改・スタイルズ荘の怪事件
「もう諦めて下さい。」
「君は本当に犬だな。下らない。実に下らない。もう少し、面白い話が聞けるかと思ったんだが、所詮は出涸らしということか。」
カウンディッシュ氏が足を踏み鳴らすと、床から無数の巨大な獣が生え出てきた。それが灰色の毛をまとったジョン・カウンディッシュたちだと気づくのに、わたしは数秒を有した。鋭い爪と牙を持ち巨狼そのものと化した者に混ざって、人の形のまま手に軍でも使用されている小火器を握っている者もいる。彼らの虚ろな青い目に、わたしは怖気が走るのを感じた。
「その毛皮は刃も弾も通さない特別性でね。アルフレッドの進化形だと考えてくれればいい。なかなか厄介な代物だと思うよ。この日のために用意しておいたとっておきだ、存分に楽しんでくれたまえ。」
カウンディッシュ氏はそれだけ言って奥の方へと消えていこうとした。私は急いで相手を呼び止めた。
「一つだけ、わたしも貴方に教えておきたいことがあります。」
「何かな?」
「ここだけの話、わたしは強いですよ。」
わたし達はしばし見つめ合った。
「そうかそうか、犬と言ったのは取り消そう。戦士は無口なものだよな。」
しばらくして氏が背を向けると、それを合図に、巨狼たちがわたしへと殺到した。
いくら数がいたところで、一度に襲いかかれる人数には限りがある。火線を意識の端に置きながら、わたしは最低限度の動きで狼たちの攻撃を次々と処理していった。
彼らの陣形は画一的で、柔軟性というものに欠けていた。ポアロが前に言っていたように、彼らは本来わたしのような小さい標的を狙うための兵器ではないのだ。そこにわたしの付け込む隙があった。
一匹の狼がくり出した必殺の牙を、わたしは掌で真正面から受けた。膂力に任せた獣の業と、術理を踏まえた人の技、ぶつかれば結果は自ずから明らかだ。狼の頭がその場で爆ぜ飛ぶ。
その光景に怯むことなく立ち向かってくる二体の獣を、回し蹴りで胴体ごとまとめて切断したが、死ぬ前に傷口がくっついてしまった。少しばかり美しく決めすぎたらしい。慌てて心臓を打ち抜くと、胸に空いた隙間から銃弾がこちらに飛んで来た。
それが口火となって、逃げ場のない集中砲火が開始される。ジョンたちが用いる火器は、場所によっては致命的な損害をこちらに与えるものだ。逆に言うなら、正しく防御している分にはすぐに先頭不能になることはない。見通しを立てる時間は十分にあった。
わたしは地面に横たわった死体の一つを足だけで持ち上げると、そのまま自分の正面に蹴り飛ばした。
こうすれば、銃弾を通さない獣人【ライカンスロープ】の肉体はわたしにとっての格好の移動防壁となる。飛来していく死体の陰に隠れて並走しながら、包囲網の境界線までたどり着けば、残りはわたしにとって容易い作業だ。
死体によって混乱に陥ったジョンたちの一体の頭の上に足をかけると、ステップの要領で次から次に彼らの脳髄を踏みつぶしていく。
わたしは死んだジョンの頭上から周囲を見下ろして、その奇景に目を見張った。地平線の果てまで、ジョン、ジョン、ジョンだ。その数およそ二万。決起すればその日の内に英国区を完全に掌握できるほどの戦力である。
深く息を吸い込むと、わたしは両手の指で左右の太ももにかつて極東に存在した象形文字を書き込んでいった。自らにかけた自己暗示を解くためのルーチンワークである。機士はほとんどの自由を許されていないが、ただ一つだけ、自らの刃を抜く場所を選ぶことは出来るのだ。
次の瞬間、わたしは周囲に散乱した二百体のジョンの死体を一気に挽肉へと変えていた。別の先ほどとやっていること自体に変化はない。すっかり忘れていたが、わたしにはそういうことが出来るというだけのことだ。自分の脳の一部がこの状況は絶望的なものではないと告げている。
「楽勝かな。」
わたしは半ば本気でそう呟いた。しかし、意識して攻めに転じるということは守りが薄くなるということでもある。先ほどまで無意識に防御へと回していた余力が、攻撃へと差し向けられるのだ。実際、八千体のジョンを死へ送り返した時点で、わたしの基礎フレームは外部の修理を必要とする程度には歪んでいた。それでも死ぬ気は全くしなかったが。
撃墜数が万を超えかけた頃、周囲の惨状にも目を止めず、愚直に押し寄せてきていたジョンたちの動きが急にぴったりと止まった。
「どうやら時間と資源の無駄だったようだ。なるほど君が俺の”カインの烙印”というわけか。」
左右に割れた黒々とした群れの間を進みながら、カウンディッシュ氏は溜息をついた。
「ロジティクスの天才と呼ばれた貴方からは、信じられない失態ですね。」
「そう言われると、返す言葉がないな。しかし、機士を相手にするのは初めてでね。情報収集のための止むを得ない犠牲というやつさ。」
氏はわたしの十歩先で立ち止まると、上着や靴下を脱いで、直立しているジョンの肩に掛けていく。他のジョンたちは、まるで決戦の舞台を用意するかのように、わたし達二人を中心にして円を描くように取り巻いていく。
「対策が御有りのようだ。」
「別に、単純な殴り合いなら俺の勝ちだ。」
周囲に撒き散らされた暴力の嵐の中にあって、その構えには何の力みも感じられなかった。どうやら氏は優れた戦士でもあるようだ。それでも、人体の強度などたかがしれている。
「武装しなくてもによろしいんですか。あまり賢い選択だとは思えませんが。」
「こちらにだって順序ってものがあるんだよ。別に素手でも問題無いさ。生体活動があるなら、殺せばいい。生体活動がないなら、砕けばいい。それだけの話だろう。」
「卓見ですが」
わたしが喋り終わる前に、相手の拳がこちらの右肩の装甲板の一部を削りとっていった。超振動によって引き起こされる分子構造の崩壊。信じられないことだが、氏は拳でそれと同じ現象を引き起こせるらしい。
「随分と間抜けな顔だな。」
「英雄の中には、素手で「巨人」と渡り合った者もいたとは聞きましたが、まさか本当だったとは。」
「ちょっとした、武術【バリツ】さ。俺のは猿真似だよ。本当の使い手なら今ので終わっている。」
「隠し芸としては中々だと思いますよ。ですが、やすりで機士は殺せません。」
「言うね。そうだ、お前に一つ言っておいてやろう。」
「何です?」
「本気で来い。優しく殺してやるから。」
おもむろに氏はバックステップをすると、周囲を囲んでいたジョンたちの中へと潜り込んだ。接触を受けたジョンたちの肉体が、電撃を受けたように身震いをしていく。その身震いが隣り合うジョンの肉体へと伝染し、わたしを取り巻いていたジョンたちが、次々と細やかな振動を共有していく。
わたしがその意味に気づいたときには、既に何もかもが手遅れだった。ジョンたちから成る生きた檻は一気に高さを増し、わたしを見事に囲い込んでいる。その動きはもはや一個の生命体であると称した方が正しいだろう。
檻の内側には、振動する獰猛な牙たちが無数に並び、ジョンたちの身体が幾重にも折り重なった檻の強度は、生命体特有の柔軟さ故に判断がつかない。唯一あるのはぽっかり空いた上空の隙だが、これは相手が持つ対空性能への自信の表れと見て間違えない。
「手というよりは口というべきなのかな。」
作品名:改・スタイルズ荘の怪事件 作家名:しかばね