熱。
「はぁ………」
一人部屋にしては広い寝室に、溜息が一つ。
「だる……」
もぞもぞと。けだるさを伴い寝返りを打ちながら、ぽつりと一言。
息をするのも辛い。というよりもとにかく熱い。
いわゆる世間一般でいう風邪というやつだ。
何時間か前には、医者であるホウアンやら義理姉やら、軍師やら、こまっしゃくれた風使いやら、ともかくたくさんいて、騒がしさのあまり一人にしてほしいと言ったのは自分なのに。
なんだか寂しい気持ちになるのは、きっと熱のせいだ。
人恋しくなるのもきっと熱のせいだ。
「なさけなー…」
ふいに目頭が熱くなる。
気を抜くとちいさい子のように泣き出してしまいそうな自分に、少しばかり嫌気がさす。
「寝よ……」
そう、ともかく寝てしまおう。
次に目が覚めた時にはきっとこの苦しさも和らいでるはず。
ぱちり。目を閉じて、一面を黒の世界にする。
きっと眠れるはずだ。
…………。
布団を頭まで被ってみても、ひつじを数えてみても、一向に眠れない。
それどころか頭の中に浮かぶのは、だるさと熱さばかりで。
しばらくそのままが続いた。
そして、ふいにうっすらと目を開けてみる。
「あ。」
ぼんやりと浮かんだシルエットは見間違えるはずがなく。
「やっぱり寝てなかった」
その人は苦笑いした。
「な、なんで……?」
うまく働かない頭の中で必死に考えてみる。
彼はたしかに数日前にここから帰っていったはずだ。しばらくは会えなかったはずだ。
そうして、自分が倒れてしまったのは数時間前のこと。
誰かが自分に気を使って、連れて来てくれたのかも?
ふとそんな考えも浮かんだが、それができる人物が、わざわざ自分のために動いてくれるはずもない。
「テレパシー」
「へ?」
思いもしなかった一言に、思わず間の抜けた声が出た。
「冗談。途中まで帰ってたんだけどね。なんだかそんな予感がして引き返してきた」
くすっ、とちいさく笑うその姿に、なんだか可笑しくなって自分も笑っていた。
「らしくないね、フレイ」
「僕だって、たまには風邪を引くんです」
「熱は?……下がってないか、この様子じゃ」
「さっき計った時は39度でした」
もぞりと動き出し、ベットの下の体温計を指差す。
「はちみつレモン、飲む?」
僅かに頷いて、もう一度布団を顔まで被った。
「ティルさん」
小さくその名を呼んだ。
カタカタと音を立て、はちみつレモンを作るその人の耳には届かなかったけれど。
今日、初めて呼ぶその人の名前に、嬉しさは隠せなかった。
「薬は?ちゃんと飲んだの?」
返答はなかった。
すぐに苦笑いと共に、次の言葉が続く。
「まぁ。ちゃんと飲んでたら今頃ぐっすり眠れてただろうにね」
けれど、もし眠ってたならこうして彼を独占出来なかったはずだ。
そう考えると、自然に顔がほころんでしまう。
気付かれないように、もう少し深く布団を被った。
この際だから今のうちにうんと甘えておこう。
そう、思った。
「ティルさん」
「なに?」
「手、繋いでてください」
すっと布団の中から手を差し出す。
少しの躊躇の後、溜息が漏れた。
「いいよ」
自分よりも小さなその手は、ひんやりとしていて気持ちがいい。
心なしか熱が下がる気がした。
「ティルさん」
「…なに?」
「…………」
「??」
あまりに小さな声だったので届かなかったようだ。
頭に?マークを浮かべているのがその証拠。
ひょこっと頭を出して、今度は彼の耳元で囁いてみる。
「……」
ぽそりと、吐き出されたその言葉に、
「はぁ?」
とっさに眉間に皺が寄った。
視線の先には、冗談ではなくどうやら本気らしいまじまじと見つめるその顔があった。
言われた自分の方が恥ずかしいような気がしてきた。気のせいじゃなければ、顔が熱い。
「いてっ!」
思わずデコピンを喰らわせてやった。
「もう、病人に何するんですか」
「そんな冗談言う元気があるなら、病人じゃないな」
ぷうっと顔を膨らませる幼い顔は熱っぽくて赤い。
「ちぇー…。でも、手は握っててくださいね」
「はいはい。いいからもう寝る」
「はーい」
こうしていられるなら、たまには風邪をひいたっていい。
もう少し、熱が下がらなくてもいい。
そんなことを思いながらも目を閉じた。
目が覚めた時、彼はまだそこにいた。
「おはよう」
そう言って自分を覗き込む大好きな彼の顔が、一番最初に見れたことが嬉しかった。
「おはようございます」
だから笑顔でそう答えた。
けだるさを残す身体をゆっくりと起こしてみる。
すると近かった顔がさらに近くなって。
コツン、と。おでことおでこがぶつかった。
「ティ、ティルさん?」
「よかった。熱、下がったみたいだね」
言われて初めて気付く。ずっと身体が楽なことに。
それからもうひとつ。目の前の人の笑顔。
不謹慎にも思わず可愛いと思ってしまった。
そうしてフレイの耳に悪魔が囁いた。
考えるよりも早く、その細い首に手を回して。
ふわり、と。やわらかい感触を確かめる。
大きくその目が開かれたその瞬間、
バチーン。
「った……」
痛みが走った頬に手を当てる。
顔を真っ赤にしながらもキッと睨みつけられて、戸惑いながらそれすらも心がときめいて。
それでも、しまった……!と思った時にはすでに遅く。
「だいっキライだ!!!!」
広い部屋で思いっきり叫び声が響いた。
何度も頭の中でその言葉がエコーされながら、やがて走り去って行く姿が視界から消えた。
「あーーーーーー、嫌われた、かも」
さすがに今回ばかりは後悔を隠せなかったらしい。
思わず頭を抱え込むようにしてうなだれた。
数日後。今度はトランの英雄が風邪で寝込んだとかそうでないとか。