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こんにちは、チョコレート

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細長くて歪んだ枝のようなチョコレートを見て、双子の頭上にはてなマークが浮かんだ。
 摘んで口に入れるのにちょうどいい長さだ。表面は一ミリの隙もなくチョコレート。何かをとろとろに溶けたチョコレートにつっこんでコーティングした、というところまではすぐに想像が及ぶ。問題は中身だ。
「何だ、これは」
「いいからいいから」
「その言い方が胡散臭いから質問してるんだよ!」
 タクミが机に拳を叩きつけると教室中の視線を集めてしまった。
 まあ、元々目立っちゃってたんだけどね。と、イサミは思う。並んで座っている兄は学内にファンクラブがあるほどの人気者だ。日本人の集団ではやたらと目立つ金髪碧眼のイタリア男。日本人の父の血が勝って黒髪の自分と双子というのが信じてもらえないくらい派手な外見をしている。
 机を挟んだ向かいで、椅子に跨って背もたれに肘を付いているのは学園の嫌われ者。入学式の壇上で学園中の全てに向けて宣戦布告した幸平創真を知らない者はいない。大抵の生徒が幸平に腹を立てたり、近づくと面倒なやつだと思っている。本人は気にしてないみたいだけど。
 そんな二人が休み時間に謎のチョコレートを挟んで争っていた。
「大体何でお前がうちの教室にっ」
「ちょうど通りかかったんだってば」
「クソッ、イサミが手なんか振るから…」
「えー?僕のせい?」
「まあまあ、怖がらずに一本いっとけって。な?」
「な?…じゃなっ……ンムッ」
「あーあ」
 開いた口にポイっと投げ込まれた細長いチョコレート。タクミは嫌そうに顔を歪めながらも口を片手で押さえながら、奥歯で噛み締めた。
「ンンンンッ……!」
 そして硬い机の上に額をしたたか打ち付けて悶絶した。
「ちょっと、兄ちゃん大丈夫?」
「大袈裟だな、毒じゃねえんだから」
 そんなに嫌なら吐き出せばいいと思うのだけれど、料理人だからか、親の躾の賜物か、一度口に入れた食物を吐き出すのは自分で許せないようだった。
 机の上に涙だか鼻水だかわからない物悲しい水たまりができた。
「あーあー、ホントに何入れたんだよコレ」
「コイツ」
 どこからか取り出したゲソ、もちろんチョコレートのかかっていないものを咥えた幸平がにやりと笑った。
 ひどい。兄にそっと手を合わせた。日本生活で覚えた弔いのポーズである。

「コレで兄ちゃんがチョコ嫌いになったらどうしよう」
「タクミってチョコレート好きなのか?」
「そりゃあね」
 ふっくらした頬に手を当て頬杖をつきながら思い出に目を向けた。
 痩せた兄とまんまるな弟。そんな外見から弟のほうが甘いモノ好きと思われがちだが、実際はそうでもない。あれは、ニ歳の頃の話だったか。時々母が聞かせてくれる昔話がある。当然、成長した本人たちは思い出せないのだけれど。
「幸平は生まれて初めてチョコレートを食べた時のことを憶えてる?」
「生まれて初めて?うーん……」
 腕組みして天井を仰いで三秒。
「憶えてないな」
「だよねー」
 大抵の人は覚えていないだろう。生まれた時から身近にチョコレートが存在したなら、育児についてよっぽどこだわりを持った家庭でもなければ、幼児のうちに一度ぐらい口にしている。スーパーには幼い子供向けのキャラクタの形のチョコレートもあった。虫歯を意識して、甘味料にはキシリトールが使われているんだそうだ。
「イサミは覚えてんの?」
「全然。でも、母さんが言うには、僕はあんまり喜ばなかったんだってー」
「へぇ」
 意外そうに、でもそこまで興味はないんだろう。シンプルなリアクションだった。
「自分では覚えてないからわからないけど、そういう気分じゃなかったのかな?僕とは反対に、兄ちゃんは一口で気に入って、僕の分まで食べちゃったんだって」
「今とは正反対だなお前ら」
「言うと思ったよ」
 なかなか復活しないタクミの上で笑い合った。
「チョコレートって焼き菓子とも、クリームとも違うでしょ?未知の味でさ、僕らふたりともビックリした顔をしたんだって」
「ああ、そういうの聞いたことあるな。赤ちゃんにレモンスライスを舐めさせると驚いて笑うんだって」
「そうなの?」
「八百屋のばあちゃんが言ってた」
「へぇー。それと同じかな。僕は難しい顔して味わってたらしいんだけど、兄ちゃんはキラキラした顔でバクバク食べて大喜びでさ」
「そりゃあそりゃ……」
 ちらりと机の上の屍を見下ろすが、幸平の顔に悪びれる色はなかった。他人ごとのような淡い哀れみが浮かんだっきりだ。
 イサミは幸平の、どこにでもいる日本の男子高生らしい顔を観察した。どこにでもいそうで、奇っ怪な中身が見透せない。
「歳が増えるごとに、生まれて初めての経験って減っていっちゃうよね」
「そうか?」
「そうだよ。だから僕、生まれて初めての一口目のチョコレートの味をまた味わってみたいんだ」
「懐かしい味ってことじゃなく?」
「そう。食べたのが同じチョコでも、兄ちゃんの思い出の方がずっと美味しかったんだと思う。そんな兄ちゃんのチョコレート、僕も食べてみたい」
「難題だな。スゲー面白そう」
 前のめりになって雨上がりの草みたいにイキイキしてくる。こんな謎かけみたいな希望を本当に叶えてしまいそうな、不思議な料理人だ。こんなヤツはイタリアにはいなかった。
「僕さ、その時の兄ちゃんの表情なんか覚えてないけど、どんなだったか、なんとなくわかる気がするんだ」
 人生で初めて、素晴らしい物を手に入れて青い目を輝かせるところを何度か間近で見ている。
 父に包丁を与えられて料理人という道を得た時。初めてのお客様に褒められた時。それから、高等部で幸平を見つけた時。
(キミは兄ちゃんの上等なチョコレートなんだよ、幸平)
 イサミの微笑みに幸平が首をひねった。
 そこでようやくチョコレートの絡まったゲソの深すぎる味わいの世界から這い上がってきたタクミが顔を上げた。ひどい顔だ。鼻の頭と額を赤くして、目元と鼻の下が濡れている。目は完全に据わっていた。
「おう、タクミ。未知の味はどうだった?」
「…………最ッ悪だ!!チョコレートへの冒涜、イカへの冒涜だ!」
「いやいや、馴れてきたら美味く感じるようになるかもよ」
「こんな味に馴れてたまるかー!」
 前言撤回しよう。幸平はこんなやつだ。待ち望んでいたチョコレートかと思ったら一筋縄ではいかない、へんてこりんなゲソ入りチョコレート。
 イサミが一本つまみ上げると、タクミが慌てて止めてくれた。
「イサミ、やめるんだ。そいつの味は正気の沙汰じゃない!」
「そっかー。でも兄ちゃん、チョコ好きだもんね。もう一本いっとく?」
 再び口に差し込まれたゲソチョコレートに端麗な顔が青ざめた。その二本目のチョコレートがどんな味だったか。それは兄にしかわからない。
 出会ってしまったのは幸か不幸か。甘く喉を焼く。

 こんにちは、チョコレート。