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雨の向こう側

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鉛色の空、止まない雨、鉄屑と廃墟―――あの日少女が目の前に現れてから、住人達の異形の体への変容や完全に膠着していたトライブの均衡の崩壊、この街に様々な変化が起きたが、この見慣れた風景はいつも同じで、いつまで経っても何も変わらない。

たった一つだけ、以前と違うのは、雨の音に混じって響く、彼女の歌声だ。サーフは室内で一人銃の手入れをしながら、それを聞いている。
歌は彼女の小さな身体から驚くほど朗々と溢れて広がり、、耳にする者を癒し心に触れて、やがて荒野の果てへと消えていく。消えていくそれを、手に掴むことができないように、初めて聞く『歌』というものが呼び起こす感情は、酷く曖昧で頼りなく、表現する術をサーフは持たない。

しばらくすると聞き入っていた歌声が不意に止み、丁度一区切り付いた所だったサーフは、銃を置いた。歌はそれきり聞こえてこず、工具を片づけてしまうと、何となく隣の部屋に足が向かった。

「セラ」
窓辺に座る少女に声をかけると、やわらかく微笑んで彼女は振り向いた。
暗闇に灯がともるように、ふわりと何かが胸に咲く。
けれどもそれは言葉にならない。

「なぁに?サーフ」
隣に来たサーフを見上げるあどけない顔を見て、理由の分からない微かな痛みが、胸に走る。

「歌が、止んだから」
セラは窓の外を仰いだ。
「外を見ていたの」
「外を?」
サーフも窓から外を見た。
どこまでも続く荒涼とした景色は普段通りで、取り立てて注意を引かれるようなものは見当たらなかった。

「ここから何か見えるのか?」
何も、とセラは首を横に振った。
そして外を眺めながら、ぽつりと言う。
「ただ、この景色を見ていると、とても…とても悲しいの」
「…悲しい?」

この風景以外を知らず、ましてそれに対して情緒的な感想など一度も持ったことがないサーフには、良く分からなかった。
「どうして?」
「…そうよね…、何も思い出せないのに、何故かしら」 
顔を外に向けたまま、セラは言った。頼りない肩が、震えているような気がした。

唐突に、胸の痛みが強くなるのを感じた。
そうだった。以前も同じように悲しむ彼女を見、同じ痛みを感じ、何も出来ない自分を呪ったのだ。

…以前。これはいつの記憶だろうか?見たはずのない青い空。自分と、仲間たちと、屈託なく笑う彼女。心を切り裂かれるような彼女の嘆き、自分と同じ顔の男。


「大丈夫」
意思とは関係なく浮かんでくるイメージに、混乱する自分自身を振り払うように、サーフは強く言い切った。
「大丈夫だ、セラ。この先何があっても。君が悲しい時、君がもし、困難にあった時、俺も、皆も、必ず君の側にいて、君の力になる。俺達は仲間だ」
「うん。ありがとうサーフ」
セラはサーフの方を振り向き、眉を下げて泣き笑うような表情をした。
「…っ」

言いようのない感情が湧きあがり、何かを思考するよりも先に、サーフは膝の上に重ねられたセラの手に、自分の手を伸ばし触れた。
「サーフ…?」
戸惑う声に答える代りに、触れた手にただ力を込めていた。

懐かしい、それでいて胸に深く突き刺さるこの想いの正体は、一体何なのだろう。少女の手を強く握りながら、窓の外、天高くそびえる塔を思った。
止まない雨の向こう、彼の地に答えが在るのだろうか。

例えそこに何があったとしても、今触れているこの手だけは絶対に離したくはないと、サーフは思った。
作品名:雨の向こう側 作家名:あお