白けた嘘
「嗚呼、もう四時ね」
書類を丁寧に、しかし苛苛と片しつつ、超過勤務にも程があるわ、と毒づいた。波江は常に二十四時間法で時刻を表す。つまりまだ夜が明けない午前の話。
「午前四時というのは人間が一番無防備になりやすい、と言う話を知ってるかい」
値段を気にせず買ったと見える、大きめの肘掛け椅子でくるくる回りながら、仕事をしない雇い主は相手が聞いていないことを承知で長話を仕掛ける。彼は何時であっても変わらない。目も回らないのか、くるくると子供っぽさをアピールし始めて五分以上経つというのに、余りに変態じみている、という考察を波江はすぐに忘却。弟以外、例をいえば折原は弟ではないからして波江にとっての意味など有していない。雇い主などいくらでも代えがきく。カーテンもかけていないガラス窓、日に日に早くなる朝、誠二は今ごろどんな夢を見ているのかしら? あの憎い女は隣に居るのかしら、布団蹴っちゃってないと良いんだけど、寝相が悪いのも可愛いけれど、誠二に布団をかけてあげたい、今日は冷えるけれどちゃんと暖かくしているかしら。
「考えに沈んでいる君、は十分無防備だと思うんだけどね」
肩に、手を置かれて、折原が後ろに立っているとようやく気付く。弟に関する思考の間に、いつの間にか手にした書類は粗方片付いていて、他意も無く自分の優秀さを客観的に感心した。大きな窓に、段々白けてくる町並み。あと五歩と数回の腕の動作で書類は片付く。正直帰りたい、が電車はまだ動いていないだろうし、タクシーを呼ぶことを雇い主は良しとしない、居場所が漏れる、なんて馬鹿な理由ばかり付けて格好付けたいのだ。まじまじその顔を見つめる、と無駄に長い睫毛が揺れる。
「あなたはいつでも同じね」
黒い姿、隙ばかり見せて無防備なようでいて、いつだって防御を固めている。波江が鬱陶しい手に、たとえば爪を立てようとしても、紙一重でかわすのだろう。肩の手を無視して、一歩動けば手は外れた、そして素早く数回の動作で書類を片付ける。紙に水分を取られて、乾燥した指が、かさり微かな音を鳴らす。
「俺だって無防備になる時ぐらいあるさ」
たとえば、問うと、セックスのとき、最低の答えが返ってきた。自由になった両手で、次の書類の山を調べる、紙と乾燥した指先、ぞわり神経を逆撫ぜる摩擦。その乾いた細い指を、折原の女性めいた指が捕らえた、波江より滑らかな優雅な肌。軽い嫉妬。こんな指なら、誠二に触れられたのかしら、なんて馬鹿げた考え。確かに、午前四時、思考も身体も無防備だ。折原が、荒れているね、人差し指の第一関節、第二、節へ順番に指を滑らせて、軽く握って、まるで挑発、小指からそっと離す。
「君の前では結構無防備だよ、俺」
春に向かう季節は、朝を早めて、明るい窓に白けた男。どれもこれも、嘘ばっかり。今しがた感じた男の体温は、もう消えた。