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返らぬ応え帰らぬ世界、孵らぬ愛よ

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「あの子も連れて行きましょう」
染めた爪の紅を落としながらカッサンドラがそう言えば、妹は「ええ!?」と振り向いた。
「あの子って、こないだ入った新入り?本気?お姉様」
「ええ、勿論」
きゅっと爪から水を含ませた布をどける。染料に使われる花を布を染めるときの倍濃く煮出して取られる爪染め料はとてつもなく高価で、一般市民にはまずお目にかかれない代物だし、それを毎日塗ったり落としたりするのは贅沢と言うより殆ど無駄使いと言ってもいい。けれどカッサンドラはそんなことを気にしない。気にするような立場にはない。
夜の闇の中、窓から差し込む赤々と焚いた娼館の篝火に爪を照らし、残しがないかを確認する。下級の娘たちはまだ仕事の時間だが、カッサンドラはもう休みに入っている。化粧を落とし、髪を梳き流す。毎日仕事を入れねば食っていけないような身では、彼女はないのだ。
高級娼婦――何よりも艶やかに麗しく咲き誇る、薔薇の、名前。
そんな彼女に、むうと唇をとがらせて、妹が背後からしなだれかかった。柔らかな身体、花の香り。甘い猫なで声はこの少女の習い性だ。
「どうして?お姉様。まだ躾も終わってないじゃない」
「だから、よ。――風の神官様は、そう言う子がお好みでしょう?」
首を半分捻ってそちらを向き、にこり、と美しく微笑んでやれば、妹は得心したように微笑んだ。
「ああ、そっか。さすがお姉様ね!」
自分より幼い子が老人の慰みものになるのだと聞いても何の呵責も覚えない娘。――それが正しい。そうでなくば、むしろそれを誇れるようにならねば、高級娼婦などやってはいけない。
カッサンドラは彼女の額にちゅっと唇を落とした。
「さ、いい子だからもう寝なさい」
「はぁい。おやすみなさい、お姉様」
「ええ、お休み」
にこっと笑って手を振る妹に手を振り返し、カッサンドラは爪を眼前に翳した。先程までの紅が落ちて、生来の花びら色が現れる。それは先程まで話題であった少女の柔らかな頬を連想させた。
「……」
カッサンドラはふぅと目を閉じる。眼裏の暗闇の中に過ぎるいくつもの光景―――銀髪の娘/店に出た途端いい客がついて身請けされ、良家の奥方に収まり幸せそうな笑みを浮かべる……銀の巻き毛の男/各地を流浪し世の理を知りやがて賢人と称えられる詩人となっていく……雷槍の王/敵国の水神の兄王と手を取り合い、この争乱の世界を平定する……弓矢を引く青年/その元で第三王子として勇名を馳せる………
ぱちっとカッサンドラは目を開けた。そう。これが世界。これが運命。何者も絡み合わず、何一つ紡がれず、ただ整然としている。互いが互いの存在を知らぬまま、苦しむことも悲しむことも憎むことも――愛しあうこともない世界。彼女の望み。
「……ふふ」
カッサンドラは微笑する。暗い――毒のような笑み。
カッサンドラの言葉は、汚されている。誰も彼女の言葉を信じない。かつて死すべきものが生まれてより世界でただ一人、母なる創世神の眷属として生まれ落ちた、彼女の言葉が。本来ならば何よりも厳聖で尊いものであるはずの――詩人たちの中でも最も栄えあるものとして扱われるはずだった、彼女の言葉。それが。

(呪われて――いる)

母神の眷属であるカッサンドラを妬んだ三楽神たちの行いだ。それが遠因で、カッサンドラの――彼女が王女として愛していた故国は滅びた。彼女の予言を誰一人信じず、滅びの子を迎え入れたために。血と、炎と、絶望と、強欲に満ちた虐殺が、彼女の故郷で――彼女の目の前で行われた。そしてその時――カッサンドラはあんなにも泣き叫んで助けを請うたのに――母も、他の神々も、誰一人助けてはくれなかった。
(――ほろべばいい)
カッサンドラは願う。そうだ――滅べばいい。滅ばなくてはいけない。だってそうでなくては理不尽だ。カッサンドラは神に全てを奪われたのに、神は平気で存在している。神に守られた――カッサンドラと同じ立場のものたちが傲然と生きている。そんなこと、どうして許せよう?
私は神に、神の愛によって不幸にされたのに――神はなお傲慢に、人を愛する。
そんなこと。
(許せるはずが――無いではないの)
きっと手を握りしめる、長く伸ばされた指が掌に食い込んだ。ぷつと皮膚が破れる感触。いけない――そう思っても力は緩まない。ああいけない。けれど憎いのだ。腹立たしいのだ。神が。人が。未だ神話の続きである、この世界が。
「神なんて」
呟く。喉から、唇から漏れる、怨嗟の声。彼女は言った。冥府の風のうなりのような声で。
「神なんて――滅びればいいのよ」
その、瞬間だった。

閃光が、彼女の脳裏を貫いた。

水面の水月。それを手にした乙女。黒き刃。それを手にする狼。兄の血で濡れた雷槍。それを手に取る獅子。崩れ落ちる風の都――血が流れる。死が漂う。死が支配する。笑う、嗤う、紫水晶の瞳―――!
「――っひ!!」
びくんっと背を反らしてカッサンドラは刮目した。ぜえぜえと荒く息を吐き、呼気を整える――今のは。
「……貴柱は」
がくがくと震える手で、カッサンドラは顔を覆った。震えが止まらない。怖気が、吐き気が。冷たい汗が顎を滴り落ちる。えづきそうになるのを堪え、もう一度今見たものを思い出す。
難攻不落と呼ばれた城塞が落ち、その後は王がいなくなったこの国を狙って他国が攻め込んできた…国中が戦渦に焼き尽くされ、略奪が繰り返された。黒き刃を持ったものは既にその牙を持たず――何故?……彼はこの世で生きるものではなかったから…復讐を果たしてしまったから…憎しみの先が本当の■■だと知ったから――楽園の地は蹂躙される……そこにあるのは。そして。
――■■■…
カッサンドラは最後に聞こえた言葉に、必死で耳を澄ます。彼女は未来を「看る」ことは出来ても「聴く」ことは難しい。けれど懸命に音を拾う。鼓膜の内で嫌な耳鳴りがし、頭痛が襲う。それでも――それでも、聴かなければ。
あの言葉を。
「なに……?」
暗く、低い声だ。悲しみで憎しみで絶望で怒りで荒れたそれが、叫んでいる。
――れが
黒い巻き毛。紫水晶の瞳。両の手には黒い刃。緋色のマントを翻し、叫ぶ男。その先の壇上には――
「なんと、言っているの……?」
――これが…
逆光、影になってその姿は見えない壇上の王座の主。細い椅子に腰掛け、叫ぶ男を傲然と見下ろしている。――傲然と?顔など見えないのに、(それでも判る、それは、)
男は叫ぶ。届かないことを知って、意味のないことを解っていて、それでも――力の限りで、己の全てで。
叫んだ。

―――コレガ、アナタノノゾンダセカイナノカ!

低い男の声が絶望を映したようにひび割れ――違う、重なっているのだ。そうして、響く。黒剣が振り上げられる。その刃が一瞬だけ光を弾き、反射されたそれに照らされた相手の瞳の色は――!!
「……ミラよ」
愕然と、カッサンドラは呟いた。


「貴柱の望みは――一体、何なの……?」



視界に入った爪が、破れた皮膚からの血で汚れている。赤く、紅く、朱く。
まるで――逃れられない運命のように。