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くまちゃん
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novelistID. 16246
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【時京】 君がため 惜しからざりし 命さへ

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君がため 惜しからざりし 命さへ



夜半に降っていた雨は朝にはすっかり上がり、その日は快晴だった。



日中から始まった衆合議で時雨は頭領としての決断を仲間たちに申し渡した。
五行莫无の術を発動させる、と。
男たちはどよめき、驚愕し、中には激しく抗議をする者もいたが、時雨の真摯で迷いのない言葉により、皆悲嘆の表情を浮かべつつ押し黙った。
それもそのはずだろう、と横で聞いていた京一郎は眉を寄せる。
今まで培ってきた技、そして五本刀という誇り、脈々と受け継がれた覡の歴史、すべてを無に帰すのだから。
けれど、時雨は決断したのだ。
五行莫无の術を発動させ、千家の野望を阻止すると。五本刀である誇りを捨てるのではなく、五本刀である誇りのために。



合議も終わりに差し掛かり、、京一郎は1人そっと広間を後にした。
時雨が決断した以上、これが最後の戦いになるであろうことは予想がつく。
そして、時雨が術の発動に成功しなければどっちにしろ五本刀は千家の手によって殲滅させられるだろう。
特に頭領の時雨は唯一この世で五行莫无の術を発動させられる人間だ。
この作戦が失敗すれば最後、確実に殺されてしまう。

「…そんなことはさせない、絶対に」

京一郎は左手で腰に差した刀の鞘を握る。
カチン、と中の刀身が京一郎の気持ちに答えるように音が鳴った。

「時雨は僕が守る、必ず。死なせない」

顔を上げ、正面を見据える。館の長い廊下の脇から庭を眺めた。
空は雲ひとつ無い快晴。まるで昨夜とは打って変わって。
殺生をするな、と時雨にはきつく言われていたけれど、千家が時雨の命を狙うと言うのなら、それもやむを得ない。
京一郎はふっと苦笑いする。
あれだけ千家に手を出すなと時雨に繰り返し忠告した自分が今度は逆の立場だ。
自分の命をかけてでも大切な人を守りたい、時雨の気持ちが今は痛いほど理解できた。

「正しく時機を見て、起つべき時に起つ、か…」

昨夜の雄真との会話を反芻する。

「雄真さんはやっぱりすごいや」

時雨とは気持ちを確かめ合い、情を交わす仲になったとはいえ、まだ雄真に対しては妬ましい気持ちはある。
やはり敵わないなあと思う。
今にして思えば、雄真はこうなることを予測していたのだろう。
時雨に「自由になれ」と言ったのはこのことだったのだ。

「京一郎」

背後から声をかけられ、京一郎は振り向いた。
時雨は今までにないくらい、すっきりとした表情をしているように見えた。

「もういいのかい?合議は?」
「ああ、もうあれ以上あそこにいたらあのままの勢いで男衆が酒盛りでもしかねないからな。逃げてきたんだ」

時雨は困ったように笑う。京一郎はその何気ない笑顔でさえ、自分の心が乱されていくのを感じた。

「部屋に戻ろうぜ」

くしゃっと頭を撫でられる。そのままするりと手を取られて引っ張られた。

「し、時雨!?」
「ん?」

手を繋いだまま前を歩く時雨は不思議そうな顔で振り返り、京一郎は言葉に詰まる。
こんな風に手を取られて歩くのは初めてだった。
まるで恋人同士のようで、いやでも自分たちは情を交わす仲で、恋人同士ということなんだろうか…と頭のなかでぐるぐると考え込む。

「はは、お前、顔が真っ赤だぞ」

そうからかうように笑われ、京一郎はいっそう顔を真っ赤にした。
自分ばかりが恥ずかしがっているようで、悔しいやら嬉しいやらだ。


そうこうしているうちにあれよあれよと時雨に手を引かれ部屋にたどり着いてしまった。
部屋に入ると時雨は刀を置き、室内の障子と襖を開けて回った。
京一郎はなんとなく所在なさげにその様子を見ていた。
昨夜時雨と一夜を共にした部屋だと思うといつもの部屋が違って見えるのが不思議だ。

春先の暖かい風が部屋に入り込む。
時雨は縁側にあぐらをかいて座り込んで京一郎にちょいちょいと手招きをする。
導かれるように京一郎は少し距離を取ってちょこんと正座した。

「なぁ、京一郎」
「なんだい?時雨」

時雨はまっすぐに京一郎の目を見ていた。強くて揺るがない瞳だ。
昨夜の、揺れるように迷う瞳ではなかった。

「さっき、廊下で何考えてた?」
「…なんで…」
「横顔を見てた。お前らしくない表情してたから」

気になって、と呟いて時雨は視線を庭に向けて小さく笑った。
責めるでもなく問い詰める風でもなく、ただ心配して気にしていることが言葉と表情から京一郎にも伝わった。
チチチ、と庭の気木にとまった鳥の鳴き声がした。
言うか言うまいか逡巡した末に、京一郎は重い口を開いた。

「……きみを守るって誓ってた」

時雨は京一郎の顔を見た。
驚きでもなく、悲しみでもなく、ただ、京一郎の紡ぐ言葉に耳を傾けている、そんな様子だった。

「絶対に死なせない、きみも、五本刀のみんなも」

時雨は真っ直ぐに京一郎の瞳を見つめていた。やがて、ふっと微笑んで。京一郎の頭を撫でた。

「お前に守ってもらってばっかりだな、俺」

困ったように笑う、愛しげに京一郎を見つめる瞳。
今までこの瞳に見つめられていたのかと思うと、胸がぎゅっとつかまれたみたいでうまく呼吸ができない感じがした。
京一郎は時雨の表情の一つ一つ、瞬きまで、全部が愛しくてたまらなかった。

「俺も守る、お前を。絶対に死なせないから」

強い決意の瞳だった。
五本刀頭領の時雨を初めて見て惹かれた、あの瞳の強さだった。あのときから何も変わらず、それは京一郎の記憶に鮮やかに刻み込まれている。
頭を撫でていた手がするりと下り、そっと頬を撫でられた。
京一郎はその手をぎゅっと握り、時雨を見つめた。

「うん、生きよう、一緒に」
「ああ」

そっと抱き寄せられて、京一郎もその身を預ける。
時雨の暖かい腕に抱かれて京一郎は、守って、守られて、お互いに大切なんだと、言葉はなくてもそんな風に感じた。
たとえこの先の道で、死が二人を分かつとしても、後悔はしない。それが天命ならば、受け入れたい。
この恋を手に入れることができたから。