意識したのは
【意識したのは】
その日の朝はいつもよりもほんの少しだけ静かだった。普段ならばこの時間、土曜日の早朝の6時にはすでにおは朝も見終わり、少し早めの朝練習に向かうため外に出る頃なのだが、今回の週末は珍しい2連休であった。さらに両親は一昨日から明日にかけての町内会旅行。いつものように正確すぎる体内時計によって5時半に起きたのはいいものの、誰もいないこの家でこの時間に起きたことにほんの少しだけやるせなさを感じた。
すでに着替えも終え、おは朝を見ながらの朝食もしっかりと行った彼にはすでにやることがない。
さて、どうしたものか…とほんの少し考えて、そしてロードワークに出ることがいちばん人事を尽くせそうだと考えつく。休みがたまたま2日もらえたから2日ともゴロゴロして過ごそうと考えないあたり、真ちゃんらしいというかなんというか、と彼に言ったら笑われそうだ。
そもそも2日も自由にしてよいといわれたこの期間を、自らの為になることに使わないなんてただの阿呆だろうと思う。ましてやバスケに関係ないことをしてつぶすのなどもってのほかではないか。
手早くジャージに着替えながら、想像のなかの彼に毒づいた。
本日は見事な快晴。色づいた木々の葉が、冷たい微風にほんの少しだけ揺れて、その葉をはらりと落としている。
ロードワークは、シュート練習と同じくらいに好ましいものだと思う。
やればやるほどに、成果がみえやすいから。
「ハッ…ハッ…」
周りの景色をぼぅっと見ながらも、緑間はただただ真っ直ぐに前だけに進む。白い息が一歩踏み出すたびに口から漏れた。秋から冬に変わるこの境目の、なんともいえない冷たい空気が緑間は好きだった。肺一杯にその冷たい空気を入れて、また出して。冷えた空気を裂いていくように進む足。どこか他人事のようにみえる景色。すれ違いざまに一瞬だけ合って、すぐに反れる視線。自分の意識と体が別々に感じるこの瞬間はバスケをしているときに似ていて、それもロードワークが好きな理由かも知れないなと思った。
土手沿いを走り、また道路に出て。途中、散歩中の犬に吠えられなければまさに最高と言えたぐらいに、緑間は心地よく走り続けた。
それからしばらく走り、いつも彼がお汁粉を買ってくれる自販機の前にたどり着いた。錆びた遊具が2,3個と東屋、ベンチだけが置いてある公園。そこに設置されているお情け程度のものしか売ってないこの自販機に緑間お気に入りのお汁粉が置いてある。
ちょうど喉も渇いたし、汁粉とスポーツドリンク両方買ってしまおう。そう思って財布をとろうとして気づいた。
「…お金、持ってきてないのだよ」
持ってきてるとばかりに思っていたので、少しばかり気持ちが沈む。なぜこんな時ばかり忘れるのか。実は尻ポケットに入ってましたーなんてないかなぁと思いながら探ってみるが、どうやら神様にまでは我がまま三回が適用されないらしい。
緑間は仕方なさげに白い息を吐きながら、
「おい、高尾。お金を忘れたから貸し…」
…素でそこまで言いかけて、今日は一人でここに来たことを思い出す。
(そういえば、一人でここに買いに来るのは初めてなのだよ)
誰もいないのに、思わず周りを確認して、赤くなってしまった顔を冷まそうと手を押し付けた。体は走って温まっていたが、指先はむしろひんやりと冷たくて。頬と耳に指先をグイグイ押し付けて赤さを取ろうと頑張るその姿は、ウサギが顔を洗う仕草にどこと無く似ている。
しばらくそれを繰り返した緑間は公園のベンチにそっと腰を下ろして、また白い息を一つ吐いた。持参していたケータイをパカリと開けて待ち受けの上に浮かぶ時間を確認する。
「…まだ、7時前か。」
意外とそんなに時間が経ってなかったことにすこしだけ驚いて、それと少しだけ残念な気持ちになった。
―先ほどの自販機を見てたら、突然寂しくなって、彼の声を聞きたくなった…だなんて。
自分はこんなにも女々しかっただろうかと、思わず苦笑いを漏らす。
もともとこの関係が始まったのは、彼から告白されたからだ。別に自分にそういった性癖はない。緑間はゲイではないのだ。
だが、しかし、今こういった関係は続いている。その上、嫌いになるどころかどんどん好きになっていくのだ。まさに惹かれていくとはこういうことなのだろう。恋愛を題材とした小説の、あの主人公の気持ちが分かる日がくるとは…感慨深いものだ。
少しでも声を聞きたい、あの体温をそばで感じていたい、笑顔を間近で見ていたい。あれは本当だったのだな、と緑間は笑みを口元に表した。
きっと、自分がこうして彼の隣にいるのも、彼と出会うことも、すべて運命だったのだろう。
彼を意識しだしたのなんて、最初からなのでは?と最近では本気で思う。
帝光時代、一度会って戦ったことがあるといわれた。俺は、覚えていないと答えた。…あれは、半分本当で半分嘘。あの目を。自分はあの目を覚えていた。
だから秀徳の入学式で声を掛けられたとき、なんとなく見覚えがあったのだ。完全に忘れていた奴と、あんな風には喋らない。
「…結局のところ、俺も気になっていたということなのだな」
はじめましては、あの試合。にどめましては、あの入学式。
なんだかんだ、二人は不思議な縁でつながっている。
さて、そろそろ戻るか。
そう思って、ほんのり自分の体温で温まったベンチから腰を上げたとき、突然ケータイが震えた。マナーモードのままだったことを思い出して、ケータイのディスプレイをみる。
―『高尾和成』
思わずそのままディスプレイを見つめた。
「…意思疎通、なのか?」
抑えきれない笑みがこぼれる。と、同時に早く出なくてはと思い、すぐ通話ボタンを押した。
「もしもし。」
『あー、真ちゃんおはよー』
「おはようなのだよ。」
『真ちゃん、今日も可愛いね!』
「意味が分からないのだよ、バカ尾め」
『ひっどぉ。あ!そういえばね、俺マジ偉いと思うんだけどさ』
「…なんだ」
『俺たまには走ろうかなって思って、今、真ちゃんといつも行く公園まで走ってきたんだぜ!!』
「…え?」
『だからさ、どうせならこの後お汁粉渡しに家寄っていいかな?』
「…」
『?真ちゃんどったの?』
まさか、と思いながら自販機の方を見ると、まさに今電話をしている彼-高尾和成の姿があった。優しげに笑いながら自販機にお金を入れて、迷うことなくお汁粉を選択している。
「…今から、向かうのだよ」
『えっ?!』
電話を切ったと同時に聞こえる「今からとか時間かかっちゃうだろw」という、直接耳に入る声に気を良くしながら。
さて突然後ろから現れた緑間に、高尾はどれだけ驚くのかワクワクしながら、緑間は数十メートル先の背中に向かって歩を進めた。