精霊の黄昏SSログ
幼い頃、見た夢
大きな黒い龍が、じっと自分を見つめている。手を伸ばせば届きそうなところに居るのに、近寄るわけでもなく、離れるわけでもなく、龍は全く動かない。
けれど、ふしぎと怖いとは思わなかった。むしろ懐かしいと、なぜかそう思った。
「君は…誰?」
呼びかけると龍は震えたように見えた。
「どうしてそこに居るの?」
一歩、自分は龍に近づく。すると大きくてとても強そうな龍は、怯えたように自分から離れようとする。自分を警戒し、うろこをめいいっぱい硬くして。
「待ってよ、ねえ…」
ダーク。
不意に頭に浮かんだその名前。知らない名前なのに知っている気がする。それがその龍の名前なのだと、なぜだか自分は知っている。
「ダー…ク…?」
けれど、その名前を呼んだ途端に夢は途切れた。ザザっとノイズがかかったように、龍は雑音の向こうに消えてなくなって、次に目に入ってきたのは見慣れた天井。
「ダー…ク……」
夢の中で呟いた言葉を、もう一度声に出して繰り返す。やはり聞いたことはない響きなのに、なぜか懐かしい。
「なんでだろう…?」
「カーグ、どうかしたの?」
そのとき部屋の扉が開いて、小さな灯が差し込んだ。
「母さん。夢を見たんだ……」
「夢?怖い夢?」
ううん。と自分は首を振る。
「怖くはなかったよ。ただ…」
「ただ?」
「なんだかすごく懐かしいんだ…。龍なんて見たこともないのに、懐かしいんだ…」
「龍…」
「うん。ダークっていう龍…。だと思う」
「ダーク…!」
その言葉に母が一瞬表情を無くしたのが、子供心にも流石にわかった。
「どうしたの、母さん?何か知ってるの?」
聞くと母はなんでもないのよと首を振る。そして、それは夢だから、気にしないで早く寝なさいと自分を諭す。
自分は母が何を知っているのか気になりつつも、その夜はおとなしく眠りについた。そしてそれ以降、二度とその龍が夢に出てくることはなく、この幼い頃のできごとも記憶の奥深くへと入り込んで、すっかり忘れてしまっていた。
それなのに。
今、その龍は自分の目の前に居る。今は幼い頃の夢のように自分を見て怯えたりはしない。ただ、自分が触れようとすると逆に離れていこうとするのは変わらないらしい。それでも、前よりはずっと良くなった。彼は今、彼が自らするのであれば、自分に触れてきてくれる。
「どうした、カーグ?」
そう言って今も彼は、どうやらお気に入りになったらしい、自分の解いた髪に指を絡ませた。
「ん?別に。ただ、見とれていただけさ」
「見とれていた?何に?」
ここ最近、彼とこうして過ごすようになって分かったことがある。彼は案外に鈍感だ。自分も人のことを言えた義理ではないのだけれど、彼よりはまだマシだと思っている。
今も彼は自分の考えていることがわからないらしい。それに少しだけ優越感を感じて、少しだけ、自分は笑ってやった。
「お前に決まってるだろ?ダーク」
「なっ!」
耳元でささやくと彼は慌てて飛びのく。こういうところが悪ぶっていてもなぜかかわいいと思ってしまう所以。かも知れない。
くすくすとひととおり笑い終わってから、自分は思い出した夢の内容を彼に語った。
「昔、夢を見たんだ。子供の頃の夢だから特に気にもとめてなかったんだけど、今思い出した」
「夢?どんな夢だ?」
「お前の夢さ。大きな黒い龍になったお前の夢」
「俺の?なんでそれが俺の夢なんだ?俺はドゥラゴ族ではあるが、龍じゃない」
「さあ?でも分かるよ。あの龍がお前だったんだって。だって、ほら」
す、と右手で彼の顔に触れようとすると、彼は少しだけ身を竦める。
「お前はどうしても俺に触れさせてくれないんだ。龍のお前もそうだった」
「それは…」
「まあいいさ。お前がこうして触れてくれるなら」
触れようとした手で今度は彼の手を取り、自分の顔に触れさせる。
それにプラスしてにこりとでも笑ってやれば、また彼は少し及び腰ぎみのかわいらしい姿だ。
「よくもまあ、真顔でそんな台詞がはけるものだな」
「そうかな?普通だと思うけど」
「全然普通じゃない!」
「そう?でも、本当のことだしいいじゃないか」
彼は頭を抱えたさそうだが、手を自分にふさがれているからできないらしい。
また楽しくて自分は笑う。
数ヶ月前ならありえなかった光景。今は当たり前のようにある姿。
本当はきっと、ずっと昔からこれを望んでいた。幼い頃、あの夢を見たときから、本能的に彼とともにありたいと。当たり前だ。たとえお互いがお互いを知らなかったのだとしても、自分達は双子の兄弟なのだから。
彼に手を差し伸べたあの夢がその証。それがやがて自分の願いとなり、そして今それは叶っている。
彼の腕に抱かれ、彼を腕に抱き、今確かにその夢はここにあるのだとここに感じる日々を送る。遠い昔の夢に見た現実は今、確かにここにある。