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改・スタイルズ荘の怪事件

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「いや、わたしにも全く分からないんです。おそらく衝動的なものでしょう。」
メアリが笑い出したので、つられる様にわたしも笑った。
わたしはこの機会にシンシアのことを話してみたが、大して話さない内にメアリに遮られてしまった。
「シンシアはちょっと勘違いをしているんです。わたしはあの子に冷たくしているわけじゃないの。信じて下さい。」
昨日の夜のメアリを思えば、言葉はいくらでも疑える。そんな考えが雰囲気で伝わったのか、彼女は思いがけないことを口にした。
「ミスター・ヘイスティングズ、私と主人が上手くいっているとお考えですか?」
わたしは驚いて、夫婦の内のことに部外者が口を出すべきではないと返答した。答えになっていないのは、自分でもよく分かった。
「では私がお答えしますが、私たちは上手くいっていないんです。」
メアリは穏やかに言った。
わたしは何も言わずにただ黙っていた。彼女にはまだ言いたいことが沢山ある様子だったからだ。
「あなたは私のことを何も知らないでしょう?子供時代をどこで過ごして、ジョンと結婚するまでは何をしていたか。」
メアリは腕を胸の前に組み直すと、自分で自分を強く抱きしめた。そうでもしないと自分が無くなってしまう。彼女はそんな風に思っているかのようだった。
「私の父はイギリス区の人間ですが、母はロシア区の生まれでした。」
何気なく相槌を打つと、メアリが首をかしげた。統合政府の前にプライバシーなど存在しないことが、彼女にはピンと来ないのだろう。
「いえ、気にせず話を続けてください。」
「母はとても美しい人だったようです。私には大した記憶はありませんが。三歳のときに亡くなったんです。それからは父の仕事について、世界中を周りました。父は政府の技官だったんです。ロンドンに滞在中に父が死んで、困惑している私を助けてくれたのがお母様で、その縁でジョンとも知り合いました。どう思います?」
「どうとは?」
「大陸で生まれた人間が、色恋の一つや二つで、簡単に英国で暮らし続けることを選ぶと思いますか?」
「ですが、実際にあなたはそうしている。現実というのは、そういうものなのではないですか。」
メアリは苦悶するように顔を歪め、しばらく黙りこんでいたが、やがてゆっくりと言葉を搾り出した。
「自信がないんです。」
「それはどういう意味です?」
「自分の記憶に自信がないんです。まるで作りものみたいで、本当の気がしないんです。ここで暮らし始めてからしか本物の記憶ではない。そんな気がするんです。」
わたしは内心で安堵のため息をついた。つまり、それだけジョンとの生活が特別だと惚気たいのだろう。
「ジョンを愛しているんですね。」
メアリは大きき頭を左右に振った。その姿はどこか地団太を踏む子供に似ていた。
「だけど、違うんです。彼を愛している理由が頭ではいくらでも思い浮かぶのに、気持ちでは少しも納得しないんです。ミスター・ヘイスティングズ、私はここから出ていくつもりなの。この牢獄から自由になって、最初から自分の頭と心を点検し直したいんです。」
それを聞いてとっさに浮かんだのは、荒涼した大地に力なく佇むメアリだった。無謀だ。わたしは何故か強くそう思った。
「メアリ、あなたの気持ちは理解できたつもりです。だから、早まったことはよして下さい。」
「早まったなんて、むしろ──」
力強い言葉とは裏腹に、メアリの顔には血の気が全くなかった。彼女自身も何処では、このスタイルズ荘こそが自分の居場所だと思っているのだ。
「バウアスタイン博士が失踪したのをご存知ですか?」
メアリは知らなかったようだ。顔には驚愕が張り付いていた。しかし、それも一瞬だった。
「そうですか。あの人自身も危険を感じていたようですから、逃げたのかもしれませんね。」
全く震えることもない平坦な調子。それが逆にわたしに一つの憶測を導き出させた。博士こそがメアリをここから連れ出す使者だったのかもしれない。もしそうなら、彼女の希望をわたしが図らずも断ち切ってしまった形になるのだろう。わたしはおずおずと聞いた。
「博士のことをどう思います?」
メアリの声はいつもと変わらなかった。それがわたしには悲痛に感じられた。
「どうって。」
「親しい友人だったのでしょう?」
「あの人はどこか父に似ていたんです。それだけですよ。」
数歩しりぞくと、彼女は近くにあった花瓶の側面を撫でた。そこに挿された花はもう半分枯れかけていた。この一連の騒動で、スタイルズ荘も通常運行とはいかないのだ。
「花を変えないと。」
彼女はそれだけ呟くと、会釈してわたしの横を通り抜けていった。
わたしが力なく窓の外を見ると、ポアロはちょうど奇行を切り上げて屋敷へ戻ろうとしているところだった。あれほど身体を動かした後なのに、額には汗一つ浮かんでいない。
外に出てポアロと合流すると、彼女は不機嫌さを隠さず辛辣な口調で質問してきた。
「ミセス・カウンディッシュとは仲良くなれたかい?」
外からこちらを密かに観察していたのかもしれない。わたしは慌てて、話の内容を説明すると、ポアロは興味深そうに頷いた。
「同族嫌悪というやつだろうね。そもそも夫人の専門はそちら側だからな。しかし、ヘイスティングズ、どうやらボクは負けたようだ。」
彼女はそう言いながら、食堂の方を興味深く見つめていた。わたしも釣られてそちらに視線を向けた。そこにはゴーグルをつけたシンシアの後姿があった。ここからでは彼女が何をしているのか見ることは出来ないが、大したことをしているようにも思えない。
「シンシア。こちらに来て。手伝って。」
より注視しようとした矢先、エヴィの呼びかけで彼女は食堂から出て行ってしまう。
「シンシアが何だって言うんです?」
「いや、彼女はどうやらボクのシンデレラだったようだ。靴こそ落としてはくれなかったがね。」
意味不明なことを言うとポアロは無人になった食堂へと入っていってしまった。わたしは先ほどの敗北宣言の真意を聞き出そうと躍起になったが、ポアロは意味ありげな言葉でそれをかわすだけだった。
「これは大きな賭けだ。たぶん、このエルキュール・ポアロをのぞいて、誰もこんなことをしようとは考えないだろう。」
ポアロは用意させていた冷め切ったコーヒーをゆっくりと飲んでいる。新しいものも用意出来たのだが、妙なところで貧乏性なのだ。
彼女は少し顔をしかめた。
「このコーヒーはちょっと濃いな。」
「冷めてるから、そう感じるんでしょう。」
「君がそう言うなら、そうなんだろうね。」
小一時間ほど、二人きりでゆったりと過ごしていると、唐突にホールにつながる正面の扉が勢いよく開いた。
ポアロは全てを知っているかのように悠然と言った。
「その時が来たか。」
入ってきたドーカスの画面にはこのように表示されていた。
「ジョン・カウンディッシュ逮捕」
わたしがその文字を確認したのとほぼ同時に、背後で甲高い音が響いた。後ろを振り向くと、それはポアロが椅子から転げ落ちるとき、茶器を道連れにした音だった。