カンカンカン
それは一度向こう岸に着いたら戻って来られない。泳ぎの得意な父でもダメだった。
きっと、冷たくて暗い、冬の川。
半年ぶりの街は木枯らしに染まっていた。離れたのは桜の咲く前だったから、記憶とあまり変わらない。
行きたいところはなかった。居たくない場所はたくさんあった。
留学が思うようにいかずホームシックになって、良い報告の一つも持たずに帰省した。家族は暖かく迎えてくれる。辛いとは言えなかった。
水泳がやりたくて留学したのに、水泳の話はほとんどできない。適当にごまかすのにも疲れて、「懐かしい街が見たい」と言って一人で散歩に出た。
帰りたかった家に居られなくなったら、もう行き場がない。
ただ、そこは田舎で、冬に外を歩く人はまばらだった。それだけは良かった。
立ち止まることを避けて道を選んでどこへともなく歩いていた。
足を止めたのは踏切だった。警告音で立ち止まって、人を乗せた車両が流れていくのを見ていた。その向こう岸には七瀬遙がいた。頭の奥が信号の赤色みたいにチカチカした。
「凛……!」
感情の起伏が分かりづらい遙が嬉しそうにする。仲間との再会っていうのは嬉しいものだ。大事な相手であるほど。
だけど、俺は遙と同じ気持ちではいなかった。遙のことが大切じゃないのか、という考えは恐ろしくて見ないことにした。
「勝負しないか、久しぶりに」
渡ってはいけない川がある。川のこちら側に帰ってこれない、そんな川。じゃあ、その渡し船が途中で沈んでしまったらどうなるのだろうか。
見たかった景色は見られなかった。
悪くない飛び込み。全力で水を掻いた。田舎の中学でのほほんと部活なんかやっている遙をぐんぐん引き離し、隣のコースの気配を置き去りに、先に水面から顔を上げて遙のゴールを見届けるはずだった。
「プハッ」
負けた。小学校時代にフリーで勝てなかった遙の負ける姿を見るはずだったのに、目論見が外れた。留学までして、レベルの高いライバルを相手に悔しい思いを重ねて得たものはコレだ。田舎のただの中学生にすら勝てないという事実だ。
プールを逃げ出した。乱暴に体の水気を拭きとって、拭き足りない水気で引っかかる服を無理やり着込んで更衣室を出た。同じように急いで支度をした遙が追いかけてくる。見ないで欲しい。最悪だ。
昔の自分と変わってしまった、と自分で思ったのはいつのことだろう。
周りの子供に取り残されて、思うように泳げなくなった時か。
泳ぐのが楽しくなくなった時か。
それとも、心の中で静かに仲間たちを裏切った時だろうか。
川の向こう岸に渡れば楽になれる気がした。こちら側には遙や、仲間の好きな昔の自分がいる。
その川を渡ってはいけない。
冬の冷たい鉄の川に警告音が鳴り響いていた。