一生のお願い
「今日だけで１３回目」
弁当の蓋で顔を隠しながら喋っているアシタバくんたちを、藤くんがギロリと睨みつけた。確かにヒソヒソ自分のことを言われるのは気分が良くないだろうけど、でもそんなに睨まなくても、と思う。藤くんは時々、いや結構、理不尽だ。
＊
「足揉んで」
え？ と僕が思わず聞き返すと、答える必要なんてないとばかりに藤くんが僕の目の前に足を突き出してきた。
新任教諭の給料なんてたかが知れていて、おまけに僕は将来お嫁さんを貰って子供を作って老後はそれなりに養ってもらって……なんて人生計画を立てるほど楽観的でもないから、自宅のアパートは大学時代のそれとさして変わらないような、質素なものだ。
フローリングに敷いた毛足の長い黒のラグ、その上に置かれたガラスのテーブル。僕はそこで慣れないパソコンと格闘していて、藤くんは、ベッドに寝転がって漫画を読んだりお菓子を食べたりしていた（そう、保健室でいつもそうしているみたいに）。
ちなみに、どうしていち養護教諭である僕の部屋に、これまたいち生徒である藤くんがいるのかと言えば（いや、僕としては大歓迎なわけだけど、世間一般からしてあまり普通のことではないから）、それはつまり、その、あまり大声では言えない理由からだ。僕たちは悪いことをしている。いや、正確には、僕が、悪いことをしている。僕らの関係は僕の罪悪感と、藤くんの心ひとつで成り立っている。つまり、そういうこと。
で、話を戻すと、藤くんは僕の部屋の、大学時代からずっと使っているホームセンターで１万と少ししたパイプベッドに腰掛けて、角の少し欠けたガラステーブルの前で最新機種のパソコンを弄繰り回していた僕の鼻っ面に、足を突き出したのだ。「足揉んで」。そう言って。
「え、っと……」
「お願い」
思わず固まった僕に視線を真っ直ぐに合わせて、藤くんは、同級生の前では絶対にしないような仕草で（ただ、顔は無表情のままで）、首をこくりと傾げて、言った。
「一生のお願い」
正直なところ、またか、と思う。学校にいたときから数えて、本日１６回目の「一生のお願い」だ。一生がいったい幾つあるのなんて、小学生でも知っているような屁理屈だし、今更そんなことを言う気はさらさらない。それに僕は生徒としてまた――そういう関係の相手として、藤くんの願いは出来る限り、いや、少々出来ないことであっても無理をして、叶えてあげたいと思う。
つまり、足のマッサージとか。
「……いいよ」
春も終わりに近い今日、気温は上着を羽織ると少し暑いくらいで、藤くんの靴下もそれをきちんと見越したように薄手のものだった。家の人が用意してくれたのかも。それに手を掛けると、言い様のない罪悪感が僕の胸を打った。
（ねえ、こんなことやめよう）
そう僕が言えば済む話だろうか？ いや、それならとっくにそうしている。自惚れのようだけど、藤くんは確かに僕を必要としてくれていて、そしてそれ以上に僕も藤くんを必要としている。愛とか、肌の温もりとか、２人でいるときの少しだけ気まずい沈黙とか、ふと目が合う瞬間だとか。それらを失えば自分がどうなるか、そして藤くんがどうなるか。僕は、失うときの暗さと冷たさを知っている。それを自分が味わうこと以上に、藤くんにそれを味わわせることが恐ろしい。言い訳と言われたって、構わない。
両足の靴下を脱がせて、白色の小さな布をラグの上に放った。大人のそれと違って、まだ発展途上にある藤くんの足は、骨張ってはいるけれどどこか頼りなげに細い。
ズボンの裾を除々に上げて行くと、足の甲とほとんど変わらないくらい白いふくらはぎが見えてくる。藤くんは運動をしていないから、日焼けもあまりしていない。筋肉の線がうっすらと見える足、体毛もまだ薄く、やはり大人のものとは明らかに違う。
僕は、左足のふくらはぎにそっと指を這わせた。リンパに沿って、ゆっくりと。
手を離した右足は、ラグの上にふんわりと落とされた。黒い毛の中に埋もれた足。どうしたって、罪の意識を掻き立てる光景。
「ん、きもちいい」
小さく漏らした藤くんに、僕は誤魔化すように笑いかけた。
そういえば昔見た映画で、足のマッサージはセックスと同じようなものではないかと、登場人物たちが延々議論を続けていたことを思い出した。結局結論は、どうだったのだっけ？
「……ね、今日は、随分お願いが多かったね？」
足裏のツボを、痛くしないようにゆるゆると押しながら、僕はついそう言っていた。言ってよかったのか？ 悪かったのか？ 残念ながら、僕はそういう感情の機微に疎い。
「んだよ。文句あんのか」
「まさか。頼ってくれて嬉しいよ」
「頼って、ってな……」
頭の上で、藤くんが呆れ顔をしているのが見なくてもわかった。
確かに今日の藤くんの一生のお願いは、「ハッピーターンの粉だけ寄越せ」とか、「ミカンの皮剥け」とか、「シャーペンの上の消しゴム寄越せ」とか、常にも増してどうでもいいことばかりだった。
それでも僕は、年下の恋人にそうやって奴隷のようにこき使われることが嬉しくて、それはきっと、彼の言いなりになることで少しでも贖罪になればと、そんな大人特有の狡賢いことを考えているのだ。
指の股をそれぞれ擦って刺激すると、藤くんはこそばゆそうに身体を捩った。でも、いつものように悪態をつくことはない。
「なあ……なんで俺が今日こんななのか、知りたくねえの」
「え？」
「なあ」
藤くんの空いたほうの右足が、僕の首筋をそっと爪先で撫でた。指の腹の皮膚は思ったよりもずっと柔らかく、目を閉じていれば手でそうされるのと区別がつかなかったかもしれない。
「なあ、先生」
藤くんの足の親指に促されて、僕は神に傅く子羊のように、恐る恐る顔を上げた。僕を見下ろしている藤くんの顔は、幼いのにどこか悲しみだとか憂いだとか歓喜だとか快楽だとかを帯びて、要するに、大人じみた表情を浮かべている。
「ちゃんと考えろよな」
そう言って一瞬藤くんは眉間に皺を寄せ、かと思うと、そのすぐ後にはまるで５歳の子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「なあ、舐めて。俺の足」
僕は首筋をなぞる藤くんの右足を捕まえて、歓喜に輝くその瞳をじっと見つめた。そこに映っている僕は、どんな顔をしている？
「一生の、お願い」
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ハデ藤を書けば二次元に行けると聞いたのでやっつけで書いたよ！
え？ クオリティ低いと無理？
二次元への道は、遠く険しい……