うたたね
「こいつは、ここで寝てるんだよ…。」
この状況をどこからどう突っこんでいいのか、煙草をくわえた唇の隙間から落ちるのは間の抜けた溜息ばかりだ。
その原因となっている少女はソファにもたれかかって可愛らしい寝顔を無防備に晒して気持ちよさそうに寝息をたてて、しばらく起きる気配も見せない。
「安心されてる…からだろーな。」
当然と言えば当然なのかも知れない、この場所は音楽準備室でここに出入りするのは教師である自分だ。
こうなった原因ももちろん自分にある、アンサンブルコンサートの会場の件で呼び出したのに、今度は自分が呼び出されてかなりの時間彼女をここに待たせることになってしまったのだから、こんな小春日の柔らかな日が射し込む中で何もせずただ待たされている状況で睡魔に勝てるはずがないことは、仕方のないことなのだが…。
「オレだって…なぁ…。」
何処か抑えた苦みを含む呟きは思いの外部屋に大きく響いた気がして、僅かに心臓が跳ね上る。
可愛らしい寝顔に引き寄せられるように彼女の頬に触れた指先はそのまま、心地よい音を紡ぐ唇へと滑り、柔らかなその感触に禁忌を犯す甘美な衝動を覚えたとき、微かにそれが動いた、言い訳の聞かない状況に触れた指の一本も動かすことができないままに瞳を開けるであろう彼女に身構える。
「…さむっ…。」
小さな声がこぼれ落ち、眉間にしわが寄ると寒さから身を守るように縮こまり、再び規則的な寝息を立て始めた、
「で、起きないのかよ…。」
ここまでくると、この状況の危うさなどどこかに飛んでいったように可笑しさしかこみ上げてこない。
「ったく、お前さんには負けるよ…。」
苦笑いを浮かべ自分の着ていた白衣を脱ぎ掛けてやる、それだけでは彼女の求める温もりは得られないだろうから部屋の隅に掛けてあったコートも取り出し、そっと掛けてやった。
「…あと10分だぞ。」
そう耳元で囁いた時、
「あったかくて、先生のいい匂いだぁ…」
香穂子は眠ったまま、答えるようにふわりと微笑んだ。
夕日に照らされて茜色にそまる部屋の中で、すやすやと眠る少女とその前で耳まで赤くして動けなくなっている男の姿を誰の目にも触れないようにしたのは、お節介な妖精の仕業なのかも知れない。