Night on the Galactic Railroad
遙かなる旅路に寄せて
ガタン、と列車の揺れる音がして、クラウドは目を覚ました。
「お、起きたか?」
霞む目を擦りながら目を開けると、向かい側の緑色の座席に黒髪の男が座っていた。クラウドは驚きに目を見開いて、男の名前を呼んだ。
「ザックス…」
「おう、おっはよう!」
ザックスが列車の窓枠に片肘をついてクラウドにちょっと手を振った。クラウドはきょろきょろと辺りを見回した。
木の床に鉄の車体。遠くで汽笛が低い音をたてて鳴った。痺れる様な切ない音だった。どうやらここは、相当古い蒸気機関車の中の様だ。
座席はがらんとしていて、人気が無く、列車の揺れる音だけが響いている。この車両に乗っているのは、ザックスとクラウドの二人だけらしい。
列車の外は暗く、点々とした光の粒が、ビロードの闇の奥で煌いている。何かが滑る様な音がして、金色に発光した斜角が、急に列車の窓を横切って行ったので、クラウドはぎょっとした。
「…何処だここ…」
「何処って、忘れちゃったのか?そうだなあ、今は白鳥の停車場の辺りかな?」
ザックスが頬から手をはずして両手を動かした。浮かび上がる様にその手の中に黒曜石が出現する。表面に天の川と色とりどりの星が描かれていて、その上をスライドする様にミニチュアの列車が進んでいる。地図だ。
クラウドは身を乗り出して黒い石の地図を見た。何処へ行くか、行き先は描かれていない。クラウドは地図を見ながらザックスに聞いた。
「…何処行くんだ」
ザックスの手が離れて、地図が霧消する様に消えた。クラウドの頭の上からザックスの声がする。
「何処まででもさ」
「何処までも?」
クラウドは顔を上げてザックスを見た。ザックスは穏やかに笑っている。クラウドも、つられて笑った。
「そうさ、約束しただろ。二人で何処までも行こうって」
「…約束」
クラウドはシートに背をつけて呟いた。そう言えば、そんな約束をしたかもしれない。よく覚えていないけれど、ザックスが言うならそうなのだろう。
列車の外の風景がほの明るくなった。ザックスは身を乗り出してよろい戸を開けると、感嘆の声を上げた。
「クラウド見ろよ!リンドウの原っぱだ」
手を招いて誘われて、クラウドも窓の外を見た。発光する白いリンドウの花々が、風に吹かれて揺れている。銀河の暗闇に浮かぶ花畑は、夢幻の灯火にも見えて美しい。
「採って来ようか」
クラウドは何気なくザックスに聞いた。自分なら出来ると思ったからだ。実際クラウドにはそんな事朝飯前だろう。ザックスが勢い良くクラウドを振り返った。驚いてクラウドが身を引くと、ザックスの手が肩へ伸びて、がっちりと掴まれた。
「いいよそんなの、それにもうあんなに遠くに行っちゃったし」
クラウドが窓に視線を戻すと、もうそこにリンドウの花畑は無くなっており、また元通りに黒い銀河が、沈黙して広がっている。視線の向こうに、小さく光るものが見えたので、それがあの花畑だろうと思われた。
ザックスは息を吐いて、クラウドの肩に手を回したまま、クラウドの隣に飛び跳ねる様にして座った。シートが彼の体重を受け止めて、どすんと音を立てた。ザックスの熱い体温が、ぴったりとクラウドに寄り添った。
「いいか、俺から離れんなよ」
耳元で囁かれて、クラウドはザックスを見た。とても低い、怒りを含んだ声音だったので、クラウドは何か気に障る事でも言ってしまったのだろうかと気を揉んだ。だが振り向いて見たザックスの瞳はいつもの様にきらきら輝いていて、
透明感のある虹彩にはクラウドの姿がすっぽり映って見えた。ザックスがその目を細めてにっかりと笑う。良かった。怒っている訳では無いらしい。それはそうだ。ザックスはこんな事では怒らない。さっきの声音は何かの間違いだろう。
二人はそのまま暫くじっとして、列車の振動に身を任せていた。ザックスに肩を抱かれながら、クラウドは窓を見た。二人の姿が暗いガラスに映っている。クラウドがいて、隣にザックスがいる。
(良かった。死んでない)
クラウドは、心の奥からふとそんな言葉が浮かんで来たので、ちょっと驚いた。何だって?死んでないって、誰の事だ。
思考を逡巡させていると、突然、失礼いたします。と二人に声がかかって、クラウドは振り向いた。
「切符を拝見いたします」
そこに立っていたのは、帽子を目深に被った車掌だった。一つ結びに括った長い黒髪が頭の後ろでツンツンはねている。帽子に当たる室内灯の明かりが影になって、顔が良く見えない。
ザックスがクラウドから手を離して、自分の席に着いた。彼はカーゴパンツのポケットを探って、くしゃくしゃに縮まった切符を摘み出すと、指の腹で皺を伸ばして車掌に差し出した。
「拝見いたします」
車掌が白い手袋をした手を差し出して切符を受け取った。肩に下げた鞄から切符切を取り出して、パンチする。カチンと音がして、ザックスの切符に小さな穴が開いた。
クラウドはぼんやりそれを見ていた。車掌がザックスに切符を返して、クラウドに手を差し出した。
「貴方もどうぞ」
「あ、はい」
クラウドは戸惑いながらポケットを探った。でも切符なんて、買った覚えがない。ポケットの中はきっと空だ。クラウドは車掌をちらりと見た。白い手袋の手がこちらへ伸びて切符を待ち構えている。
クラウドはもう片方のポケットにも手を突っ込んだ。無い。何処にも無い。困った。諦めかけて手を引き抜こうとした時、何かが指に当たった。
「……?」
クラウドはそれを摘んでポケットから取り出した。見てみると、それは二つに折りたたまれた紙だった。車掌がほぅと声をあげる。クラウドは困惑した顔でそれを車掌に差し出した。
車掌は丁寧に紙を開いて、紙にかかれた文面に目を通している。これしか無かったから渡してしまったけど、切符では無かったのだろうか?何か言葉を待っていると、車掌が紙から顔を上げてクラウドに尋ねた。
「これは、第四次空間からお持ちになった物ですか?」
四次空間?何を言われているのか分からない。クラウドは困惑したまま首を振った。
「わかりません」
「…よろしゅう御座います」
車掌は開いた紙をまた折りたたんでうやうやしくクラウドにつき返した。クラウドは釈然としないままそれを受け取った。ザックスが物珍しそうにクラウドの切符を見ている。
「次の停車駅は、鷲の停車場で御座います」
車掌が一礼をして去って行った。薄い影が一緒に引っ込んで行って、音も無く消えた。クラウドが目線で追いかけて見ていると、ザックスがぱっとクラウドの指から切符を引き抜いた。
「あっ」
「へえー、面白いじゃん」
ザックスが切符を頭上に翳しながら読んでいる。あんまり引っ張るので裂けそうだ。クラウドは手を伸ばしてザックスに言った。
「返せよ」
「ええーもうちょっと…」
「返せったら、破れる」
ザックスがへいへいと言いながらクラウドに切符を渡した。クラウドはほっと溜息をついて切符をポケットにしまった。破かれたらこの列車から放り出されてしまう。銀河鉄道の乗客が切符を無くしたら、車掌に強制退去させられると相場が決まっている。
列車が徐々に減速して、汽笛を鳴らして停車した。ザックスが座席に手をついて勢い良く立ち上がった。列車の中をアナウンスが反響する。
《鷲の停車場、鷲の停車場です》
作品名:Night on the Galactic Railroad 作家名:അഗത