黄昏心中
手近な岩にすわり湖が染まる様を。
トランの英雄とも呼ばれる、本当はもう少年ではないその彼は暮れてゆく夕日を眺めていた。
元は滅びたはずの村だった本拠地は今はもう賑やかに、夜に向けて人々が準備を進めている。
解放軍よりもずいぶんとこの地に集まる意志は様々だ。
彼等の理念はそれぞれ違ったもので、しかし彼等のすべてが1つの目的に向かっている。
その空気は彼にあの時の記憶を思い起こさせた。
いや、思いおこさせるというのとは違う。
あの全ては忘れることなどできない。
何時も記憶の表層を漂い、彼の諦念の骨格となった。
喪失と狂乱の日々。そしてその全てはすり抜けて。
「マクド−ルさま」
思考に沈み込む彼を呼び止めたのはカスミの声だった。
華奢な躯が赤い空に溶け込むかのように佇んでいる。
何時から隣に彼女が居たのか解らなかった。
忍という特殊な生業のなせる技なのか、それとも自分が彼女に抱く想いによるものなのか
どちらともわからなかったが、彼は驚きを感じなかった。
「夕日を?」
「うん」
「きれいですね」
柔らかく頬笑むその顔はあの頃よりもうつくしく。
彼女は確かに成長している。
自分とは、違う。
この身はあの雨の夜から変わらない。
(…、いやだなあ)
ほんの一瞬でもカスミを羨ましいと感じた自分を彼は嗤った。
必然など、軋轢など、呪など、戦争など運命など、宿星など、英雄の名など、
そんなものから遠かった頃確かにこの体は日々を刻み、
そしてそのことは変わらないと信じていた。
だが今は違う。
もう自分がどんな理でうごくものであるのかは良く分かっている。
ふとカスミの顔がうつむき、その体からためらいが滲んだ。
「これが終われば…」
呟く声のか細さに胸が貫かれるようだ。
そしてそんな声を出させているのは他ならない自分だ。
「‥また、遠くへいかれるのですか?」
親友のあの手をとったことを後悔したことはない。
その時迄みたことのなかった程親友の眼は、必死だった。
それを引き受けるのだから生易しいものでない事は分かっていた。
(すごいな、テッド)
分かってはいたが、予想よりずっと辛いものだった。
(君は300年の間、これを諦め続けていたの)
自らの周りにある死はもう平等なものではない。
忌むべき習性を持つ右手の紋章は何時か彼女を糧とするだろう。
その骸を抱きたくは無かった。
だから、触れない。
触れられない。
その震えるほそい肩にさえ。
「多分ね…」
愛しいものから生を奪う、呪われた身。
それを知りながら側にいてくれる彼女に返せるものは何もない。
(いっそこのまま抱き締めてしまおうか?)
この黄昏のなか二人で黄泉路まで。
出来もしないことを思う自分を、彼は嗤った。