化け物どもは喰らいあう
「お前が、また胸糞悪いことをおっ始めようとしているからだ」
「何かあったのかい?ここ最近は、大人しく寝ていたつもりなんだけどね」
「竜ヶ峰に何をした。あいつを手駒にして何をするつもりだ」
「へえ、仲良くなったんだ。あの子は非日常に憧れていたもんね。シズちゃんみたいな化け物は、恰好の興味の対象だろうねえ」
「そんなことはどうでもいい。俺が聞きてえのは、お前があいつに何をしてやがるのかだ」
彼が絞り出した涙交じりの声が、どれだけ経っても脳裏から消えない。ならば、元凶を壊してしまえばすっきりするはずだ。自分は長年の悲願を達成でき、あいつも、これ以上傷つかなくて済む。我ながらいい考えだ。
弱いものは、自分よりも強いものを恐れる。敵わないとわかりきっている相手から逃げるのは、生き物としての本能だ。
大切な物のために逃げずに立ち向かう、などという理想を許してくれるほど、本能は生易しいものではない。何度も本能に抗おうとしては敗れ、自分自身に失望してきた静雄は実感として知っていた。
だが、自分の無力さに泣いていたあの子どもは、立ち向かったのだ。人を殴ったことなどないようなあの大人しそうな少年は、悪意を持つ下衆の集団に、向き合い、止めようとした。その結果、ぼろぼろになってても、怪我だらけの体で立ち上がろうとしていた。あまりに危険すぎる行為を実現させたのは、本能をねじ伏せる意思の力。静雄が渇望し、半ば諦めていた強さを彼は持っている。
だが、あれは危うい。
必要だから、ためらいなく、力に手を伸ばす。
必要だから、自分自身すら変質させる。
あれほど平穏を具現化したような存在が、一片たりとも狂気を見せない子どもが、この池袋で居場所を持ち続けたという事実。
それを支えていたのは、まぎれもなく、その理性的な、冷静すぎる判断力。
平穏な生活と池袋の喧騒を、日常と非日常を、明確に分け、それを無邪気に楽しんでいたのだろう。考えることが苦手な静雄には、難しいことはわからない。だが、制御不可能なほどに本能に特化した、池袋最強の男は、自分が憧れていた強さを持つ少年を鋭利なまでに理解していた。
日常に溶け込めるというのは、普通を守って生きていけるというのは、立派なことだ。だから、許容量を超えてしまう非日常など見捨てて、逃げてしまえばいい。
だが、竜ヶ峰は逃げない。普通を守りながら、何も見捨てないために、変わる。その、本能を抑えつけられるほどの意思の強さで。
臨也が興味本位で陥れ、与える絶望は、あの子どもを自滅させるか、自分以上の怪物にしてしまうかもしれない。その危険性を目の前の詐欺師は理解しているのか。それさえ、面白がっているのかもしれないが。
イライラする。あのまっすぐな瞳が、目の前の歪んだ男によって、絶望に染まっていくのは、変質していくのは、とてつもない冒涜のような気がした。
「仕方ないのさ、あの子は。俺が何かする前から、帝人くんは素質があった。あの子は力を振るうことができる人間だ。あの子自身には何にもないのにね。俺は、あの子が好きにできるよう、ほんの少し助言をしただけだよ」
「ろくでもねえ。だが、ここでお前を殺しちまえば、あいつはまだ止められる」
「あっは!暴れながら夢を見れるほど、頭もおかしくなっちゃったみたいだね!ああ、シズちゃんにおかしくないところなんて元からないか」
「言ってろ」
臨也の胴体を串刺しにするつもりで、振りおろした道路標識がアスファルトを粉砕した。
「ちっ、化け物め」
危ういところで身を躱し、ブロック塀の上に飛び乗った男が、憎々しげに吐き捨てた。これも、制御できる強さもなく、力だけを持ってしまった狂人だ。
あいつは、普通であることが、悔しいと泣いていた。守れなかったと、自分を責めていた。俺は、ムカつくから殴るだけだ。ウジ蟲は面白そうだから、罠を張るだけだ。あんな純粋な願いを抱いたことなんてない。あいつが普通というのならば、静雄も臨也も、池袋にいる誰もが、人間と呼ばれる資格なんてない。
「ああ、化け物さ」
だから、化け物は大人しく、化け物に食われて消えろ。
作品名:化け物どもは喰らいあう 作家名:川野礼