはならない。』
 最初にこれを言ったのはお爺様だったか、お父様だったか。今では覚えていないが、自分は子守歌を聞かされるより遙かに多く、この言葉を聞かされて育てられたのだった。常に完璧ということは、つまり日常生活においても他者の力を最小限しか借りず過ごさねばならないし、学校や社会といった広い場所でも周りの人間より一歩先を行かなくてはならない。身なりは勿論のこと、仕草、頭脳、目に見えるところから目に見えない範囲まで。全部が全部完璧であって、初めて自分は『十神白夜』なのだ。
 
 …では、これだけ前置きを連ねた上でその十神白夜こと自分がどうしてこんな些細な事で困っているのかを、話したいと思う。

 いつも通り皆で食堂に集まり、いつも通りコーヒーを飲んでそれなりに会話を嗜んだ後、これまたいつも通りに自室の扉を開いた。ここまでは普通だった。毎日狂うことなく動く時計のように、当たり前の行動と結果を得ていたのだ。それなのに、だ。
 …まさか自分の部屋のベッドで半裸の苗木が寝転がっていたなど、これだけがイレギュラーだっただけで。

 (…意味が分からん)

 思わずパタリと閉めてしまった扉を前に、渋い顔をして立ち尽くす。本当に意味が分からないと人間は声も出ないらしい。自身の掌を見つめたら、今まで生きてきた中で恐らく最も手汗をかいていた。そりゃそうだろう。こんな状況、誰でも驚くのが普通だ。
 深呼吸をし、自分は超高校級の御曹司であり完璧でもあるんだと言い聞かせる。そうでもしないとやってられない。
 仕方なしにもう一度だけ扉を開くことにした。慣れない共同生活で疲れて幻覚が見えただけだと、半ば祈るような気持ちで勢いよく扉を開ける。どうか、超高校級の幸運とかいう凡人が、いませんように。

 「もー!ちょっと十神君、なんで扉閉めちゃ」

 扉を閉めた。思わず自室の前で頭を抱えてしゃがみ込む。
 なんでお前が居るんだよ苗木ぃ!!
 叫び出しそうになった声を自分の手で抑え、ついでにアイツの息の根も止めたくなった。ちくしょう、朝からなんで自室に入るのを躊躇わなければならないんだ。そもそもなんで半裸なんだアイツは。
 あまりにも馬鹿馬鹿しく、されど世界級の難問に頭痛を感じた。完璧でなくてはいけない自分に突如襲いかかった解けない謎とでも言うべきなのだろうか。というかさっき一緒に朝ご飯食べてなかったか?

 「…図書室に行こう」

 ずれた眼鏡を押し戻し、溜め息を一つ吐いていつも通りの完璧な姿勢を保つ。分からないことは一度保留にして後でゆっくり謎を解くべきだ。決して逃げた訳ではない。決して。
 額にかいた冷や汗を見て見ぬふりをし、足音を殺しながら十神は早急に図書室へと向かった。






 「あれ、十神君。奇遇だね!君も読書?」
 「…」

 図書室に一歩踏み込み、良かった誰もいないと顔を綻ばせた瞬間である。本棚からひょこりと顔を出したのは、紛れもない先ほど十神白夜の部屋のベッドで半裸になっていた男だった。…貴様はワープでも出来るのかと割と本気で思う。
 いつも通りの服を着て何食わぬ顔で「隣いい?」とか聞いてくるコイツに、なんて言えば勝てるのだろうか。勝てる気などしない。何故だか泣きたくなってきた。

 「十神君は何を読んでるの?」
 「…こころだが」
 「夏目漱石の?」
 「あぁ。過去にも読んだことはあるが、読み返してみようと思ってな」

 パラパラと軽く読みながら、気が散って仕方ないなと舌打ちする。苗木の目的が全く持ってわからない。もしかして二人きりの時を狙って不意打ちで殺そうとしているのだろうか。…が、それにしては随分不用意である。そもそもその仮定で話を進めたら、最初の半裸は一体なんだったんだということになる。仮定しなくても意味がわからないけれど。
 暫く我慢しながら読書をしていたが、隣に座る苗木の「ちなみに僕は今男同士の性行為についての本を熟読しているんだけどね、」というあまりにも馬鹿らしい話が五月蠅かった為、本を閉じた。横目に冷たい視線を向けると、目を瞑りながら熱弁する苗木の姿。正直その口縫いつけてやろうかという気持ちである。
 完璧な一日を今日も送る筈だった。だがこのままでは完全に無駄な一日を過ごすことになる。苗木という存在が、自身の平穏の妨げになっていることをたった今再認識したのだ。
 隣で相変わらずつらつらと男性同士の性行為について語る苗木を放っておきながら、顎に手を当ててどこに逃げるかを考える。現在行動できる範囲の地図は完璧に脳内へとたたき込んであった。

 (どこに逃げれば苗木を撒けるのか…コーヒー飲みたいな……あぁ…そうか、厨房に行けば…)

 それだ!と思った時には、すでに体は音もなく席を立ち上がり図書室を後にしていた。振り返れば未だ椅子に腰掛け熱弁している苗木。これはいけるぞと思わずガッツポーズをしてしまう。
 今度こそという気持ちの方が自身のプライドや外面を全体的に上回った瞬間であっただろう。生まれて初めて、十神白夜は廊下をスキップしていた。表情筋は過去にこれまでに類を見ない程に弛んでいる。
 このまま急いで厨房に向かい、コーヒーを手に入れて自室へ持って行き、鍵を閉める。完璧な作戦であった。

 「ふ、馬鹿め。今までどうやって移動してたかは知らんがもう俺の先回りは出来まい!」

 最短ルートを走る自分に死角など無かった。ここ以外の他の通路を使おうなどと思ったら遠回りになる。確実に相手の近道を塞ぎつつ自身は安全かつ確実に相手から逃れられる。完璧すぎて笑いが止まらない。
高笑いをかましながら颯爽と廊下を駆け抜け、角を曲がって厨房に滑り込んだ。素早く厨房内を見渡すが、無論そこには人影などはない。勝ったのだ、この超高校級の御曹司が!凡人に!!
 
 (っと、いかん…凡人に完璧が勝つのは当たり前の話だったな)

 ざまぁみやがれ、と言わんばかりに一息ついてから、コーヒーを入れるべく準備をする。美味しいコーヒーは豆からひかなくてはならない。
 上機嫌で湯を沸かしながら、そもそもなんで追いかけてくるんだよと舌打ちをしたあたりで、とんでもないことに気付く。これ、コーヒー淹れてる間に部屋侵入されるじゃないか、と。完全なる失念である。
 
 (ふ、不覚…っ)
 
 まだまだ沸きそうにないやかんを放置し、部屋まで全力で走った。鍵だ。一度部屋に入り確認して鍵を閉め、それからコーヒーを淹れるべきだったのだ。高笑いしながら走りすぎたせいですっかり頭から抜け落ちていた。
 自室に着くと同時、ドアノブを勢いよく開ける。そうしてベッドやら家具やらを見渡し、気配のないことを確認して盛大にため息をついた。よかった、間に合ったのだ。

 「まっ、間に合った…!!ちくしょう、苗木のせいで室内だというのに走りすぎた…コーヒーはシャワーを浴びてからにするか…」
 「じゃあ今から入る?」
 「そうだな………ん?」
 「十神君足早すぎるよ~。完全に撒かれたと思った!」
 「!?!?」
作品名:完璧じゃない! 作家名:ポリエステル44%