無自覚
彼にとっては日常の1コマ、僕にとってはこの上ない至福の時間の中、彼の甘い声でそれは発せられた。彼との数少ない交わした会話はほぼ覚えているけれど、今何の話をしていたのか一瞬忘れる程度には突拍子がなく、しかし彼にはしっかりと脈絡はあったらしい。今名のあがった彼の友人を連想させる単語がどうやらあったようだけれど僕には解らなかった。
「ええと、こないだ二人が話してるの偶然見かけたんだけど。久保君てなんていうか、柔らかい? 優しい喋り方するじゃない? だから雄二にちょっと、怒ってるふうだったから…少し驚いたんだよね。だから余程酷い事されたんじゃないかって…余計なお世話だったらごめん」
なんという事だろう。愛しい彼と喋る以上に機会のない彼の友人との会話を、よりにもよって。確かにいつでも攻撃的な彼の友人と相対する時は他の人より強い態度になっている自覚は、ある。あるが、
(違うよ、吉井君)
「坂本君のことは、嫌いではないよ。君に心配をかけるようなことじゃないんだ」
別に、そうだ彼の友人を嫌いな訳ではない。その立ち位置に、才能に、嫉妬をしてはいるけれど。驚く程に、嫌い、ではないのだ。
(他の人とあまりに違うのは、きみにだ。きみにだけなんだよ吉井君)
優しく、柔らかく見えているのか、自分は彼に。言われた事のない言葉だ。だけに一瞬泣きそうになって、ごまかす様に笑った。それに安心したのか、先程より幾分か軽い調子で、もし何か嫌な事をされたら僕がガツンと言ってやるからなんて笑う。可愛い人。優しい人。きっとただの男同士の喧嘩になら口を出したりしないのだろう。対等ではない、と、思われているのだろう。庇護されている様な擽ったさを喜べばいいのか、まるで身内の言い方をするそれにまた嫉妬すればいいのか解らない。正直に言えば、頭などあまり働いていなかった。
彼の無自覚はいつでも暴力的である。
もしかして僕は他に何もいらないんじゃないかとその輝く笑顔を見て立ち竦んだ。
(ああ、けれどどうか、君にとっても今が日常の1コマ以上にならないだろうかと祈る位は、)