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孤白とゆうたろうafter~窓のきつね~ prologue

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【懐かしい、後姿】


  それは、遥か遠くの夢のようで。
  それは、とても近しい現実のようで。
  だけどももう、触れられない幻。
  記憶に取り残された過去。
  それでもあの懐かしい後姿に、また手を伸ばせるのなら――


「『――それでも、時々僕は指で窓をつくってみるのです』。はい、おしまい」
 矢野勇太郎は一息ついて絵本を閉じる。
 彼が手にしていたのは隣に座る彼の娘がどうしても読み聞かせてほしいと父である勇太郎にせがんだものであった。
 普段そのようなことを言わない娘、矢野小春のおねだりに最初は驚いた勇太郎であったが、タイトルを見て納得した。『きつねの窓』だ。
 この子は昔から狐に固執しているきらいがある。特に“真っ白なきつねさん”にご執心のようだ。
 勇太郎はその理由(わけ)を知らない。だがどこかでわかっているような気もしていた。
「お父ちゃん、なんだかこれ、悲しいお話だね?」
 瞬きひとつしていなかったんじゃないかと思えるくらい聞き入って見入っていた小春が、ぽつりとこぼす。
 不満なような、訝しげなような、そんな幼い眼差しが勇太郎に突き刺さる。
 語尾のトーンが上がっているのはまるでお父ちゃんに救いを求めているようで。「そんなことないよ」と、そう言ってほしげだった。
「きつねさんも、“ぼく”も、ずっとひとりぼっちなの……」
 小春は伏し目がちに掻き消えそうな声で呟いた。子どもの無邪気な悲しみが父の胸を痛める。
 そう、『きつねの窓』は切ないお話なのだ。
 とある青年“ぼく”は歩き慣れた山で桔梗畑に迷い込む。そこで見つけた白い狐。彼はその狐にわざと化かされて指をそこの桔梗で藍色に染めてもらう。その指で窓を作ってのぞくと今は無き懐かしい風景が見えた。“ぼく”は大喜びだ。……しかしその直後彼は手を洗い、その魔法の指を失ってしまう――といった、おとぎ話。
 誰の目から見ても救いがないのは明らかだった。
 無論、勇太郎もそう思った。
 それに気がついたのか、小春の俯く角度も深くなっていく。
 これはまずい。
「でもね小春、僕が悲しいと思うのは、“ぼく”が手を洗っちゃったことでも、白い狐さんがひとりぼっちだってことでもないんだよ」
 小春が首を傾げる。頭の上にはうっすらクエスチョンマークが浮かんでいるようだ。
「結局、二人……一人と一匹は窓を通して過去の思い出を視ているに過ぎないんだ。そんなの、頭で思い出せばいいだけの話だろ? それでも狐さんと“ぼく”は『素敵な指』と言ってそれをチヤホヤした。それってただ単に昔の記憶にすがり付いているだけなんだ。今に、未来に、前に目を向けることをしないで指であしらえた窓をのぞいて過去を振り返り続ける彼らの生き方こそ一番悲しいんじゃ……」
 そこまで口走って勇太郎ははっとした。
 結局別の悲しい要素を明らかにしただけで根本的解決になっていないことに気がつき、勇太郎は「あ゛っ」と声を漏らし、やっちまった顔で硬直する。
「あーこいつはちょっとばかし小春には難しい話かも――」
「でもお父ちゃん」
 そう言いきるより先に小春が新たな疑問をもって割り込んできた。
「昔の思い出を大切にするのって、そんなに悪いこと?」
 困り顔だが、さっきとは違う表情。どうやら勇太郎は話を逸らすことには成功したようだ。
「ま、まあ僕はきつねの窓を持ったことがないからなんとも言えないけどなあ! あそこから見るとなにか違った感じなのかもしれないなあ!」
 理屈もへったくれもない。そこには焦って娘のご機嫌を伺うちょっぴり残念な父親の姿があった。
「じゃあお父ちゃん」
 ふっと。
 小春が微笑みながら、ぱっと言い放った。
「作ってみようよ! 『きつねの窓』!」
 ――この時から、勇太郎の寂び付いた記憶の歯車が軋み始めた。