ペンタゴンで会った人だろ
NSAに所属するジェット・リンクは、ある日上官から深刻な声で告げられた。
「ジェット、きみに任務を与える。…非常に、重要な任務だ。このミッションは必ず成功させなければならない」
「はい」
ジェットも重々しい表情で命令を受けた。
「一体、どのような…?」
尋ねると、上官はファイリングされた書類の束を差し出した。
「これに参加してもらいたいのだ」
『TOP SECRET』と赤いスタンプの押されたそのファイルを、ジェットは緊張した手つきで開いた。
「…米軍ニューイヤー航空ショー?」
ジェットは首をかしげた。
航空ショー。それは、飛行機マニアが最も熱狂する一大イベントだ。
息を飲むような曲芸飛行、神業のようなアクロバットはもちろん、新型航空機のお披露目や航空部隊の広報活動も兼ねている。ここ、アメリカ某州のストーンズフォレスト空軍基地でも、新年まもなく、一般公開の航空ショーが行われる予定だった。
「…にしても、なんか今年はみんなそわそわしすぎじゃないか?」
基地内勤務の下士官の一人が呟いた。
周りを見ていると、『チケットが余ってないか?』だの、『どこの位置がベストビューポイントか』だの、『その日に限って有給取れなかった死にたい!』だの、ちょっと熱狂ぶりが半端ではない気がしたのだ。
「ばっか、そりゃお前、今年は特別ゲストが来るからだろ」
隣の席で事務作業をしていた同僚が答えた。
「特別ゲスト?」
「なにお前、知らずに見に行くつもりだったの?よくチケット取れたよな~」
「だからなんだよ、特別ゲストって」
「これ一応サプライズっていう建前だから、まだ内緒な」
同僚は声をひそめてささやいた。
「…ジェット・リンクが飛行演技に参加するんだよ」
「えっ…『あの』ジェット・リンクが!?」
「そう!俺たちの永遠の憧れ!空飛ぶサイボーグ!白き天使ことジェット・リンクがついに神秘のベールを脱ぐのだ!」
同僚は興奮ぎみに語った。
「ということは…!噂の完全飛行形態が見られるってことだよな?」
「あたぼうよ。しかも、特別協賛会員になると握手券がもらえるんだぜ!」
「握手券…」
それはちょっと違うんじゃないだろうか、と彼は思った。
どこかの団体の小遣い稼ぎにいいように利用されているのではないか?
しかしそうだとしても、生のジェット・リンクと握手できるなんて魅力的すぎる。
「いくらだ?それ」
「おう!一口たったの2千ドル」
「安い!買った!」
こうして、ジェット・リンクとの握手券つきチケットは瞬く間に完売した。
「…つまりだね、きみが出演することによって大幅な収益増が見込まれるのだよ。我々の組織も最近予算を減らされてしまってね。いろいろ苦しいのだ」
「はあ…」
ジェットは少々あっけにとられながら説明を聞いていた。
「では、飛行演技に出てくれるね?」
「何をすればいいんです?」
「好きなように飛んでくれたまえ。アクロバティックなやつだと最高だ」
「本当に好きに飛んでいいんですか?」
ジェットは思わず嬉しくなった。普段は速度制限だの燃費の効率だのとうるさく規定されることが多かったため、ちょっとストレスがたまっていたのだ。
「ああ、思いっきり飛んでいいのだよ」
「やります、その任務!」
「期待しているよ、ジェット」
あと握手会も頼むよ、と上官は小さな声で言った。
数日後、航空ショーのプログラム構成ができたというので、ジェットはまた上官の部屋に呼ばれた。
「…ボス。この文章なんとかなりませんか」
ジェットは苦い顔をして航空ショーの進行表を指した。
そこにはこのように書いてあった。
特別ゲスト:ジェット・リンク
~白き天使は青空の恋人~
〈演技内容〉
・人体単独飛行(着衣)
・人体単独飛行(ヌード)、航空機とのシンクロナイズド飛行、および空中ランデブー
※終了後、握手会あり
「なんですか、これは…」
「ううむ。やはりキャッチフレーズの語呂が悪かったか…。『その者白き翼をまといて紺碧の空に飛び立つべし』のほうがいいだろうか?」
上官はキャッチフレーズの候補が書かれた紙を引っ張り出してきた。
「いやそこじゃなくて。もちろんそこも問題ですが…なんですか、ヌードとは。誤解を招く表現です」
「確かにそうだ!『オール』ヌードと訂正しよう」
「だーかーらー!」
もうやだこの上司。ジェットはため息をついた。
「『MODE:M5』(マッハ5飛行モード)とかでいいじゃないですか。どうしてわざわざ卑猥な書き方をするんです」
「だって味気ないじゃないか。よしわかった。『天使形態』にしよう。あるいは『アークエンジェルモード』」
「…天使、天使ってなんなんですか」
ジェットががっくりしながら言うと、上司は意外そうな顔をした。
「何を言ってるんだ。きみは天使だろ?」
この上ないほどの真顔だった。
(…俺、もしかして口説かれてんのかな。いや、そんなわけないか)
ジェットは少し気が遠くなった。
そして、ついに航空ショー当日がやってきた。
ジェット・リンクが飛ぶ姿を一目見ようと、朝から大勢の人が詰めかけていた。
ジェットが空を飛ぶと、人々は熱狂した。
急降下、旋回、急カーブ。
マッハ飛行。
自由落下から地面衝突ぎりぎりの急上昇。
急ブレーキをかけての逆噴射。
空中に投げられたボールを正確にキャッチするアクロバット。
戦闘機と並んで行うシンクロパフォーマンス。
まるでサーカスのようなスリリングな演技、そして飛行中の姿の美しさに、観客は息を飲み、盛大な拍手をおくった。
ジェット自身も、いいストレス発散になってすっきりした。
しかしその後が大変だった。
なぜか『ジェット・リンクと行く見学ツアー』などというものを任されてしまったジェットは、客たちのジェットへの興味の強さに少々辟易しながら、会場を案内していた。
「これでだいたい回ったかな。ほかに見学してみたい機体はあるか?」
ジェットが振り返ってたずねると、ハイ!ハイ!と勢いよく手が挙がった。
「ジェットさんを見学したいです!」
「俺もー!」
「わたしも!」
わーわーわーと賛同の声が沸いた。
「はあ?…目の前にいるだろうが」
見たけりゃ見ろよ、とジェットは腕を大きく広げた。
「天使モードのジェットさんが見たい!」
「ヌード!ヌード!」
「脱ーげ!脱ーげ!」
わーわーわー。騒ぎが大きくなった。
ジェットはもみくちゃにされ、危うく裸に剥かれそうになりながら、必死の思いでその場を抜け出した。
「もう帰りたい…」
「何を言ってるんだジェット!さ、握手会だよ」
ジェットは握手会の会場に引っ張り出された。憧れにきらきらと目を輝かせた人々が長い列を作っている。ジェットはもうやけくそ気分で、差し出される手をちぎっては投げちぎっては投げという勢いで片付けていった。
客たちとは握手するとき、一言二言会話していく。
「俺、ジェットさんに憧れてパイロットになりました!」
「そうか。がんばれよ」
「ジェットさんの写真、部屋に飾ってます」
「あんがとな」
「毎晩写真にキスしてます!」
「お、おう…」
「ジェットさん実際は何歳なんですか」
「忘れた」
「ジェット、きみに任務を与える。…非常に、重要な任務だ。このミッションは必ず成功させなければならない」
「はい」
ジェットも重々しい表情で命令を受けた。
「一体、どのような…?」
尋ねると、上官はファイリングされた書類の束を差し出した。
「これに参加してもらいたいのだ」
『TOP SECRET』と赤いスタンプの押されたそのファイルを、ジェットは緊張した手つきで開いた。
「…米軍ニューイヤー航空ショー?」
ジェットは首をかしげた。
航空ショー。それは、飛行機マニアが最も熱狂する一大イベントだ。
息を飲むような曲芸飛行、神業のようなアクロバットはもちろん、新型航空機のお披露目や航空部隊の広報活動も兼ねている。ここ、アメリカ某州のストーンズフォレスト空軍基地でも、新年まもなく、一般公開の航空ショーが行われる予定だった。
「…にしても、なんか今年はみんなそわそわしすぎじゃないか?」
基地内勤務の下士官の一人が呟いた。
周りを見ていると、『チケットが余ってないか?』だの、『どこの位置がベストビューポイントか』だの、『その日に限って有給取れなかった死にたい!』だの、ちょっと熱狂ぶりが半端ではない気がしたのだ。
「ばっか、そりゃお前、今年は特別ゲストが来るからだろ」
隣の席で事務作業をしていた同僚が答えた。
「特別ゲスト?」
「なにお前、知らずに見に行くつもりだったの?よくチケット取れたよな~」
「だからなんだよ、特別ゲストって」
「これ一応サプライズっていう建前だから、まだ内緒な」
同僚は声をひそめてささやいた。
「…ジェット・リンクが飛行演技に参加するんだよ」
「えっ…『あの』ジェット・リンクが!?」
「そう!俺たちの永遠の憧れ!空飛ぶサイボーグ!白き天使ことジェット・リンクがついに神秘のベールを脱ぐのだ!」
同僚は興奮ぎみに語った。
「ということは…!噂の完全飛行形態が見られるってことだよな?」
「あたぼうよ。しかも、特別協賛会員になると握手券がもらえるんだぜ!」
「握手券…」
それはちょっと違うんじゃないだろうか、と彼は思った。
どこかの団体の小遣い稼ぎにいいように利用されているのではないか?
しかしそうだとしても、生のジェット・リンクと握手できるなんて魅力的すぎる。
「いくらだ?それ」
「おう!一口たったの2千ドル」
「安い!買った!」
こうして、ジェット・リンクとの握手券つきチケットは瞬く間に完売した。
「…つまりだね、きみが出演することによって大幅な収益増が見込まれるのだよ。我々の組織も最近予算を減らされてしまってね。いろいろ苦しいのだ」
「はあ…」
ジェットは少々あっけにとられながら説明を聞いていた。
「では、飛行演技に出てくれるね?」
「何をすればいいんです?」
「好きなように飛んでくれたまえ。アクロバティックなやつだと最高だ」
「本当に好きに飛んでいいんですか?」
ジェットは思わず嬉しくなった。普段は速度制限だの燃費の効率だのとうるさく規定されることが多かったため、ちょっとストレスがたまっていたのだ。
「ああ、思いっきり飛んでいいのだよ」
「やります、その任務!」
「期待しているよ、ジェット」
あと握手会も頼むよ、と上官は小さな声で言った。
数日後、航空ショーのプログラム構成ができたというので、ジェットはまた上官の部屋に呼ばれた。
「…ボス。この文章なんとかなりませんか」
ジェットは苦い顔をして航空ショーの進行表を指した。
そこにはこのように書いてあった。
特別ゲスト:ジェット・リンク
~白き天使は青空の恋人~
〈演技内容〉
・人体単独飛行(着衣)
・人体単独飛行(ヌード)、航空機とのシンクロナイズド飛行、および空中ランデブー
※終了後、握手会あり
「なんですか、これは…」
「ううむ。やはりキャッチフレーズの語呂が悪かったか…。『その者白き翼をまといて紺碧の空に飛び立つべし』のほうがいいだろうか?」
上官はキャッチフレーズの候補が書かれた紙を引っ張り出してきた。
「いやそこじゃなくて。もちろんそこも問題ですが…なんですか、ヌードとは。誤解を招く表現です」
「確かにそうだ!『オール』ヌードと訂正しよう」
「だーかーらー!」
もうやだこの上司。ジェットはため息をついた。
「『MODE:M5』(マッハ5飛行モード)とかでいいじゃないですか。どうしてわざわざ卑猥な書き方をするんです」
「だって味気ないじゃないか。よしわかった。『天使形態』にしよう。あるいは『アークエンジェルモード』」
「…天使、天使ってなんなんですか」
ジェットががっくりしながら言うと、上司は意外そうな顔をした。
「何を言ってるんだ。きみは天使だろ?」
この上ないほどの真顔だった。
(…俺、もしかして口説かれてんのかな。いや、そんなわけないか)
ジェットは少し気が遠くなった。
そして、ついに航空ショー当日がやってきた。
ジェット・リンクが飛ぶ姿を一目見ようと、朝から大勢の人が詰めかけていた。
ジェットが空を飛ぶと、人々は熱狂した。
急降下、旋回、急カーブ。
マッハ飛行。
自由落下から地面衝突ぎりぎりの急上昇。
急ブレーキをかけての逆噴射。
空中に投げられたボールを正確にキャッチするアクロバット。
戦闘機と並んで行うシンクロパフォーマンス。
まるでサーカスのようなスリリングな演技、そして飛行中の姿の美しさに、観客は息を飲み、盛大な拍手をおくった。
ジェット自身も、いいストレス発散になってすっきりした。
しかしその後が大変だった。
なぜか『ジェット・リンクと行く見学ツアー』などというものを任されてしまったジェットは、客たちのジェットへの興味の強さに少々辟易しながら、会場を案内していた。
「これでだいたい回ったかな。ほかに見学してみたい機体はあるか?」
ジェットが振り返ってたずねると、ハイ!ハイ!と勢いよく手が挙がった。
「ジェットさんを見学したいです!」
「俺もー!」
「わたしも!」
わーわーわーと賛同の声が沸いた。
「はあ?…目の前にいるだろうが」
見たけりゃ見ろよ、とジェットは腕を大きく広げた。
「天使モードのジェットさんが見たい!」
「ヌード!ヌード!」
「脱ーげ!脱ーげ!」
わーわーわー。騒ぎが大きくなった。
ジェットはもみくちゃにされ、危うく裸に剥かれそうになりながら、必死の思いでその場を抜け出した。
「もう帰りたい…」
「何を言ってるんだジェット!さ、握手会だよ」
ジェットは握手会の会場に引っ張り出された。憧れにきらきらと目を輝かせた人々が長い列を作っている。ジェットはもうやけくそ気分で、差し出される手をちぎっては投げちぎっては投げという勢いで片付けていった。
客たちとは握手するとき、一言二言会話していく。
「俺、ジェットさんに憧れてパイロットになりました!」
「そうか。がんばれよ」
「ジェットさんの写真、部屋に飾ってます」
「あんがとな」
「毎晩写真にキスしてます!」
「お、おう…」
「ジェットさん実際は何歳なんですか」
「忘れた」
作品名:ペンタゴンで会った人だろ 作家名:桑野みどり