ラナンキュラス
僕はもう二度と庭にラナンキュラスが咲くところを見れないんだって、お医者様が言っていたよ。そう言ってジョナサンは悲しげな顔をするでもなく窓から見える空を眺めていた。ラナンキュラスは冬から初春に咲く花で、これは彼の命が長くないことを意味していた。ある程度覚悟していた僕は、そう、とだけ呟き目線を逸らすため横に詰まれた本を見た。生まれつき身体の弱い彼は本の世界を頼りに生きている。知識の量だけなら、大人にだって負けていないだろう。
「今日は本と、お前の好きな果物を持ってきた」
「本当に?ありがとう、ディオ。遠いのにわざわざごめんね」
「まったくだ。ここに来る途中で何度も暑さで倒れそうになったよ」
僕が軽口を叩くと彼は笑った。彼の微笑みは純粋なものであったが、同時に機械的でもあった。僕が話して、彼が笑う。すでに幾万と繰り替えされてきた動作だった。二人ともこの動作を意味のあるものだと信じている。何より、ディオはジョナサンの笑顔が好きだった。どんなものよりも美しいとディオは思っている。病室で佇むジョナサンはまるで絵画のようだ。ジョージはジョナサンの体調が良いときには外国へと連れて行こうとした。きっと短い彼の人生を色濃くしたかったのだろう。ディオももちろんそれに連れ添って行った。絶景だと賞賛される滝や、アジアの歴史に残る建築物などいろいろなところへ行ったけれど、やっぱり彼が一番だ。彼が一番うつくしい。
「ねえ、ディオ」
「なんだ」
「僕はね、ラナンキュラスは君と似ていると思うんだ」
なぜ?そう聞き返すと、彼がまた笑った。だって、ラナンキュラスの花言葉を君は知ってる?溢れんばかりの魅力だって。今の季節はまだ咲いていないけれど、冬になったら必ず庭を彩るんだ。君だって、まだ子供だから咲いてはいないけれど、大人になったら誰もが羨むような素敵な人になる。僕も、父さんも、周りの大人もみんなそう確信してる。僕はその日が楽しみでしょうがないんだ。
ディオはこのとき吐き気を覚えた。お前が想像するその未来に、お前の姿はないんだろう?そう責めたてようとした唇をかみ締める。どんなに輝かしい未来が待っていても、お前がいなくてはなんの意味もないよ。
ディオは未来を嬉しそうに話すジョナサンが嫌いだった。ジョナサンは自分が生きていると仮定した未来を話すのではなく、自分が死んだあとの世界を語る。ディオにはそれが理解できない。このときだけディオはジョナサンに恐怖を抱いていた。
ディオが帰ろうとしたとき、ジョナサンが血を吐いた。口を押さえていた手は真っ赤に染まり、細い身体は震えていた。
「医者を」
医者を呼ばなくては。自分じゃ助けられない。ジョナサンが死んでしまう。死んでしまう。しんでしまう。突然の事態にディオは動転した。口からは悲鳴にならなかった声が漏れる。そんなディオを見てジョナサンは微笑んでいる、その姿がよりいっそうディオを混乱させ絶望を感じさせた。
とにかく誰かを呼ぼうとドアへ向かって体をひるがえす。しかし前には進めない。ジョナサンがディオの腕を掴んでいた。ぬるり、ジョナサンの力の無い掌がディオの腕を這った。手についていた血がべたべたとディオの白い腕を染め上げる。
「どこに行くの?」
どこって、わかるだろう。医者を呼ぶに決まってる。お前を助けてもらうために。
「いかないで」
「離せ」
「ここにいて」
「離せ!」
怖い。ジョナサンが死ぬこともそうだが、何よりジョナサン自身が。生きることには手を伸ばさないくせに、僕には手を伸ばしてくるお前が恐ろしくて仕方ない。ディオは花だろうが動物だろうがどんなものでも生きたいと願っているものを生命とよんだ。なのにどうしてお前は生きたいと思わないんだ。どうして!ディオにはジョナサンがわからない。わからないことは恐ろしい。ディオはときどき化け物と対峙している気分になる。
「あ」
ついにディオはジョナサンの縋り付く手を振りほどいて駆け出した。取り残されたジョナサンはゆっくりと手を下ろし窓に目を向けた。窓の縁には虫の死骸が転がっている。もうすぐ夏が終わろうとしていた。