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空がとっても遠いから

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視線を遠く向ければ、高く澄んだ空が視界いっぱいに広がった。ところどころ、白い雲がぽかりと浮かんでいる。手を伸ばせば届きそうで、ヒューゴは思わず、寝転んだ姿勢のままで腕を伸ばした。
 青い空と白い雲に、指先が届きそうで……けれど、届くわけが無いことを、知っている。くたりと腕を折ったヒューゴは、太陽から表情を隠すように視界をふさいだ。
 どれだけ手を伸ばしても、希っても、指先は望むものに掠りもしない。触れさえすれば、引きずり落とすことだってできるだろうに、最初から届かないのではどうしようもない。願うことさえ無駄だといわんばかりに、決してその片鱗をつかむことはできないのだ。
「……俺ってバカだなぁ……」
 零れた呟きはひどくかすれていて、それが余計に情けない。もっと自分の愚かさを笑い飛ばせるほどに、強く、大人になりたかった。そうすればもう少し、自分に自信を持って見上げることができたかもしれない。
「どこかで間違えたのかな……」
 大それた望みなど、抱かなければ良かったのだ。天を掴むような、己の身に過ぎた願いを持たなければ、こんな苦しみも知らずにすんだ。けれどもきっと、どんな出会い方をしたとしても、一目見ればやはり同じように追い求めずにはいられなかっただろうと……一方で、そんな妙な自信もある。
 こんな最悪の出会い方をしても、それでも魅かれてしまうのだから、きっとどうしようもないのだろう。
 ふっと陽光を遮られて、ヒューゴは腕をまぶたの上からずらした。いっぱいに輝く太陽の光を背に、物珍しそうに自分を覗き込むその姿に、思わず笑みが浮かぶ。
「どうしたヒューゴ、調子でも悪いのか?」
「ううん。ちょっと……考え事してただけ」
「そうか?」
 小首をかしげた拍子に、束ねていない銀の髪がさらりと滑る。陽光のを受けてきらきらと輝く髪はひどく綺麗で、それこそ太陽のようだとぼんやり思う。
 空も、雲も、太陽も。人の身では掴むことは叶わない。届かない地上から、羨望の眼差しを向けるだけで、掴むことも引きずり落とすことも、その動きをとどめることさえもできない。
「なんかクリスさん、疲れてない?」
「……バレたか」
「そりゃバレるよ」
 他ならぬ彼女のことだからわかるのだと、言葉には出せないけれど。
 すとんと隣に腰を下ろし、同じようにクリスが寝転ぶ。すぐそばにいて、同じように寝転んで同じように空を見上げているのに……ひどく、遠く感じる。こうしていれば同じ目線でものを見ることができるのに、ひとたび立ち上がれば決して同じではありえない。それは単純な年齢の差だけではなくて、もちろん身長差だけでもなくって、周囲の環境も少なからずあるのだろう。
 所詮はヒューゴは、族長の一人息子として、家族のように親しい村の人たちに囲まれてぬくぬくと育ってきているのだから。クリスがここにいたるまで感じた苦労など、想像も付かないのだ。
「……ごめんね、クリスさんばっかり負担が行って。頼りない<英雄>で……」
「そんなことはないよ。ヒューゴはよくやっている」
 本当に、心の底からクリスがそう思っているのがわかる、真摯な声音で答えを返された。だからこそ、期待されていないという現実に挫けそうになる。幼子に大人と同じことを要求するものがいるわけがなくって、だからこそ失敗をしても咎めない。自分の発想があんまりにも卑屈なのはわかっているけれども、ついついそう受け取ってしまうのだ。
「ヒューゴも疲れてるのか?」
「別に……俺は何もしてないし」
「そうか? 考え事をしているといっていたが……悩みがあるのなら聞くぞ?」
「ん~~……」
 曖昧に唸り声を上げて、ヒューゴはもう一度腕を伸ばした。届きそうで届かない指先は、これだけ身体は近くにあっても埋められない差を示しているようで、つくづく後ろ向きな自分がいやになる。護られるだけではなく彼女を護りたい、後ろにかばわれるのではなく隣に立ちたいと、そう願うのは天を掴むように途方も無い願いで。
 けれど、棄て切れなくて。
「……空が、あんまり遠いからさー……」
「ヒューゴは詩的だな」
 隠喩など通じそうにない彼女のはっきりとした物言いに、ヒューゴは薄く苦笑した。そうだった。基本的に超現実主義者なクリスに、こうしたほのめかしなど通用するはずがなかった。気づかれずにすんだ反面、少し寂しい気もする。けれども、彼女のあっさりとした断定は力に溢れていて、今までの自分の悩みがつまらなく思えてくるから不思議だ。
「……ま、いつかは掴んで見せるけど」
「……?」
 怪訝そうに眉をひそめるクリスに、ヒューゴは伸ばしていた腕をゆっくりと下ろした。絹糸のように艶やかな髪に、そうっと触れる。
「今は、これでいいや」
 整った容貌に山ほど疑問符を浮かべているクリスの様子に小さく笑って、指先で攫った一房の髪に軽く口付けた。
作品名:空がとっても遠いから 作家名:猫宮 雪