8 1/2 再録とかきおろし【サンプル】
肌寒さが冬の足音を感じさせる秋の日、帰宅する生徒や部活に向かう生徒の混雑に巻き込まれる前に、テニスバッグを担いだ影が各自いち早く教室を抜け出し、廊下で点々と合流していく。
二年生に上がってもう半年以上が過ぎ、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
しかし、つい先日からは勝手が違う。この日、気が付いたのはブン太だった。
「あれ比呂士。仁王どうしたの」
「ええ、呼びに行ったのですが屋上に寄ってから行くと…」
「またかよ。それってさぼりじゃねーの? 駄目じゃん捕まえないと」
「すみません…どうも酷く機嫌を損ねてしまったみたいで」
実のところ、どこへ行くのかという問いに「屋上」という応えを引き出すだけでも苦労した。これではいい加減いけないと思い、いつに無く食い下がった柳生だがそれも彼を余計に苛つかせただけだった。
ジャッカルは大げさに肩を竦めて笑いかける。
「まあ、あいつのお目付け役も大変だよな」
「最近とくに感じ悪ぃじゃんか。お目付け役ってのも真田が勝手に言ってるだけだし、比呂士に責任ねーよ。行こ行こ」
「ありがとうございます…すぐに来てくれるといいのですが」
随分と陽が短くなり、すでに傾いた太陽が廊下へと西日を差している。
ままならないことばかりな中でも、ブン太に自分に非はない言われると、最低限は上手くやれているのだと安心する。
しかしこのまま仁王に部内での悪印象がつくのをただ見ていることは出来なかった。
三年生が夏の大会を最後に引退し、柳生と仁王がダブルスのパートナーに指名されてからまだそう長い時間は経っていなかった。
柳生の心配を余所に、然程間を空けずに仁王は部室へとやってきた。
それ自体は実に喜ばしい。喜ばしいのだが…仁王は一人でやってきた訳ではなかった。
柳生たち三人が部室に着いたときには、既に他のメンバーは支度を終えていた。部長になったばかりの幸村が机に日誌を広げ「ミーティングをするから」と言って皆を急かす。慌ててロッカーの前で着替えていると軽い音を立てて部室のドアが開いた。
どこに居ても目立つ白い頭髪を確認し、内心でほっとすると同時に――続いて入って来た人物に、その場に居る誰もが一瞬、目に入った状況の処理が追いつかずにフリーズした。
何度も確認するように着替え終えた柳生とその人物……眼鏡を掛けていない以外は、細部に到るまで柳生にそっくりな男を振り返る。
「ん、なあジャッカル、お前視力良かったろぃ。俺もしかしたら乱視かもしんないんだけどさ」
「それ、多分乱視じゃねーぜ。俺にも同じように見えてるから」
「なっ…柳生…お前、立海に兄弟がいたのか?」
そんな訳ありません、と真田の問いに言い返すことも出来ず立ち尽くしているうちに、件の人物がこちらへと駆け出した。
「柳生!」
突然、自分に似た男に飛びつかれては声も出ない。驚いているのは当然、柳生だけではなかった。
「何しくさっとんのじゃ! 離れぇ!」
続いて室内に入って来た仁王が男を引き剥がし、その襟首を掴んだままパイプ椅子に掛ける幸村の前に歩み出た。
「ようわからんが、この通り厄介なことになっとる」
言いながら、男の頭髪に手をかけた。ずるりと茶髪が床に落ちたかと思うと、その下から見事な銀髪が姿を現した。さらに仁王の指が彼の顎にかかり、ごしごしと擦ると口元に特徴的な黒子がある。
その光景にまたもや一同は唖然とするが、幸村だけは手を叩いて目を輝かせた。
「へーぇ! すごいな。柳生かと思ったら、お前にそっくりじゃないか」
「兄弟か、何ぞくだらないこと聞いたら許さんぜよ」
「そんな真田みたいなつまらないこと言わないさ。どうしたのコレ」
「コレ言うなコレ。両方一応紛うことなき俺じゃ」
「数日前の朝から俺ん家に居る。朝、目が覚めたらいつの間にか隣に寝とったんじゃ。家に置いとったらババアに見つかって学校さぼっとると思われたから連れてきた」
「見つからんようにしとると退屈でしょうもなかったきに」
仁王と、もう一人の仁王が交互に話す。
「だから先に行けと仰っていたんですか」
仁王が見せた頑なな態度に得心がいって声を上げた柳生に、仁王が二人してこちらを振り返る。
柳生が部室に付いた頃を見計らってもう一人を変装させ、校内で同時に存在しないようにここまで連れてきたのだろう。
ただでさえ目立つ容姿の仁王が二人連れ立って歩いていたら、周囲の不幸にも目に入れてしまった者達は勉強のしすぎで白昼夢を見たのかと気に病んでしまうことになる。
現に、ここに居るメンバーですら何の冗談かと思っているくらいだ。
襟首を掴む自分自身の手を払った『もう一人』が柳生の傍へと寄って来て隣に並ぶ。寄り添うように触れた肩に体重を掛けられ、内心、ぎくりとした。
本当にこれは、何の冗談だ。昨日までの仁王の態度とのギャップに頭も身体も付いていかない。
隣の仁王を見遣ると視線がかち合って、嬉しそうな顔をする。戸惑っていると不意に冷たい声音が室内に落ちた。
「言ったところで、お前さんは信じなかったじゃろ」
見ている表情と耳に入った言葉が一致しないことに、はっとして顔を上げる。
そこに立つ仁王の苦々しい顔を見て、ああそうか、と柳生は悟る。彼の方こそがいつもの『仁王雅治』なのだと。
作品名:8 1/2 再録とかきおろし【サンプル】 作家名:みぎり