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蒼氷(そうひ)@ついった
蒼氷(そうひ)@ついった
novelistID. 2916
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月影

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あんまり月が、君が、綺麗だったから、さ。


月影


そろそろ日付が変わろうかという時間帯。
それでも眠ることを知らないこの街は、街頭の下を暗闇を歩き回る人々を丸ごと飲み込んでは内側に包み込む。
鼻腔を一層強く擽(くすぐ)る匂いに、静雄は眉根を寄せた。
薄い青のレンズ越しに見上げたのは、今は廃墟と化している古ぼけたビルだ。
深夜の陰鬱な空気に沈むその建築物を何とはなしに眺めてから、静雄は肩に乗せていた標識を緩やかに担ぎなおした。
視線を元に戻し、どこか饐(す)えた臭い漂う薄暗い裏路地に足を踏み入れる。
どこから転がって来たか知れない空き缶が足元で乾いた音を立て、不気味に膨らむ黒いゴミ袋が視界の端をチラつく。
屋上へと続く唯一の移動経路である非常階段は、片足を乗せるだけで軋んだ悲鳴を上げた。
踵が地を蹴るたび錆びた鉄の音が鳴り、鈍く反響をする。
振動は踏み板を揺らすだけに留まらず、手摺を伝わり、まるで階段全体が揺れているような錯覚に陥る。
人々の喧騒や車のクラクションの残響が、足元から吹き上げる風に乗って響いた。
月の光が、標識の表面を青白く照らしている。
手の中のそれは、夜風に晒されやけに冷たい感触を掌に伝えていた。
かん、かん。上へと昇る規則的な靴音だけが意識を支配する。
立ち入り禁止と書かれた紙は、風雨に晒されドアに汚らしく張り付くだけのただの塵屑となってしまっていた。
やけにそこだけが小奇麗なドアノブを掴み、足を前に踏み出す。
奥に引き込まれる様に開いたドア。
冷え切ったビル風が、シャツの袖口から静かに忍び込んでくる。
まず目に飛び込んできたのは、夜の帳を掻き分けてこちらを見下ろす満月だった。
纏わり付く雲を跳ね除けるように煌煌と輝く月は、ただひたすら荘厳な光を湛えている。
幾つもの輪を重ねた様に広がる白から濃紺へのグラデーション、そこに散らばり微かに明滅する星。
訳もなく泣きたくなるような、そんな、そんな光を背中に浴びながら、そいつはそこに立っていた。
立て付けの悪いドアが立てた音で――もしくはもっとずっと前から俺の存在は感知していたのかもしれないが――待ちかねた様に彼はこちらを振り向く。
夜風が騒ぎ立てるようにいっそう、強さを増した。
闇に溶ける様な彼の黒髪は、月の光に透けて薄く蒼の輝きを放っている。
斜め上から射す淡い光線によって陰影が付けられた彼の容貌は、元々のシャープさと相俟(あいま)って、その造りの美しさを際だたせていた。
彼の赤い双眸さえもが、その蒼に侵食されてしまいそうだ。
薄い唇が、月の輪郭をなぞるように弧を描く。

「月が、さ」

息を吐く音さえもが、耳に届いてしまう。
長い睫毛が夜風に微かに震える様も、真紅の虹彩が揺れ動く様もが、そう、例えば夕日を直接見てしまったときの様に、網膜に焼き付いて離れない。

「あんまり綺麗だったから、さ」

静かな声が、漣(さざなみ)の様に鼓膜を揺らす。
強い風にも掻き消されない、凛として澄み切った声。

「殺していいよ」

絶えず吹く風が、彼の服の裾をふわりと膨らませる。
重力に逆らうように束縛から逃げるように、不安定に揺らめくその姿は、目の前の彼と良く似ていた。
柔らかな毛皮に包まれた裾先が触れる、その寸前で彼は足を止めた。
酷薄な輝きを放つ刃が、何時もとは逆の向きで向けられる。
受け取るのを待つように伸ばされた指先を、風が撫でていくのが見えるようだった。
促されるまま広げた掌に、軽くて無機質な感触。
胸元に擦り寄った、温かな感触。
詰められ、安堵したように吐き出されるか細い吐息。
追い求めていた、捜し求めていた馨(かお)りが、沁み込む様に肌に触れる。
細い指先が、ベストとシャツの境界線を絆(ほだ)す様に滑った。
音を立てて彼の上着がはためく。
猫の様に摺り寄せられた彼の頭に手を伸ばしかけて、止めた。
どんなに追い続けても、彼という存在を手に入れられた事はなかった。
掴んでも霧の様に砂の様に指の間をすり抜けて、捉えられない自分を嘲笑う。
強く掴もうと手を握り締めれば、ぐしゃぐしゃに壊れて掌を零れ落ちる夢を何度も何度も、見てきたから。

「静ちゃん、       」

右腕を擡(もた)げ、細い肩越しに渡されたばかりの得物を見遣る。
鈍色の冷めた輝きを放つそれに、親指を沿わせた。
刃の断面を緩くなぞる位では薄皮を裂く事も出来ないそれを、指先に思い切り力を入れてへし折った。
キン、と甲高い悲鳴を上げてナイフが地面を弾む。
ガラン、と鉄がコンクリートの上を転がる音。
自由になった両腕を背中に回し、壊さぬように逃がさぬように、今。


あんまり月が、お前が、愛おしかったから、
作品名:月影 作家名:蒼氷(そうひ)@ついった